アモキサンの服用効果・診察日 ブログトップ
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抗うつ薬との訣別 [アモキサンの服用効果・診察日]

今日は久しぶりの診察日。

徐々に減薬をしてきたが、とうとうアモキサン無しとなった。
もちろんレキソタンも。

もっとも、この3週間ほど、抗うつ薬のアモキサンはずっと飲まずにいたのだったが。

精神的にはなんの変化もなし。

私がドクターに、「2種類の『不安』というのがあるとして、ひとつは日常的な、あるいは健康的な不安と、病的な不安だとしますと、病的な不安というのは完全に影を潜めていると思うのです」というと、

ドクター曰く、「なるほど。別の言い方をすれば、コントロールできない不安というものがなくなったということですか?」

「なるほど、そう表現すると分かりやすいですね。」、と私。
3週間、抗うつ薬を飲まなかったことも正直にドクターに伝えた。

その他、何事もポジティブにとらえようとする私の元々の性格というものが元に戻ったのではないか?とドクター。

ポジティブ・シンキングとは、「いい加減」ということに通じるのかw
「いい加減」とは、いい塩梅(案配)。

それに加えて、ある意味で「地獄」というものの蓋を少しだけ開いたことからすれば、また、「精神疾患を経ると精神においても不可逆的な変容が起こる」(要旨)との春日武彦医師の言葉が正しいとすれば、生来のポジティブさの「復活」に加え、人生というものをちょっとだけ突き放して眺める余裕が生まれたのかもしれず。

あるいは、「ままならないのが人生さ」などとうそぶくことができるようになったのは、五木寛之のおかげというべきか。

この身体(からだ)のどこかに備わっている平衡さというか、回復力。
それは両親から受け継いだもの。
まずはそれに感謝してもしきれない。

さらに、家族、友人、知人。そして、酒w
読書を通じた出会いは、底知れないパワーを与えてくれた。
「他力」という考え方、生き方。
免疫というものの考え方。

ありがたい。

次回の診察日は、1カ月先でももうちょっと先でもいいですよ、とドクター。
おそらく、次回でこのクリニックともお別れだろう。

とりあえず1カ月先を予約した。
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診察日6月10日【追記あり】 [アモキサンの服用効果・診察日]

いつもの会話

>この1カ月、どうでしたか?
特に変わったことはありませんでした。
睡眠時間は7〜8時間程度を確保しています。
早朝覚醒なし、眠れないこともなし、です。

マンネリの会話が、ことのほか心地よい。

とうとう減薬開始。
抗うつ薬とのお別れのときは間近。

長かった。
09年7月21日以来の服用。

この日が来るのを心待ちにしていた。

この日が来たら、このブログも終わりにしようと思っていた。
やっと、その日が来た。

<この拙いブログにつきあってくださった皆様へ>
心から感謝します。

この病気になって、さまざまな本と出会い、新たな知見を得ることができたばかりか、自分の生き方についても振り返ることができたことは、やはりこの病気に感謝すべきなのでしょう。

さらに南木さんではないが、「視点が低くなれた」ことが、いちばんの収穫なのかもしれません。

さらに<大いなる力>と<わがはからいにあらず>、そして<他力の風>は、私の座右の銘になるに違いありません。

再発でもしたら、新たにブログを立ち上げることでしょう。
それまで、皆さん、さようなら!

読んでくださって、ありがとう!

【追記】
と、その日は思ったのだが、書きたいことはたくさんあることに気付いた。
だから、好きなときに書けばよいことにする。
そうすると、このブログのタイトルは、「amokisan服用日記(回復編)テキトー日記」ということになるw

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5月13日の診察日 [アモキサンの服用効果・診察日]

ドクターとの会話。

>どうでしたか?(変わったこと、ありましたか?)

