アモキサンの服用効果・診察日 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

ひとっ風呂、浴びてきたけど [アモキサンの服用効果・診察日]

さすがに、2週間、みっちりしごとをしたせいか、眠くなってきた。
もうちょっと飲もうかと思ったが、今日は打ち止め。

ちなみに、今夜の分のアモキサンは飲まない。
肝臓に負担をかけたくない。
但し、レキソタン4mgは、もう飲んだ。

明日は、休日!!!!!!!!
ヨメとドライブでもするか?
買物に付き合うか?
はたまた、机の整理でもするか?w
年賀状、作らないとなあ。

ちなみに、22日は、また飲むw
義理の兄貴と。
たぶん有楽町あたりで飲むのだろう。

仕事場の忘年会は、ギリギリまで出来ないだろう。
ってえことは、30日に忘年会?
そんな日までやってる飲み屋なんか、あるのかい?w
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

12月3日は診察日だった [アモキサンの服用効果・診察日]

久しぶりの診察日。
いつものように、担当医からの「さて、どうですか?」という質問から始まった。

質疑応答の内容は、以下のとおり。

睡眠時間は、6〜7時間。時に5時間程度のときもあるが、特に支障はない。
床に就いて5〜10分程度で眠ってしまう。これは病前と同じ。
朝は6時ごろに、目覚ましもかけないで自然に目が覚める。
(それが不思議だが、じつに爽快であること)

頻繁に夢を見るが、よく覚えていないw。
(笑える夢が多い。夢のなかで、「このポイントは3点だよな」などと「まとめ」をしている。でもこれ夢じゃないの?とも考えている。起きてみると、そのまとめの3点など、覚えちゃいない)

早朝覚醒など皆無。
あたりまえのことながら、いろいろ考えるべきことはあるが、こだわらないでいられる。

土日の昼寝はこの3週間にはなかったが、特に疲れたということもない。
このところアルコールを飲む機会が(あまりw)ない。
(今月は、飲む! 誰がなんと言おうと飲む!とは言わなかったw)

うつ病の指標となるような感情は皆無。
日内変動も全くない。
却って午前中のほうが調子がよい日が多い。

夜になると疲れる(あたりまえだw 以前あった「急激な電池切れ」症状は、あのときだけ)。
金曜日の夜あたりになると、疲れる(ふつうかw)。

2ヶ月前からのプロジェクトが、今度の日曜日に終了することの報告。
この間、ある程度無理をしたが、心身になんの影響も生じなかったこと。

これらの心身の状況を踏まえ、そろそろ来週から本格的に(病前のように)活動したいこと。
土日の仕事もありうること。
もちろん無理はしないし、心身のサインは見逃さないことができると思えること。

緊張と弛緩、集中とリラックスができるはずであること。
おそらく仕事に対する姿勢、ポリシーが修正されたはずであること。
それは病気を経たということを踏まえた、いったん心にキズを負ったということを踏まえての修正であること。

生き方論に関する<他力>の話をしようか迷ったが、話がややこしくなると面倒なのでやめたw

いずれにしても、「担当医が7月21日に指摘してくれた、『うつ病克服の最後の問題点は「生き方」につながっていく』、という点について現在考えていること」を話しつつ、とりあえず、読んだ五木寛之の本のタイトル(「他力」「人生の覚悟」「大河の一滴」「いまを生きるちから」)だけをあげていると、担当医、そのタイトルをカルテにメモしながらw、本のことは知っていた模様。

担当医曰く、「どうも五木さんってのは、カッコつけちゃった感じがするんですよね〜」とw。

たしかに、そのイメージは若いころからあったと思うし、いまでも年齢よりはずっと若くみえるのではないか。

担当医によると、五木がテレビで対談をしていたことがあって、五木の髪をかきあげながらしゃべるシーンが、カッコ付け過ぎということに(担当医の世界観からは)なるらしかったw。

「五木さんは、親鸞とかにも詳しいんですよね」と言ったのは、担当医。
(よく知ってるなあ。我が意を得たり!w)

ということで、ちらりと<他力>の話、法然、親鸞、蓮如の話をちらりとしてみたら、担当医曰く、「悪人なおもてなんとかっていうんでしょ?」「(いや、「善人なおもて」、だけど、どっちでもいいですw)ええ、悪人正機説ですね」と受けたら、「キリストは、『私は悪人の頭だ』って言ってるんですよ。同じようなことですよね(そう。そのとおり!って、そうだっけ? 共通項として五木も指摘しているところだったっけ? 少なくとも、罪人(つみびと)、原罪論とはちと違うけど、いっか)」と。

先生はクリスチャンなんですか?と聞くと、然り、と。

いやあ、私も若いころ教会に通っていたことがあったんですよ、なんぞという話をしつつ、私が、「『疲れたひとは私のところに来なさい。私が代わりにその荷物を持ってあげます」っていうようなフレーズ、聖書のなかにありますよね。私は、これがいちばん好きな言葉なんですよ」というと、担当医、即座に机の下から聖書を取り出して、「それはマタイの福音書の一節ですね」。

(おいおい、こりゃ、マジなクリスチャンだぜ、次の診察日は聖書の話をしよう、それまでに一読しとかないとな、などと考えた。精神科医にクリスチャンが居てもなんの不思議でもないのだが、私自身が驚いたのはなぜだったのだろう?)

なんぞという話から、担当医、診察室を出て、このクリニックのパンフレットを持ってきて(そんなのあるの知らなかった)、イラストの聖書にかかわる説明とかをしてくれた。

さらにプロテスタントの宗教観と浄土真宗のそれとの共通点に話が及び、あっという間に30分は過ぎていったw。
診察してるんだか雑談をしてるんだか、さっぱり分からんが、それはそれで楽しい時間。

先月出来た本を持って行った。
「すごいボリュームですね。どういうふうに仕事をするんですか?」という話も出たが割愛w。

最後に質問をした。
来週から本格的に動くにあたり、何か気をつけることはないか?

