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ハンドルネーム「べに」さんへ [「うつ病」なる病気]

とあるエントリーに対するコメントがあった。

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タイトル この拙いブログを見てくださる方々へhttp://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-08-1
コメント投稿者 べに
日時 2012-10-21 14:28
コメント本文 はじめまして。べにと申します。
私は産後うつと診断され、アモキサンを飲んでいます。
服用直後から効果を感じ始め、だいぶ元の自分に近づいてきたように感じます。
高嶋さんのブログ、とっても興味深く読ませていただいています。
置かれている状況は高嶋さんと大分違うのですが、回復の過程について質問させてください。
たまに調子が悪い日がありつつ(いつかのブログで、経験者に言わせると三寒四温で回復していく病気だと書かれていたように)、徐々に回復していく感じですか? それともずーっと上り調子で回復していった感じですか?
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まずは、コメントをありがとうございました>べに様

結論から申し上げます。
僕の場合は、「ずーっと上り調子で回復していった感じ」で回復していきました。

うつ病には、大きく分けて心因性(外部的要因による)と内因性(ホルモンバランスほかの内部的要因による)があると、かつて学びました。
しかし、何が原因であれ、あの恐ろしい「こころの嵐」に見舞われているのでしょうから、心中、お察し申し上げるとともに、一日も早い回復を祈らずにはいられません。

さてご質問のアモキサンの薬効ですが、私には劇的に効きました。
同時に服用したレキソタン(精神安定剤)の効果が、まず現れ、服用するまでどれだけ体に力が入っていたのかがよくわかりました。僕にとってのレキソタンは落ち込んだ気分を底上げしてくれて、アモキサンは、落ち込んだ気分を引き上げるという感覚でした。

おそらくこれは、僕の発症の原因が心因性だったことにあるのではないかと勝手に考えています。外部的要因であればその原因が除去されて、症状のみを解決してくれたら、きっと自分は回復する、という思いもありました。

原因(心因性、内因性)と引き金(発症のエピソード)それともともとの素質ないし性格。
それらの相互作用でこの病気が発症するものだとします。
引き金となるエピソードが大きければ大きいほど、その原因が小さくても発症するのでしょうし、その原因が大きければ単なるエピソードでも発症するのかもしれません。

ご質問の「三寒四温」ですが、僕の場合、劇的に効いたことから、ある種の一進一退ということではなく、一気に、一直線に元に戻っていった、という記憶があります。
おそらくこれは、心因性という一過性の、しかし自分にとってはあまりにも耐えがたいエピソードであったことが原因となり、その結果、劇的に発症し、その原因が一過性のものであるため、受けた傷それじたいを治療しさえすれば、回復するほかない、ということだったのではないかと思っています。

担当医も言っていました。
あまりに劇的に治っていったことは、僕が考えている「原因」を前提とすると、おそらく心因性のものであって、いわばV字回復も不思議ではない、と。逆に、原因が心因性であることを推測させる、と。

つまりは、よくいうその後の再発について、内因性であれば「くしゃみをしても再発する」(もちろんこれは僕の造語ですがw)のではないか。そもそもの原因があってないようなものなのだろうし、発症の引き金となるエピソードを数え上げても、内因性であれば、そもそもの原因がどこにあるのかわからないのだから、再発防止といっても雲をつかむような話になる、と僕は思います。

幸いに僕のケースは内因性ではなかったようなので、再発の心配はしていません。
もっとも、素材としての素質や性格、そして生活習慣(やたらと心が疲れるような生活をする、仕事ばかりやっている)が発症の大きな引き金になりうるとすれば、そこの部分を修正すべきだと思うし、素質それじたいは手に負えない部分であれば、性格や生活習慣、仕事の仕方などをできうる限りで修正していく努力は必要なのでしょう。

発症当時の僕、といってもアモキサンのおかげでかなり回復基調にあったころ、1年間で90冊以上の本を読み、このブログに感想文を書き散らしました。
あの集中力はおそらくアモキサンのせいだと今は思っています(笑)。読むことじたいがリハビリになり、書くことで自分を解放していた。

もともと本を読むのは好きだし、書くのも好きでしたが、あれはちょっとやりすぎだったと今の僕は思っています。
よく「アモキサンはアッパー系」と言われます。
初めて心療内科(精神科)の門を叩き、診察室に入って、訥々と、「今の状態では仕事ができない。なんとかしてほしい」と一生懸命、担当医に話しかけました。

思考や行動が著しく制限されたなかで、ただただ治りたい、それもいますぐに、という気持ちだけを訴えた結果、古典的な薬であるアモキサンの即効性を担当医は選択したようです。

どこかに書きましたが、担当医もいまどきの薬はもとより、漢方薬も処方すると言っていました。しかし、僕には即効性のあるアモキサンを処方してくれた。そして僕には合っていた。その「出会い」というもののありがたさをほんとうに感じるところです。