睡眠時間は7時間程度で眠れないことはなく、朝は6時の目覚ましで飛び起きます。
早朝覚醒といわれるエピソードもありません。
もっとも、急性期もなかったですけどw
仕事もふつうにこなしてます。

土日もちょこっとやったんですけど、さすがに昨日あたり、なんで疲れるのかなと思ったら、土日やってたことに気付いたって感じですかね。

という、いつもの会話。
こういうマンネリもよいものだ。

>ほかに変わったことは?
ゆううつな気分というのを味わいました。

>ほ〜、どういう?
かくかくしかじかで、あ〜でこ〜で。

>よく日付まで覚えてますね。
この病気を得てから、妙に「記念日」的なものを記憶しちゃってるんですよね。
このクリニックに初めて来たのが、などなど。

>それにしても、ほんとうにほがらかな表情ですよね
おかげさまで、ほんとうにありがたいことです。

>きっと、そういう感覚というのかな、大切なことなんでしょうね
そう思います。
この病気になって、いろんなこと考えて、とりわけ「ありがたい」っていう気持ちがどんなときにも感じられるようになったんですよね。
不思議です。

などと、相も変わらず、診察室ではおだやかな時間が流れた。
まあ、順調だということだろう。

帰り際、受付のおばちゃまと久しぶりに遭遇。
「相変わらず、(状態は)良さそうね」
おかげさまで。
そろそろ、1年後に向けた減薬の話なんかも出てたんですよ。

「あらそうなの? だって横山さん、アモキサン60ミリでしょ? 大した量じゃないのよ」
へえ。そういうもんですかねえ。

「そうよ。」
だけど、頭の中身を揺り動かすような薬って、なんか怖くないですか?

「60ミリだもの(だいじょぶよ)」
(そういうものかw)
(いずれにせよ、もともとからだにある成分でないものを体内に摂り入れることそれじたいに、私は疑問を持っている以上、回避できるものならば回避したい)

いずれにしても、ほんとあの節は、ほんとうにお世話になりました、と頭を下げると、おばちゃま、「ほんと、あのころとは全然違うわよね。よかったわね」。

ありがたいこと。
<わがはからいにあらず>
心からそう思う。
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今日は診察日だった [アモキサンの服用効果・診察日]

もう1ヶ月経ったのか。

クリニックの医師は、相変わらず病床(らしい)。
前回からの代診の医師が非常にクレバーなタイプなのが、実に好ましい。

例によって、「この1ヶ月どうでしたか?」から始まる会話。
前回指摘してくれた、万一
1)早朝覚醒が3日続く
2)眠れない日が3日続く
など、まったくなかったことをまず述べる。

ふつうに眠れるし、床に就くと5分程度で眠ってしまうこと。土日は昼寝。散歩。
睡眠時間は、6時間程度がふつうだが、疲れたなと思えば10時過ぎには寝ること。

南木佳士の読書のエピソードを述べ、自分では「疲れ」のせいだと思い、早寝して再読したがなんということはなかったこと。

副交感神経優位に保つように努力していること。
安保徹教授の話をしたら、「ああ、たしか新潟大学の先生ですよね」とドクター。

などを話しつつ、安保教授の話、多田富雄教授の話などを織り交ぜつつ、「生き方」論に及んだころ、ドクター曰く、「そういう生き方というのは、過去の生き方とは決別してるってことじゃないですか?」「予防的な行動とか、理想的な患者さんですよ」と。

結果的にそうなりますかね、と私。

さらにドクター曰く、「かなり読書をされているようですけど、それだけ実践するひとって少ないですよ。これから減薬していったとしても、再発のリスクはかなり少ないと思いますよ」と。

ありがたいこと。

このあたりから、ほぼ無駄話に入っていくw
もうひとりの代診医師の話。
「患者の目を見て話をしないし、白衣なんか着ないと医師たりえないんですかね」的な私の誘導にも負けずw、「直接会ったことはないんですけど、年齢的にDSM-IVの申し子ですねw」とドクター。