「もう分かっているでしょう?」と担当医。
それが答えだった。

ありがとうございます。
すべては、先生のおかげです。

結局、年内に1回診察日を入れてもらってお開き。
 アモキサン 朝昼夜各20mg×3=60mg/day
 レキソタン 朝昼夜各1mg×3 就寝前4mg 計7mg/day
は、継続。

順調に回復しているということなのだろう。
今夜は、チョコレートケーキを買って帰った ♡3つ

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

今日は診察日だった〜やっと理解してもらえたようだw [アモキサンの服用効果・診察日]

今日の担当医は、前回より機嫌がよく朗らか。
前回は何かあったに違いない。

この3週間の経過を聞かれる。
睡眠時間は、7〜8時間は確保するよう努力していること。
この病気特有の症状は、まるでないこと。
土日になると疲れが出て昼寝をすること、朝から普通に、調子の悪いときもあれば(二日酔いのときw)、普通に普通のときがほとんどでw、などと冗談を交えながら話す。

お酒は、週にどれくらい飲んでますか?と担当医。
週に1回くらいで、量的には500ミリリットル程度の生ビールくらいですかね、と答える。
徐々に量が増えていることは、言い忘れたw

今回の診察で、やっと「私のなんたるか」を分かってもらえた様子。
つまりは、生来の陽気さ、元気さが病前の私であることを担当医が理解した模様。
前回は、躁転あるいは双極2型を疑ったわけだが、直後のヨメとの会話をファクスで送ったことについて、コメントしてくれた。

「いい奥さんですね。」
「雰囲気のいいご家庭だと思いますよ。」と。

つまり、患者である伴侶の言動をきちんと把握し、病気の症状のときと比較した現状を的確に表現できる妻である、ということなのだろう。
(えらいね>ヨメ ほめられちったよw)

「単に、『前と変ってないわよ』って言っただけなんですけどね」と答え、2人で笑い合った。

ありがとうございます>担当医
たしかに、ヨメは、いいヤツです。
結婚したころ、我々をよく知るひとが、「妻の鑑、夫の曇りガラス」と評したのは、やはり当たっていたのだろう。

私が、現在進行形のプロジェクトについて報告。
担当医は何やらカルテに書き込んでいた。

ほかに、何かありますか?と担当医。
これからの生き方について、こんなこと考えてるんですよ、と私。
要するに、安保先生の免疫学の本で学んだことを実践しようと思っている話、生き方を変えるチャンスを与えてくれたと、この病気に感謝するくらいに考えている話をすると、担当医、うんうん、と頷いて、「意欲も出てきてますね」w

だ〜か〜ら〜。
その点は、もう解決済みでしょ?と思いつつも、「はい、おかげさまで」と答えた。

結局、薬の量は変らず。

処方箋をもらうとき、受付のおばちゃまが、「凸凹さん、なんで(次の診察日が)3週間なの? 4週間じゃないの?」と私に言う。

「それは先生がそうおっしゃったからですよ」と私。

おばちゃま、診察室に向かって、「先生! 凸凹さん、なんで4週間じゃないんですかあ?」。
担当医、出てきて、「うん。まだ3週間でいい」と理由にならない理由。
(いや、むしろその堅実さというか、手堅さが信頼を倍増させる、と私は思うのだ。世の中、何が起こるか分からない。いまは調子良く回復しているようにみえても、何かの拍子に、あるいは何の脈絡もなく、あの灰色の世界がやってくるということを担当医は経験的に知っているのだろう、と思う)

「いや、いいんです。先生とお話してると楽しいし、いろんな勉強になりますしね」と私。

「そんなこと言うと、先生、喜んじゃうわよ」と、おばちゃま。
「だけどね、こんな少ない量で、こんなに元気になるひとって珍しいわよ。」と、続ける。

アモキサン60mg/dayが、多いのか少ないのか私には分からない。
しかし、門前の小僧ならぬ門前おばちゃまが言うのだから、そのとおりなのだろう。

「ほんとうに先生には感謝してるんですよ、私は」と言うと、「そうよね、あの日(7月21日)の凸凹さんって、ほんとうに辛そうだったもんね」と、私のことをよく覚えていてくれている。
それもまた、ありがたいこと。

要するに、「この期間でここまで回復するのも珍しい」ということらしい。
ありがたい。

「凸凹さん、太ったりした?」と、おばちゃま。
「ああ、なんかアモキサンって太るらしいですね。私は2.5キロ太りましたけど」
と私。
「そんなのふつうじゃない? それくらいの(体重の)上下は、私だって、ふつうにあるわよ」とおばちゃま。
「1ヶ月で7キロ太っちゃったってひと、いるのよ」という。

「どうやればそんなに太れるんですかね?」と私。
「わかんないけど、(患者さん)そう言ってたわ」と、おばちゃま。
(ちなみに、kyupin先生のブログのコメント欄(「16 ■アモキサンの代用は」の方)には、「体重が10キロも増えた」というのが書いてあった。どれだけの期間でかは不明。)
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10031772836.html

googleで「kyupin アモキサン 体重」で検索したら、当然のことながら、kyupin先生のが一番上に来る。
ところが、私の「服用効果:amokisan服用日記:So-net blog」が4番目に来ていたのには笑えた。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/archive/c2300697244-1 

次回は12月3日。
「もう年末なんですね〜」と私がいうと、「ほんと、早いわよね。でも、凸凹さんの回復も早いのよ。」と、おばちゃま。
「でも、あの日、先生は中程度のうつ病ですね、って言ってましたよ」というと、「まあ、そういうふうに言うもんよ」と、おばちゃま。
(マジかよw)

何よりも、クリニック全体が私の回復を祝福してくれているようで、嬉しかった♡。
帰り道、一度入ってみたかったケーキ屋さんのアップルパイのホールを買って帰った。
4等分は、デカいぞw
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

分かってくれとは言わないが〜久しぶりの診察日〜飲み始めて3ヶ月 [アモキサンの服用効果・診察日]

3週間ぶりの診察日。

いつものように、「その後、どうでしたか?」から始まる。
最後の質問は、「それで、奥さんはどう言ってますか?」だった。
(聞いた時、何を聞かれているのか、質問の趣旨、意味が分からなかった)