「あれじゃあ、治るべき患者も治らないでしょうw」と私。
もちろん声を潜めてw

「まあ、白衣というのも演出のひとつとして必要な患者さんもいるんですよ」とドクター。
「だって先生は着てないじゃないですか?w」と私。

「白衣を権威の象徴とみる患者サイドと、それを利用するというか、権威をまとわないと医師たり得ない医師というのは、どうかと思いますけどもね」と私。

まあw、とドクター。
「もともと精神科医は内科医とかとは違って、検査とか体を触ったりはしませんからね」とも。

ドクターの愚痴(順不同)。
「精神科の医師というのは、内科や外科のように目に見える回復って分かりにくいわけですよ。だから、医師仲間から評価されないことが多いんですよ」

この病気の恐ろしさは、自分を死に導くこと。
そこから脱出させてくれる精神科医の大変さというのは、私は評価しているが、と言うと、「そうなんですが、結局、患者のことが内科医や外科医たちは分からないからなんだと思うんですよ」とドクター。

「結局、人の心って分かったように思っているだけで、ほんとうに分かるってありえないでしょう?」と突然、深い話を私に投げかける。
「たしかに、共感することはできても、同一化というかシンクロするってことは、ありえないことなのかもしれませんけどね」と私。

生き方論がらみで歎異抄の話をしたら、般若心経っていいですよ、今度読んでみたらどうですか?とドクター。
なんでもすべての仏教の最大公約数というか、神も仏も出てこない経典とのこと。
読みやすいのがたくさん出ていると、ドクター。

「ところで高嶋さん、人の存在って精神が中心だと思いますか?肉体だと思いますか?」とドクターw

そりゃあ難しい問題ですね、両方だろうなと今は思いますが、と私。

病前の私なら、迷わず精神だと答えただろう。
しかし、多田教授の『免疫の意味論』を読み、胸腺という「物質」が脳を支配することを知り、精神をも支配する肉体の存在を理解し、現実の問題として肉体的な疲れが精神に影響を与えることを知った。

さらに「自己」そのものじたい変容するものであり、物理的、生理的な影響を受け、精神それじたいが変容していくものであることを身をもって体験したことなどを話した。

「どうして精神科医というのは、そういう哲学的なものについても考えちゃうわけなんですかね?」との私の質問に対しては、「人間の心理を考えるとき、どうしてもそういう方向にいくんですよ」とのこと。

あっという間の20分だった。
最後に、「私はこういう人間だということ、お分かりいただけましたか?」と言うと、ドクターは笑っていた。

私にとっても、このドクターと知り合えたことは収穫だった。
<わがはからいにあらず>



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3月4日は診察日 [アモキサンの服用効果・診察日]

3月4日の診察日

担当医は病床にある。
前回とは異なる医師だった。
前回のは最悪の医師だったが、今回の方は当たり!だった。

きちんと目を見て話をする。医者として当たり前のことだが。
ときどきニヤリとさせてくれる話をする。

前回は金曜日に受診したらしい。曜日まで覚えちゃいない。
「同じ日に来たほうがいいですよ」、となんとなく棘のある言い方で言う。
そりゃそうだろう。
患者の経過を見ることができるし、そうでなければならない。
何よりも患者と医師の信頼関係は、それなりの継続的な時間が作り出すもの。
骨折を診るのとは訳が違うのだから。
まあ、うつ病も心の骨折ではあるのだが。

早速反論させていただいた。
「曜日によって先生が変わることなど患者は知りません」
そりゃそうですよね、と医師(素直w)
「さらに言うならば、凸凹先生だから通ってきているわけで、曜日によって先生が変わることは、私の責任でも何でもない以上、そのようにおしゃられることは心外だ」と。

どういう反応をするかみてみた。

特に、激情wするわけでもなく、落ち着いて、「たしかに高嶋さんの言うとおりですね。ただ、この病気は経過をじっくり見なければならないですから、同じ医師がいいわけですよ」と。

それはおっしゃるとおり。
しかし、単純に曜日によって医師が変わることなど知らなかっただけで、他意はまったくない。と述べると、なるほど、と。
とりあえず信頼はできそう。

「ところで、この1カ月の様子はどうですか?」との質問。
前回の医師のトンデモなさを考えると雲泥の差。
私は幸運だ。
信頼関係を構築することに徹した。
ていねいに、睡眠時間、うつ病の指標か皆無、週末の疲れ、ごくごく常識的な生活、発症前の自分に戻っていることなどなど。

「高嶋さんは、几帳面な性格ですか?」と聞く。
「いえ、ちっとも几帳面なんかじゃないですよ。背中にはヤクザって彫ってありますよ」、というと、一瞬怪訝な顔。

こちらが笑うと、理解した模様。
話の流れで、いつごろから精神的に回復してきたのかを手帳のメモを見ながら話をしていたことから、几帳面な性格だと想像したのだった。

「決して、テレンバッハのいうところの「病前性格」とは違うと思いますよ」、というと、あれは内因性のうつ病のことであって、心因性の場合には当てはまらないと、急に専門用語を出してきた。

心因性とはなんぞや?と聞くと、きちんと説明をしてくれた。
要するに、外圧によって起きるうつ病のタイプ。
「2つの引き金」が問題だったことを説明すると、なるほど、と。

彼は、私の急激な落ち込みと急激な回復から、心因性を想定するらしい。
おそらく当たっているだろう。
というか、それを心因性と呼ぶかどうかはどうでもよいわけで、自分で「原因」が分かっているのだから。

内因性よりはずっといい。
なぜなら、内因性はさしたる理由などないのにうつ状態に陥る。
ただ、カテゴリカルに分類したところで、たいした意味はないだろう。
心因性だとして、同じようなレベルの精神的な圧迫が起きたら、同じように反応してしまうこともありうる。

おそらくそれに対する対応は、「生き方」なのだろう。
徐々に新しい<生>を獲得しつつある自分としては、それはそれで幸せなこと。

非常に興味深かったのは、「高嶋さん(の話し方、雰囲気)は、いつもそういう感じですか?」と聞かれたこと。
熱っぽく語る様子をみて、そう思ったのだろう。
いつもよりは抑えているがw、「ええ、こんな感じですね」
「このまえ凸凹先生に、双極2型か躁転を疑われましたよw」というと、急に真剣な表情になり、「凸凹先生にですか?」と。

かくかくしかじかで、と話をすると、安心した模様。
まあ、初対面であけすけにさまざまな情報をあれだけ話しまくるというのは、精神科の診察室ではふつうないことなのだろう。

ですから、現状はいつもの私です、と言っても、彼には分からないし、担当医にだって分かるはずもない。
分かるのは家族と友人。
それだけで十分。

面白い話を聞かせてくれた。
彼は、安定剤のレキソタンは「おまじない」程度にしか思っていない模様。
急激な回復はアモキサンのせいだと思っている。

私は違うと思っている。
レキソタンが心の「底」をあげ、無駄な不安感を取り去り、アモキサンが落ち込む心を引っ張り上げる、というイメージか。
そこまで話をする時間的な余裕はなかったので話はしなかった。
ただ、自分の性格からすればプラセボでも現状になったのではないか、と言う友人がいるが、そのとおりかもしれないと思えるフシがある、というと彼は笑っていた。

最後に、気をつけるべきことを教えてくれた。
いつなんどき、再発するかもしれない。
夜眠れない、早朝に目が覚める日が3日続いたら、1カ月先でなくてもいいからすぐに来なさいと。