今日の会話の途中経過は、以下のとおり。

担当医からの質問に応じて私が、「気分↑、情緒ふつう、集中力↑↑、意欲↑↑、継続する力↑↑、その他、認知、行動力は、この病気になる前と同じくらいに復活していることを感謝の言葉とともに、まず述べ、前回からの具体的なエピソードをさらりと。
そして、これからの計画(あれをこうして、ああして)等について、(前回も話をしたよな?と思いつつ)述べた。

(先生、あの会話、忘れちゃったのかな? 患者さん、たくさん抱えてるだろうし。けれど、この前の診察のとき、カルテに何やら書き込んでいたのになあ。などと併せて考えつつ、話を進めた)

睡眠時間の質問については、7〜8時間程度と正直に答えた。
ときに、6時間弱程度にもなるが、と言い添えた。

さらに、最近考えていることについて触れた。
病前性格と自分の異同。
今回の発症の誘因の分析。
さらに、この病気が再発しないために、考え方、物事の捉え方、行動、対応(精神的なものも含め)、つまりは「生き方」をどうしていくかについて考えはじめている、と述べた。

ほう。どういうふうにですか?と担当医。

たとえば、これまではいつもいつも仕事のことばかり考えていたけれど、そこから離れる日を作るとか、これがダメでも、別な方向性を常に考えておくとかという基本的な考え方、という意味です(って、ごくごくあったりまえのことじゃん)。

という趣旨のことを具体例を交えて答えた。

ひとしきり、質問と答えが終わって、最後にこちらから、2つ質問がある、と私。
第1に、飲酒と抗うつ薬の関係について。
担当医、「生中」のことを知らなかった。
これには驚いた。
アルコールは飲まないのか?って、別に飲まないひとも居れば、飲めないひともいるわけで。
だいたい500ミリリットルくらいの量の生ビールです、と説明すると、その程度ならば、特に肝臓には問題ないし、抗うつ薬との関係も問題なし、とのこと。

ラッキー!
(というか、もうすでに飲んでいるのだけれども)

第2に、自動車の運転と抗うつ薬との関係。
現状では、決まったルートで母親のところに出かけるくらいだ、と説明をすると、これまた特に問題はない、とのこと。

第2の質問については、実のところ、躊躇した。
なぜなら、薬の注意書きには、「自動車の運転には注意する」と書かれているし(そのことには敢えて触れなかったが)、例の名古屋大学の尾崎教授の論文のことも念頭にあったし、ある種、「お墨付き」を与えさせてしまう質問になりはしまいか、という懸念もあったから。
※尾崎論文紹介
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03-1
※尾崎論文批判
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

それはさておき。
現状では、病前の自分に戻っている、と主観的には思っている。
ところが、担当医は、やはりアモキサンによる躁転ないし、双極2型ないし躁うつのきざし?を疑っていることが、みえみえ。

担当医の最後の質問である、「それで、奥さんはどう言ってますか?」は、あまりに元気で論理的かつ積極的な私が、家族の目からみて、おかしいと思うかどうかの質問だったわけだ。

先生、ご心配なく。
ただ、「もともとの私は、こういう人間ですから」、などと患者本人が言ったところで、「疑惑」は晴れまい。
苦笑せざるをえないが、アモキサンを飲んでいるかぎり、患者本人がどう説明しようと、担当医としてはそれを考えざるを得ないのだろう。
そのあたりは、仕方のないことと割り切ろう。

帰宅して、今日の話をヨメにしたら、「(病気になる)前と全然変わってないわよ。躁になんかなってないと思いますよ」とのこと。

ほっとした自分が、いた(苦笑)。

いちばん身近な存在が、私の復活を感じていてくれることが、なによりも嬉しかった。
(っていうか、こんなちっぽけなことでも、抗うつ薬を飲むと、また、医師という専門家に疑われると、なんとなく心の居心地が悪いのはなぜだ?)
(オレはオレだ。誰が何と言おうと元のオレだ、と盤石の自信を持っているくせに)

もとより、投与されている薬を自分で止める気など全くないし、担当医から止めてよいと言われるまで、飲み続ける覚悟はできている。

第一、現在のように「元に戻れた」自分だって、アモキサンの影響下にあるからなのだろうから。たぶん。
アモキサンを止めた途端に、灰色の世界が絶対に再現されないと断言できる自信などない。
(いや、たぶん飲まなくても大丈夫なんじゃないか、という気持ちは、心の片隅にはある。だからといって、薬を勝手には止めないことは、当然のこと)

(それに、3ヶ月程度経過すると、だいたいにおいて症状は回復するのがふつう(そうじゃなきゃ、薬の意味はない)だろう。そうすると、自分勝手に服用を止めてしまう患者がいるらしい。バカじゃないかと思うが、それも自己責任)

20分程度の診察時間で、私のなんたるかを分かってもらえるほうが、むしろおかしいとも言える。

結局、処方は変わらず。
朝昼晩 アモキサン10mg × 2 = 20mg 計60mg/day とレキソタン1mgずつ
就寝前 レキソタン2mg × 2 = 4mg 計7mg/day

同様の投薬ということは、完全に回復期から維持治療の段階に入り始めたということだろう。

そして、今日の教訓。
診察室では、患者らしく振る舞うべきだ、ということ。
精神科(神経科だったか?このクリニック。どっちでもいい)の診察室では、無駄な明るさは、却って疑惑を生む。
苦笑。

そういえば、このアモキサンを飲み始めて、ちょうど3ヶ月経ったんだっけ。
おそらく、担当医とすれば、これだけの時間に、ここまで回復するケースが少ないのかもしれない。
そうだとすれば、担当医の「疑惑」もやむを得ないことなのだろう。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

アモキサンは切れがいい? [アモキサンの服用効果・診察日]

kyupin先生のブログ
「ルジオミール、アモキサン、アンプリット」の項(これはアンプリットという薬を中心にした記述だが)
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10031772836.html

先生によれば、アモキサンは、「強いノルアドレナリン系の作用を持つがセロトニンにも少し作用がある。」とのこと。

「ノルアドレナリン系の作用」の意味が分からず、検索。
どうやら、「意欲」に関係するらしい。
なるほど。

7月21日以来のアモキサンとレキソタン。
服用によって、急に、この病気特有の不安感が感じられなくなった。
その効果を実感し始めたのは、1週間もかからなかったろう。
レキソタンのおかげか?