さらに、眠らずに活発になるようなことがあったら(要するに、躁病相w)、すぐに来てほしいと。

でも、躁病っていうのは、散財したり、ありえない計画だとか無謀な行動とかを平気でしたりすることなのでしょう?と聞くと、「それはもう入院するレベル」だとw。

そうなるまえに対処しましょう、とw

彼は信頼に足る医師だろう。
あっという間に20分が過ぎていた。
巡り会いに、心から感謝したい。
ありがたいこと。

それにしても精神科医というのは、ほんとうに気の毒だ。
常に相手を「病気」という視点からしかみられない。
もっとも、「病気」だからクリニックに通っているわけでw

今度、知人の精神科医にこのネタをしてみよう。
私をよく知るだけに、大爆笑することだろう。
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よくぞまあ持つもんだ [アモキサンの服用効果・診察日]

今日は、昼ご飯をかっこんだ10分以外は、ずっと仕事。
ご飯のあと、ゲラを持ってドトールへ。
コーヒー飲みながら、タバコをくわえながら、赤入れ。

これじゃあ病前と同じじゃんかw

それでも地球は回っていく。
メリーゴーラウンドは、止まらない。
やらんきゃならんもの、仕方ない。

よくぞまあ、心が耐えていると感心する。
たしかに、昨日一日、ほわ〜っと過ごしたけれども。
完全に疲れが取れているわけでもない。
今朝だって、目覚ましで飛び起きた。

とはいうものの、きっとこれも<他力の風>
そういう<風>が吹いているのだろう

そんな風に吹かれてみるのもいいのかもしれない。
テストなんだろうから。

逆に言えば、<風>が吹いているんだから、それに乗っかってしまえばいい。
<風>が吹いているうちに、仕事を片付けてしまえばいい。

物は考えようw
いずれにしても<わがはからいにあらず>
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とりあえず診察日 [アモキサンの服用効果・診察日]

次回から1カ月後。
今日は代診の医師。

あれがふつうの精神科医なのだろう。
患者の顔をみない。
カルテを書くなら、患者がいなくなってからにしろよ、と言いたくなったw

数をこなすのに精一杯なのだろうか。
8時過ぎなのに、どれだけの患者がその後くるというのか。
私の時間を待つ間に、もうひとりの患者。
その患者も、私が処方箋を待つ間に出てきた。

要するに、この代診の医師は、こんな感じの適当な「診察」しかしていないのだ(ろう)。

私が診察室に居たのは、ほぼ2分程度。
これでは、治るべき患者も治るまい。
おそらくこのレベルがふつうの精神科医なのではあるまいか。

さらに、いつもの担当医は白衣など着ていないが、代診医師は白衣。
白衣は権威の象徴。
診察室それじたいが権威であり、医師の世界だろうに。
それだけでは足りないというのか。
白衣という虚構の姿を借りないと、医師たりえないというのか。
権威の力を借りなければ、医師たりえないというのか。

医師はそれだけで十分権威だろう。
いや、権威であるべき存在だろう。
そうであれば、敢えて白衣などをまとわなくとも、十分、診察効果は出るだろう。

私はほんとうに幸運だった。
きちんと目を見て話す医師。
ドアを開けて、椅子に座るまで、じっとこちらを見ている医師。
そんな医師に初診の段階からずっと診てもらえたこと。

すでに症状はなくなっている。
薬は、ずっと同じまま、同じ量。
酒を飲めば飲まないし、ふつうに仕事もしていられる。
回復期を経て、維持の段階にあるのだろう。

ありがたいこと。
なにものかの力が働いているのだとしたら、それに感謝する。
<大いなる力>
<他力>
<わがはからいにあらず>

さて、明日もまた早起きしてしまうのだろうかw

夜明けの前後のあの時間帯のこの街の雰囲気が好きになってきている自分がいる。
思いっきり疲れはたまっている。
目覚ましなしには起きられない状況。

そりゃそうだろう。
ほぼ一日、休み時間もあってないような一週間だったのだから。
電車の中でも校正をするなどということは、ほんとうに久しぶり。
やってはいけないと思いつつ、やらないと追いつかない。

土日もやらなければならない。
おそらくこれも、何かのテストなのだろう。
「やれるはずだから、やってごらん」

そういう風が吹いているのだろう。
私は、そう信じている。

さあて。
梅酒でも、かっくらって寝るか!w

とりあえず、今週も生き延びることができた。
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明日は診察日 [アモキサンの服用効果・診察日]