当時のメモには、服用後3日目に、「ダークな思念からの解放、トランキライザーのおかげ?」だとか、「レンドルミン飲まないと、起床時スッキリ」などと書いてある(どうも、レンドルミンという睡眠薬は、私には合わなかったようだ。そもそも、担当医からは、必要がなければ飲まなくてよいと言われていたので、あっさり服用放棄)。5日目には、「体が軽くなった」とも。

8月4日には、本を2冊買っている。
意欲が出はじめていたのだだろう。
今となっては、なんの問題もないが、当時では、本を読むには、相応の集中力を必要としたはず。

おかしかったのは、3回目の再診時、つまり初診から6週間後、担当医と話をしているとき、あまりの「意欲」的な話し方によって、「躁うつ」が疑われたこと。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-03

もっとも、kyupin先生の上記ブログによれば、アモキサンの服用は、「プチ躁転(いわゆる双極2型の軽躁状態)」を起こすこともある、とのこと。

この双極2型というのは、めんどくさいうつ病らしいが、よく分からない。
「双極2型」でググってみたら、引っかかったのは、顔写真(本人かどうか知らんが)付きの臨床心理士の方のブログ。
http://kasega.way-nifty.com/nikki/2009/09/-ii-3-1824.html

申し訳ないが、何が書いてあるのか、何が言いたいのか、一読しようにも、すぐにはよくわからない。
おそらく、私の読解力と理解力不足のせいだろう。

冒頭には「書評」とあるが、途中で、「解説」が始まり、別の著作の解説があったかと思うと、突如自説(のようなものが出てくる)あたりで、勘弁してください、というところで、一読は放棄。
ギブアップさせていただいた。

要するに、「プチ躁転」というのは、「(異様に、あるいは異常なまでに)元気になっちゃう」、だから病的な元気さ、但し、いわゆる躁うつ病のような躁病相とは違って、激しい落ち込みのうつ状態に対するアモキサンの効果として出てくる反作用のようなもの、という理解にしておこう。

ラッキーなことに、私のはその「プチ躁転」ではなかった模様(というか、それでは困るが)。
(もっとも、元々、「プチ躁」気味な傾向があって、アモキサンによってそれが引き出されたのか?よくある、双極2型が抗うつ薬で、真の姿を現すといわれるケース。しかし、その想像はおそらく間違いで、うつ病の症状によって隠れていた外向的な性格そのものが、アモキサンによって「復活」したにすぎない。)

さらに、ラッキーなことに、アモキサンの良い所ばかりが出て来ている(ような気がしてならない。いや、そういう気持ちになることじたいが「プチ躁転」なのだ、と言われたら、これは水掛け論の無限ループ。)。

ただ、週末になると、疲れがどっと出るのは、まあご愛嬌というところだろう。
「躁」であれば、疲れなど気にせず、とにかく精力的に活動するというし。自分の場合は、違うようだ。

問題は、週末の休みもなしに、ずっと動かなければならない状況に追い込まれたとき。
まだまだ、薬でアタマの中が擬似的に整序されつつあるだけで、本格的にセロトニンだかノルアドレナリンだかが、出てきているわけではないのだろうから。

それにしても、アモキサンという薬。
kyupin先生に言わせれば、「その効果の速さと切れ味の良さに感動する。」というのだが、たしかにそうなのだろう。
ありがたいこと。
担当医のアモキサンとレキソタンの処方に感謝。

笑ってしまったのは、kyupin先生の以下の文章。
(アモキサンを処方されたことで)「本人は、精神科に来たことや僕にとても感謝する(プチ躁転している状況は、もちろん素直に喜べない)。」

なるほど。
私も、担当医に感謝の言葉を述べたから。
けれど、それは心からそう思ったからであり、病的な感謝ではない。
それは、担当医も理解してくれている。

思うに、「プチ」だろうが「真性の躁うつ」だろうが、「双極2型」だろうが、その行動によって周囲に迷惑がかかったり、自分の蓄えを無駄に消費してしまったりする点が、「病」的なものと言われるゆえんだろう。

「プチ」などと名前を付けても、病気は病気。
その名称ゆえに、病としての深刻さを感じさせない軽い響き。
おそらく、俗語なのだろうが、本質を隠す意味で、よくない用語例のひとつだろう。

うつ病にも、さまざまなタイプがあるってことなんだろう。
私には分からない世界。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ほぼ1ヶ月ぶりの診察日 [アモキサンの服用効果・診察日]

今日は、9月3日以来、約1ヶ月ぶりの診察日だった。

●担当医との会話
ひとしきり、この1ヶ月の出来事、変化等について話をして、質問に答えて、あれやこれやのやりとりがあって、現在の私の精神状態を把握してもらって、話を終わらせようとしたとき。

就寝前のレキソタン4mgについて、以前から、微妙なさじ加減ではないかと思っていたので(つまり、午前中の精神的な不安定さをなくすために夜、飲ませる)、それを聞いてみた。

「なんか、職人技みたいな、先生のさじ加減という気がするんですけど、どうなんですか?」
担当医、嬉しそうに、「そうです。そのとおりです。(分かってくれた? みたいなかんじ)」

ついでに、「最近は、SSRIとかいう新薬を処方する医師が多いみたいですよね。特に大学病院とかの若手の先生は、だいたいそんな処方みたいですが、先生は、どうしてアモキサンなんですか?」と尋ねてみた。

別に、アモキサンだけを処方しているわけではない、とのこと。あたりまえか。
いくつかの薬の写真を見せてくれて、「これ(パキシル)とか、これ(ジェイなんとか)もよく使いますよ。ほかにも、これ(あとは、覚えていない)も、これも。ただ、(患者さんに薬が)合わなくて、結局、アモキサンになったりもしますけどね」と。

続けて、
「ただ、パキシルは、やめるときが難しかったりするんですよ。(あなたが来る)ちょっとまえにも、1回飲み忘れたら頭痛がする、と電話してきた患者さんがいましてね」とのこと。
そんなもんか。1回くらい飲まないだけで頭痛がしちゃうのか?
それって、過敏すぎないか?
(まあ、ひとそれぞれ。他人の病には口は出せない)

私は、薬がよく効く体質だったのかもしれない。
副作用といわれるものもないようだし。

「どうしても、副作用のことがいろいろありますからね。難しいもんですよ。」と、担当医。
「そりゃあそうですよね。人の心を動かすような薬を処方するんですから、お医者さんも苦労しますよね。」と私。

医者から、「そういえば、アモキサンを飲むと太るようなんですけど、凸凹さんは、どうですか?」と聞かれた。

正直に、7月21日以来、2ヶ月で2.5キロ太った、と話した。
「これが10キロ太っちゃうという副作用だったら、気にもしますけど、仮に副作用で体重が増加するんだとしても、これくらいならば、なんの問題もないと、私は思いますよ。あんな嵐のような心にならなくて済むんですから、これくらいの副作用、どうってことないですよ。」と私。

「(林先生のサイトの記述を思い出して)代謝が変わっちゃうからかもしれないとか、どなたかが書いてましたけど、どうなんですか?」と聞くと、担当医、よくわからないとの答え。

まあ、重篤な副作用(衝動性、加害性、自殺等)ならば、医者も厚労省も気に懸けるだろうし、マスコミも大騒ぎするだろうけれど、(単なる)体重増加あたりだと、便秘くらいのかんじで、製薬会社も、医師も、対応への真剣さはないだろう。
これが、小錦くらいにまで体重が増加する患者が続出したら、それは真剣に対処せざるを得まい。

ただ、うつ病の患者は女性が多いというから、女性にとって体重増加は、大変なことなのだろう。
(もっとも、太っているとか痩せているとか、女性は、何を基準にそう思うのか? 芸能人? モデル? 彼らは、「選ばれし」ひとたち。それを基準にするほうが、間違ってると思うが。それともBMIの数値? あれって、日本人に合ってるのか? まあ、他人の体重。どうでもいいか)

私の場合は、アモキサンを飲む前の2ヶ月あまり、食欲がまるでなかったし、1日1食とかだったりした日も多かったところ、飲み始めて1週間か10日くらいから食欲が出て来て、よく食べられるようになった。

別に、食欲だけが戻ったわけではなく、この病気特有の、そこまで考えなくてもいいじゃないか的なマイナス思考も、アモキサンとレキソタンの服用を始めて、劇的に影を潜めはじめたことに驚いた時期だった。

今は、ふつうの食欲だし、栗ごはんだの、なんだとのご飯は美味しく食べられる。
だもの、抗うつ薬が効いていれば、太るに決まってるじゃないか、と思うが、違うか?

痩せて、無表情で、暗い顔をしているのと、多少太っても、心が穏やかなの、どちらを取る?と効かれたら、私はためらわず、太るほうを取る。
などと、話をしていると、

「最近の若い医師は、そもそもアモキサンなんて知らないんじゃないかな?」と担当医。
「薬屋さん(プロパーのことだろう)は、(パキシルなどの薬の写真を指しながら)どうしてもこっちとかを持ってきますからね」と言いながら、いろんな薬の価格が書かれた一覧表を見せてくれた。

アモキサンは、7.7円。パキシルとか、ジェイなんとかは、3桁の金額だった。
驚くべき金額の差。
思わず、「どうもありがとうございます。アモキサンにしていただいて」などと、つまらぬお礼を言ってしまった。
通院先は、院外処方だが、当然、薬局からのバックマージンくらいはあるだろう。

薬価のことだけを考えたら、病院としてはそれを処方するほうが経済合理性に叶う、というか儲かるし、製薬会社も万々歳。しかし、患者の負担と健保組合の負担は、反比例。

それでいて、SSRIについては、「抗うつ薬の功罪」なんぞという本が出てしまって、効くの効かないのという論争が起きている始末。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-19-2
いったいどうなるのだろうか? SSRI
まあ、私には直接関係ない話。

そんなことはともかく、
この1ヶ月のことをまとめておくはずだった。
このブログを書き始めたのは、アモキサンによってどういうふうになっていくかを記録することが、きっと将来の自分に役立つと思ったからだったっけ。
(最近、書くのが面白くなっているのは、とうとう私もネットジャンキーになってしまったってことか?)

この医者との会話も面白い。
そう。
彼は、私が診察室のドアを開けて入るときから、こちらをじっと見ている。観察している。
そういうところも、私が彼を信頼する要素のひとつ。
ほんとうに良い医者に巡り会えたものだと、つくづく思う。

●情緒・感情
受診前の「不安感、卑小感、世の中には私ゃ不要な存在感、やる気↓、意欲↓、無表情、やたら眠い、バカになったんじゃないの?と思えるほどの知的、情緒的レベルの低下、思考力↓、集中力↓」それに加えて、この病気特有の、この世から消え入りたい感情などの恐ろしい症状は、現状では影を潜めてくれた。

●意欲・行動、昼寝
意欲と行動力は、以前のものに戻っている。
ただ、9月当初は、疲れ易かった。
「この病気は、三寒四温」とは、ほんとうに言い得て妙。
疲れは数日後にふと、出て来ていた。

このシルバーウイークの間も、それなりに(いや、かなり)、なにやかやとやっていたのに、現状では、なんとかなっている。
もっとも、26日の土曜日は、午前中、散歩に出かけ、お昼ご飯のあとで、久しぶりに昼寝をした。
疲れやすくなった気はするものの、それが出てくるのが週末という都合のよいスパンになっている。

昼寝。
一週間の疲れを癒す土曜日の昼寝。
これこそ、待ちに待っていたものなのではなかったか。

微妙に、心のエネルギー(集中、実行、意欲向け使用分)と、エネルギーの蓄積分、補充分とのバランスが取れてきているということか。
この病気特有の、午前中、調子が上がらないということも、なくなっている。
かつてのような徹夜しごとは、どんな理由があろうと絶対にしないようにしている。