ありがたいことに、特に書くべきことはない。
いつもと同じw

ふつうに起きて、ふつうに仕事して、ふつうに飲んでw、飲んでw、飲んでw、休みになって、散歩して。

この病気特有の症状がなくなったのは、いつだったのか。
逆に、この病気特有の症状に苛まれていた時期が、極めて短かったように思える。

急激な症状。
だからこその急激な回復。

きちんとアモキサンを飲み続けていることも、この回復に預かって余りあることなのだろう。
もちろん、このところ調子に乗って飲み回っているから、夜の分は飲まないことが多い。
したがって、アモキサンが残るw レキソタンも残るw

それはそれでありがたいこと。

血中濃度が微妙に下がっても、ふつうに仕事をし、ふつうに生活をしていられるということ。
維持治療は1年ほど続くとの文献もある。
それはそれで仕方あるまい。

それはさておき。

先週の土曜日は、休みとはいえ、打合せ2件。
日曜日は3時間ほど仕事。
月曜日から飲み、水曜日も飲み、あやうく今日も飲むところだったw
とりあえず来週に回したがw

さすがに、今週はずっと目覚ましで目が覚める。
疲れているのだろう。
あたりまえだろう。
疲れないほうがおかしい。

というか、それってふつうじゃん?
世の中、そんなもんだろうに。

今日は、早めに寝よう。

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12月21日と1月15日の診察日 w [アモキサンの服用効果・診察日]

服用日記というブログタイトルとは裏腹に、ここんところ診察日の出来事などを書いていなかった。
というか、「症状」は皆無であるし、ふつうに仕事もできるし、なんの問題も起きていないことから、「服用効果」として書くべきこともない。

おそらくそれこそが、「効いている」ということなのだろう。

そんなこんなで、診察日のことすら書き漏らす。
しょせん、アモキサンを飲んでいるおかげだと思っている。
この薬を飲まなくなったときが、「勝負」だと思っている。
そのとき、どんな<風>が吹くのだろうか。

<12月24日分w>
ほんとうは12月24日だったのだが、21日に済ませた。
というのも、薬が3日分ほど不足したので、もらいにいった。
前週から分かっていたが、ギリギリになるまで放置していた。

飲むことが多くなり、飲む時は夜の分のアモキサンは飲まないことにしている。
肝臓にあらぬ負担をかけたくないから。
おそらく大した負担にはならないのだろうが、何が起こるかわからない。

だったら酒など飲まずに薬を飲め!
とヨメの声が聞こえてきそうだが、それはそれ。
おつきあいは人生の大切なアイテムw

抗うつ薬を1回くらい飲まなくても血中濃度が急激に下がるということもあるまい。
なんてことを何度かやっているうちに、アモキサンが余っていた。
もっとも、安定剤のレキソタンは欠かさず飲んでいたから、偏頗な形で薬の数が余る。

前回の診察日のとき、受付のおばちゃまから、「高嶋さん、薬、余ってない?だいじょうぶ?」つまりは、無駄な薬のお金を支払うことはあるまい、ということ。
気を使ってくれた。

1週間分くらい余ってますかね、などと適当なことを言っていたら、レキソタンの量が3日分ほど足りなかった。
そこで3日分の処方箋を書いてもらいにクリニックに出かけたら、診察室へということになり、「どうですか?その後」はい、変わりなく、と答えたら、「じゃ、同じ薬ね。3週間後を予約しておいてくださいね」と、わずか30秒で「診察」が終わったw

なんだか狐につままれたような感じで、診察室を出た。
待合室には、私を含め四人ほど。
このクリニックは予約制のはずなのに、どうしてひとが重なるんだ?