●「心が折れる」ということ
もとより、安心はしない。
ただ、「回復力」の畑村洋太郎氏ではないけれど、「最悪の事態を予想する」行動は心がけるようになった。

まだまだ回復途上にあることも、織り込み済み。
なんといっても、こんなに自分が弱い存在であるとは、思ってもみなかった。
「心が折れる」ことが、こんなに辛いものだとは思ってもみなかった。

あたりまえながら、努力なんぞで解決できないことは、世の中にたくさんある。
けれど、与えられた条件の中で、精一杯やらなければならないわけで。
その達成感が、個人的には、ざまみろ!やったぜ!的で面白くて、しごとをしていたわけで。
ところが、世の中はそんな個人の考えや努力など、お構いなしに、動いていく。

そんな当たり前のことはともかく。
誰のものでもない自分の心の中で、自分ではどうしようもできないことが起きる(実際には、思考が滞る、バカになったんじゃないかと思えるほどに、決断できない、動けない)ことを、初めて知った。

●夢を見ないのはなぜだ?
もうひとつ。
ふと思い返すと不思議なこと。
この2ヶ月と少々、「夢」を覚えていない。
見たはずなのに。たぶん。
夢は確か、レム睡眠のときに見る。
ノンレム睡眠は、脳が休んでいるとき。
逆だったか? どっちでもいいけど。

少なくとも、脳が休んでいれば、夢はみないはず。
依然として、脳は疲れているというのか?
単純に、見た夢を覚えていないにすぎないのか?
布団に入ると、すぐに眠れている。
ほぼ5分か10分後か。

これは、病前の私、そのもの。
そして、すぐに朝が来る。
なぜか、もったいないような気がする。

筒井康隆のSFを思い出す。タイトルは忘れた。
あるサラリーマンが、朝起きて、出勤して仕事して、疲れて帰って、寝る。
夢を見る。
その夢の内容が、朝起きて、仕事して、疲れて帰って夢を見て、起きる。
その繰り返し。

怖い夢だ。「走る取的」も怖かったけれど、こっちもシャレにならない。
でも、主人公は夢を見たことを覚えているのならば、心の中は正常に機能しているのだろう。
さまざまな出来事を、適宜、どこかに整理し格納しているのが夢であり、こころにとっての睡眠の最大の機能なのだから。

●「回復」とは?
不思議なことに、私はこの病気特有と言われる「早朝覚醒」というのを、さほど経験していない。
(しかし、私は本当にうつ病なのか?)
もともと「過眠」によって、それ以上の心への甚大なダメージを避ける、防衛回路みたいなところが、私にはあったのかもしれない。

初診前の時期は、朝、目が覚めたときに、すぐに起きられず、あ〜でもない、こ〜でもないと思い煩うことがあり、それもイヤになって、というより困って、医者にかかった。

抗うつ薬を飲んでからというもの、それもなくなった。
すっきり起きている。
就寝前4mgのレキソタンのおかげ?
職人技の担当医のさじ加減?

あるいは、行動と睡眠のバランスが、ほどよく薬で調整されているということか。
だとすれば、どちらかのバランスが崩れると、怖いことになる。
もっとも、幸いなことに、現状ではその兆候は、ない。
少しずつ、少しずつ、「疲れ」と「行動」のバランスを取りつつ、薬の力を借りながら、回復に向かっていけばいい。

ところで、「回復」ってなんだ?
あの疾風怒濤というか、この世のものとは思えない灰色の世界が心を支配しないこと、が回復なのか? それも、薬を飲まずにという限定つきで。

「うつ病の再燃と再発」論文によれば、
http://www.fuanclinic.com/byouki/a_21.htm
「回復状態とは正常気分が4~6ヶ月間続いた状態である。回復とは寛解とは質的に異なった状態である。」という。「寛解とは病前の機能レベルに達すること」とある。

「正常気分」
少なくとも、8月の後半以降は、正常気分だろう。
ただ、心の疲れ、疲れが顔に出てしまう週末のことを考えると、単に「気分」だけの問題で回復かどうかを決めるのは、違うと思う。

とはいうものの、そういう「疲れ」じたいとの同居こそが、今後の「回復」であり、この病気を経てしまった人間の「寛解」というものなのだろう。
元の自分とは違う自分。

そして、この薬が終わったときこそが、ほんとうの回復かどうかがわかるのだろう。
薬なしでの仕事と生活。
どんなものなのだろう?

●回復過程から維持療法の過程へ
薬との分かれは、来年?
いや、当分、飲み続けるのか? 

上記論文によれば、「薬物療法の経験的研究レビュ-によれば、再燃は治療反応が最高レベルに達した後の4カ月間に断薬した場合特にその頻度が高く40~60%に達する。一方、継続療法期の再燃率は10~20%である。ピッツバ-グ大学の研究では、IPTと薬物療法を併用し、4ヶ月の観察では再燃率は5%であった。」(なんじゃこのIPTってのは?)

勝手な断薬など、私にそんな度胸はない。
いつまで投薬が継続されるか?
そんなことは私を観察した医者が決めること。
決めるのは私ではない。

●処方
結局、いつもと変わらず、
アモキサン(20mg(=10mg × 2)3/day)とレキソタン(1mg × 3/day プラス就寝前2mg × 2)

●受付のおばちゃまとの会話
「そういえば、凸凹さん、まだ(通院を始めて)3ヶ月経ってないのよね。元気になって、よかったわね。」

私:「ええ。おかげさまで。それも、あの日、(あなたが)ケータイの番号まで聞いてくれたおかげですよ。そのことは、ほんとうに感謝してます。」

おばちゃま:「あのとき、急にキャンセルが出たのよね。凸凹さん、ツイてたのよ。」

私:「そうかもしれません。それと、きっと▲▽先生が、名医だからですよ。それも、ツキのひとつかもしれませんね。」

と、笑顔で受付を後にした。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

間に合ってよかった [アモキサンの服用効果・診察日]

アモキサンとレキソタンのおかげで、味覚も元に戻ったし、食欲も以前と変わりなくなった。
ほどよく薬が効いているのだろう。

栗ごはんが、ことのほか美味しい。
早生のみかんの酸っぱさと甘さが、心地よい。
(今年の早生は、甘さがある。早生みかんは酸っぱいという記憶があるのだが)

味覚の秋。

間に合ってよかった。
Thanks > ヨメ
Special Thanks > 担当医
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ちょうど2ヶ月〜Since 21.July [アモキサンの服用効果・診察日]

7月21日に初診を受け、アモキサンとレキソタンを処方され、飲み始めて2ヶ月が過ぎた。
2週間後から、その量は変わっていない。
   アモキサン 毎食後10mg × 2
   レキソタン 毎食後 1mg × 1、就寝前2mg × 2

初診日に、「心に傷が出来ているのと同じこと」「体を休めることは心を休めることにつながる」「とにかく、体を休めなさい」「自分のやりたいと思ったことをすればいい」「出かけたければ出かける、家に居たければ居ればいい。寝たかったら寝なさい」などと、こちらが反発するような言葉の連打。

なぜなら、一刻も早く、あの絶望的な心の気分の落ち込みと、体のだるさ、何をする気も起きないダメ人間から、抜け出すための薬をもらいに行っただけのつもりだったのだから。

薬さえ飲めば、すぐによくなると勘違いしていた。

初診の日、副作用の発現と抗うつ薬の効果が現れるのにはズレがあり、最初に副作用がでるかもしれないから、気になることがあったら連絡するように、とのことだった。

当時、便秘や口の渇きとかの説明を受けたか記憶にない。
「体に変わった事があったら、すぐに連絡をするように」だったような気がするが、まあ、過ぎたこと。

帰宅後、薬を調べてみて、さまざまな副作用があることを知った。
ただ、その何%に自分が入るとは、思わなかった。根拠はない。
幸い、副作用というものは出ず(1回だけ便秘になったことはあるが、果たしてこれは薬のせいなのか、仕事のプレッシャーだったのか不明。第一、副作用ならたったの1回ということはあるまい)。

不思議なのは、不安な気持ちが先に和らぎ、体の強ばりが解けたこと。
体が軽い感じになり、無意味な過去のエピソードを思い返すことがなくなった。
安定剤の影響だろう、それまでの起きる直前、布団のなかで、あれやこれやと考えることがなくなった。

このことは、強烈な体験として記憶に残っている。
気持ちの方向が、現在およびその先に向くようになったこと。
1週間後あたりから、気持ちも上向いてくる。
「意欲面」は、以前の元気いっぱいな私とまでとても言えないまでも、集中力、持続力は徐々に元に戻り始め、服用以前の「お先真っ暗、人生おしまい」的なマイナス思考は、ほぼ影を潜め始める。

このことが不思議だった。
カプセル2つと小さな錠剤で、こんなにも気分が変わるということ。
初めの頃は、安定剤のほんわかした気分と、効き始めたアモキサンの元気な気分が同居するような不思議な感覚もあったが、1ヶ月を過ぎると、それらは融合し始める。

仕事、ある計画をあるひとと相談しました、これもやりたいのですがどうでしょう?、こんなことを仕事外でやりたいんですけど、などと担当医に言って(行動については、きちんと担当医に知っていて欲しかったし、場合によってはストップがかかることも前提としていた。)、躁うつ病の躁病相と間違われたことがあった。
しゃべり方のテンポ、明るさ、声のトーンなどは、元の自分に戻っていたが、担当医は、元の私など知る由もない。
まして、アモキサンを飲んで、快活に、あれやこれやと計画をしゃべる。
どう考えても、うつを通り越して、正常レベルも突き抜けて、躁に入ったと思うに違いない。

しかし、仕事を集中して2日やった3日目は、土曜日だったこともあり、午後まで眠り続けたことを告げると、担当医は躁病相にないことを納得した。
浪費するほどのカネはない。
もっともクレジットカードを使って散財することは可能なのだが、そんなことヨメが怖くてできるはずもない。
友人に電話をしまくるわけでもなし。ヨメ、ケータイの振替通知書(使用量を書いてあるヤツ。正式名称、なんていうんだ?)を毎月チェックしてるみたいだし。

睡眠時間は、ほぼ7〜8時間に安定。
初診日にもらった2週間分の睡眠薬のトレドミン0.25mgは、いまだに半分余っている。

あとは、「持続可能なエネルギーの常時補給」というところか。
現状は、アモキサンあっての活動的な自分であり、心の健康なわけで、幸い、再燃することもなく回復期を順調に過ごさせてもらっている。

もう2ヶ月たったんだ、と思う半面、やっと2ヶ月たった。
少なくとも、生き延びた。
あの「死」に一番近いどん底の気分(正確には、どん底の一歩手前と、どん底後)から、なんとか這い出してこれた。

過ぎてしまえば、ほんの昨日のような気分だが、受診以前の気持ちを考えれば、2ヶ月という期間は必要な時間なのだなと思う。

まあ、日曜日だっていうのに、こうして朝も早くから起きられるようになったわけだし、こんな時間から書くのは初めてじゃなかろうか。

さて、朝ごはん。

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

喜怒哀楽 [アモキサンの服用効果・診察日]

7月21日からアモキサンを飲み始めて、さまざまな変化が心と体に起きた。
それまで毎食後10mgのカプセルが1つだったのが、2週間後の8月6日から、もうひとつ追加で、計20mg。
つまりは、60mg/day(ほかに、毎食後レキソタン1mg、就寝前に同2mg×2、計7mg/day)。

いやな感情はとうに陰をひそめた。もちろん、たまに、ふと思い出すエピソードがあるが、しごとにまぎれてしまう。そんなことは、ごく正常な脳の活動だろう。それがうれしい。

お笑い番組をみていて、笑う自分がいる。
家族と冗談をいう自分がいる。
本を読み、感動し、胸がいっぱいになる、以前と同じ自分がいる。

あとは怒りの感情か。
特に朝、駅の階段を歩いていて、目の前のひとの前が、なぜか空いているときがある。
目の前のひと(女性に多い)は、たいがいケータイをしている。
イラっとくる。