それは薬局のひとが教えてくれた。
お昼頃電話したとき、電話のむこう(つまりはクリニックの)雰囲気が慌ただしかったという。
たとえば、予約時間に遅刻する患者がいたとして、15分くらいならば待つ事があるらしい。その後、診察時間のズレなどで押せ押せになるということがあるらしい。
まして、この日は私もいわば「飛び込み」みたいなものだった。

待合室で明るくするのもなんなので、いちおうふつうにしてみたw
ただ、受付の女性(なぜか、その夜、おばちゃまはいなかった)も、私のなんたるかを知っているから、始終話しかけてきて困ったw
まあ、元気なことはなにより。

ちなみに、うつ病特有の症状に関してはまったくなし。
ふつうにしごとはこなし、飲み、飲み、飲みw、疲れ、寝て、自然に起きてしごとして、の繰り返し。
いったいいつになったら、この薬とお別れができるのか? という気持ちに、そろそろなりつつある。
ただ、ある程度続けて飲み続けるのが、維持治療として一般的らしいから、仕方ないことだろう。
というより、これだけ急激に回復するケースも少ないのかもしれない。

<1月15日>
これといって変わりはまったくない。
大した質疑応答もなく、それでは、ということで「診察」おしまい。
今回も、診察室には人が数名。
いったいどうなってしまったのか、このクリニック。

特に変わりはないだけに、薬をもらうだけのこと。
飲めば飲まないことも多いから、血中濃度は、フルに飲んだときの80%程度か?

アモキサンとレキソタンの量は、変わらず。
律儀に飲んでいる自分が偉いと思う。
あたりまえだ。
別に偉くもなんともない。
自分のからだと心なのだから。

それにしても、アモキサンの残りが多いw
それだけ飲んでいるということか。
ど〜でもい〜がw
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思い出したこと〜体重増加の件 [アモキサンの服用効果・診察日]

以前、アモキサンを飲み始めてから2.5kg太ったと書いた。
年末に計ってみたら、なんと2.5kg減っていた。

なんじゃこりゃ?
ちょっと仕事に力を入れたら、元通りになってんじゃん。

と思ったのも束の間。
大晦日は、ビールとワイン。
正月には大好きなお節とお餅(雑煮)をふんだんに食べた結果、1キロ増えていたw

結局、アモキサンの副作用のひとつとしての体重増加ってのは、私には関係なかったのか?
思えば、この病気になると活動能力が著しく低下する。
もとより食べる量も減る。

けれど、徐々に回復するたびに、食欲が戻り、秋にはおいしいご飯を食べていた。
だから太ったのかもしれない。

というか。
いったん体重は減っていたに違いない。
2.5kgの増加というのは、その減った分を差し引くと、もうちょっと多かったのかもしれない。
いや、いつもの体重とさほど変わらなかったのかもしれない。
増加しても1.5キロ程度(計算、合ってるのか?w)

ともかく。
ふつうに戻っている。
心も戻り、からだも戻り、気分も戻り、読書量も戻り、仕事の量も戻り、但し、仕事への態度は確実に変わって、どんなに忙しくてもきちんと休憩を定時には取るようにしている。

仕事の合間の1時間程度。
一切の仕事から、アタマを解放させる。
本を読んだり、散歩をしたり。

1時間なんて、あっという間に過ぎる。
そして仕事に戻り、ガリガリとやる(病前のように)。
定時プラスαで、「そんじゃ〜」と言って、飲みにいくw

休日には、一切、仕事は持ち帰らない。
仕事のことは、アタマにのぼらない。
努力しなくても、そうなった。

ありがたいこと。
なぜそうなったのか、自分でも理解できない。
アモキサンの力なのだろうし、家族の支えなのだろうし、友人たち、親戚のひとたちのおかげなんだろう。

感謝ポケモンのように、心から感謝する>私を支えてくれるみなさんへ

さてと。
もう寝よう。
じつは酔いは醒めてしまったのだがw
まあ、いつものように床に入れば5分もしないうちに眠ることだろう。
それも病前の私。

それではみなさん、おやすみなさい。
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