徐々に怒りの感情も戻って来ているようだ。
イラついてよいことなどないはずなのだけれど、以前の自分に戻って来ているようで、なぜかうれしい。

ヨメが蕁麻疹になった。
私の病気のせいか?
それとも、何年かにいっぺんくらい出ていたことがあったから、それの再来か。
両方だろうな。

それはともかく、ストレスで蕁麻疹なんか出るのか?と思って、「蕁麻疹 じんましん ストレス」でググる。
驚いた。

うつ病で出てくる「いい加減サイト」なんてものじゃない、ものすごい数の「スパムサイト」ばっかりじゃないか。医療機関や薬剤師あたりが書いているサイトを探すのに苦労する。

イラっとくるどころではなく、邪魔すんな、こっちはまともなサイトを探してんだぞ!と怒り心頭に発する。
「ほんと、やめてくださいよ。アフィリエイト目的の、ゴミサイトを作るのは」、とひとり思う。

おかげで、検索結果として列挙されるドメインを見れば、ゴミかどうかはほぼ区別がつくようになった。
これも、うつ病になって学んだこと。よかったね>自分
ここで気がつく。

ああ、「怒り」の感情も、戻っている。
まあ、ネットで安直に、まともな人が書いた知識を得ようって魂胆が甘いといえば甘いのだ。
(でも、うつ病では、林先生、サイコドクター、kyupin先生などの、きちんとしたサイトがあったのに、蕁麻疹では、みつかりにくいのはなぜなのだ?)

検索サイトで、「ゴミサイトを除く」モードって出来ないものだろうか。
ほとんどはコピペばっかりなんだから、Googleの秀才プログラマーたちなら、出来るだろう。
つまらぬGoogleブックスの和解案なんぞを考えてないで、もっと建設的な、価値ある検索サイトに成長させてくれないか>Google
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

3回目の再診〜躁うつと間違われそうになった話 [アモキサンの服用効果・診察日]

躁を疑われた(苦笑)
いつものように、といっても2週間ごとの3回目なのだが、担当医が質問。
「その後、どうですか?」

報告事項は、手帳にまとめてあるので、項目ごとに報告。
とりわけ、過去は過去、将来の方向に向けた思考になっていること、集中力が戻って来たこと、焦燥感、厭世観、悲観的な感情がほぼなくなったことなどを説明。
さらに、こういう計画を実現したい、いまこういうことをしているが、どうか?などなど。

ちょっとまえまで、仮面を被ったような暗い顔をしていた私の、あまりの積極的発言に、医師は躁うつを疑ったらしい。
躁病相のときのチェックガイドラインを見せて、「ここにどこか思い当たることありますか?」

たしかに、7月21日の初診とその2週間後の回復を焦る私をみてきた担当医にとって、現在の前向きな私は躁状態に映ったとしても、なんらおかしくはない。
もともとの私というのを知らないのだし。

「浪費も、必要以上に電話したり、人と会ったりすることもないですよ。
あるとしたら、その集中力が戻ったおかげで、3日目の午前中は最低でした。疲れきってしまって。土曜日の日は、遅い朝食をとって、3時過ぎまで寝ちゃいましたからね。」、というと、医師は安心したらしい。
疲れを感じるということは、正しい反応だという。
逆にいえば、回復基調にあるということだからなのだとか。

要するに、躁病相のときは疲れを感じないで、イケイケになってしまうらしい。
睡眠時間も、極端にいえば取らずに、ほとんど眠らずに何かをするらしい。

うつ病の底にいるとき、自殺は起きない
興味深い話をしてくれた。
どん底に至る右肩下がりの状態、どん底の一歩手前の精神状態のとき、および、どん底から回復カーブを描く右肩上がりの精神状態のころ、自殺を注意しなければならないこと。

その話は、以前、知り合いから聞いていた。
どん底の状態のときは、動く気力すらなくなるから自殺はおこりにくい。しかし、その前後の状態は起こる可能性があると。

どん底前は、当然のことながら厭世観で、自らの心の中で自己完結してしまうのだろう。
どん底の後は、担当医曰く、現実を現実としてとらえることができるようになって、そのギャップが原因となって、しかも体も活動的になることから、自殺するケースがあるのだという。

なるほど。
はて、自分はどうだろう?
取り返すことのできない過去、動かせない過去、これらに拘泥する気は、さらさらなくなった。
思い出してムカつくこともなくなった。自分を責めることもなくなった。
おそらくどん底は脱したのだろう。

そうすると、いちばん危ない時期なのかもしれない。
しかし、少なくとも、アモキサンとレキソタンを飲み続けている限り、そんなことはしないだろう。
投薬量は、同じ。
すなわち、
アモキサン  朝昼晩に10mg×2 計60mg /day
レキソタン  朝昼晩に1mg×1 計3mg (就寝前に、別に2mg×2)

この就寝前のレキソタン4mgを加えるところが、担当医の微妙な職人技という気がする。
朝の憂うつ感をこの4mgで消してくれているような気がする。

受付の女性との話
いま、先生に躁状態じゃないか?って疑われたんですよ、と言うと、「あら、そうだったの?躁だと疲れても疲れてないっていうふうになるのよ」と、医師と同じことを指摘。

なるほど、門前の小僧、いや、おばちゃま、か。
このおばちゃまには、ほんとうに感謝している。
このひとがいたから、おそらく今の自分が居るのだから。

あの日、私の状態を聞いて、「大変そうね、苦しいでしょうね。キャンセルが出るかも知れないから、連絡先教えてくれる?」と言ってくれたことが、今の私に戻れた大きなひとことだったのだから。
感謝します>受付のおばちゃま

次回は10月1日。
2週間に1度の診察だから16〜7日あたりが再診日のところ、単に1週間、病院が休みになるだけのこと。このまま月イチってのもいいような気もするが、ちょっとまだ2週間に1回くらいは、担当医と話をしていたい気もする。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | 次の10件 アモキサンの服用効果・診察日 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。