思い出します。
担当医は、僕が診察室に入ったときから話をする間、診察室を出ていくときまで、じっと僕を観察していました。
約20分から多くて30分。よくある3分しかもパソコンから目を離さない、いまどきの精神科医とは雲泥の差です。二度ほど曜日を代えて診察を受けたところ、とんでもない医者の「診察」を受けたことがあります。

患者の顔を見ない、「変わりないですよね?」と聞くw
二度目のときは、もうコイツには診察料は払わない!と思ったくらいでした。

医者との出会いは、この病気では最も重要な回復のための要素のひとつなのではないかと思うところです。

「産後うつ病」というのは、言葉ではよく聞くし、かつて読んだ本でも記述されていましたが、多くは僕には関係がないものとして、読み飛ばしていました。

内因性であれ心因性であれ、そこになにものにも浸食されない、確固とした、あるいは柳に風と受け流せる強いこころがあったのなら、あるいはとてつもないプレッシャーなどを受けない環境があったのならば、発症することはなかった。

ただしかし、強いこころを持っていない以上、それはそれで致し方のないことだし、逆に、強いこころを持っていなかったおかげで、発症し、幸いに回復し、世の中に対して低く低くなった視線(目線)を持つことができたおかげで、「ありがたい」とか「わがはからいにあらず」とかの物の見方、考え方を新たに獲得することができました。

もし発症しなかったら、僕は従来からの唯我独尊、嫌な自信家のままで過ごしていたことでしょう。
その意味で、この病気に罹患したことは自分にとってよかったのではないかとさえ思う次第です。

さて、産後うつ。
出産というものは、肉体的精神的なストレスを受ける出来事。
さらに、一日中泣いてばかりいる赤ちゃん。最初は二時間もすれば起きてしまう赤ちゃん。昼だろうが夜だろうが、こちらの都合などお構いなしに、泣きわめく。なんて理不尽ななんて暴君。

実は恐ろしいことに、僕は、夜中、子どもが泣いて、家内が起きだして授乳をし始めたことはほとんど記憶になく、つまりは目が覚めなかったわけで、そのすべては家内が背負っていたのです。
まったくもって、家内には申し訳なく思っています。
真夜中、一度だけ娘を腕に抱き、ミルクが温まるのを待っていたことがあります。
結局、泣きやまなかった。
家内が言っていました。「気持ちって伝わるものよ」。

たしかに、僕はそのとき、ものすごくイライラして、おざなりに抱いていただけでしたから。
弱い暴君も弱いだけに、相手の心を読み取るのでしょう。きっと。

それはさておき。
出産の前後というのはホルモンバランスが劇的に変化するものだそうです。
それでなくても育児というものはストレスがたまるもの。家内もかつて言っていたことを思い出します。昼間ひとりで泣きやまない○○ちゃんを抱いているとき、つらいときもあった、と。

こう思ってはいかがでしょうか。
出産を外部的要因のひとつだと仮定します。
たまたま出産がうつ病の引き金になった。そうであれば、その外部的要因がなくなるとともに、心因上のストレスがなくなっていくのだから、きっと回復する、と。

第二子のお子さんができたときには、きっとベテランのママさんになっているのではないでしょうか。

こんな話があります。
長男長女を育てるときの母親は、何もかもが初めてで、だいたいにおいて長男長女というのはしぐさがのろいw。親がなんでもやってしまうからなのでしょう。

小学校の入学式。
いつまでたっても支度ができない子ども。
「早くしなさい。入学式が始まっちゃうよ」

常に常にせかれて、ぐずぐずしている長男長女は、割と緊張する性格が形成されてしまいます。もっとも、基本は夫婦がまだまだ新婚気分が抜けない状態のほんわかムードで育てられますから、基本的にぼ~っとして育つ。
神経質さとぼ~っとした性格が同居する。

それに引き換え、二人目や三人目。
何をすればほめられ、何をすれば叱られるかを上のきょうだいを見て育つ彼ら。非常に合理的な精神が育まれます。
彼らも小学校の入学式を迎えます。
「おかあさん、早く行こうよ」
「何を言ってるのよ、学校の行事なんか、時間どおりには始まらないものよ。ゆっくりでかけてもだいじょうぶよ」

こうして、さらに次男次女たちは、世の中を学んでいくwww

今回の産後うつは、きっと解消されることでしょう。
そして、お二人目のときには、きっとずぶといママさんになっていることでしょう。

もしかして、今がお二人目のお子さんで産後うつになっていたとしたら。。。。。
もはや私の手には負えませんw

もうひとつ申し上げられることがあります。
友人に助けを求めることです。
僕の場合は、複数の友人たちと定期的に酒を飲んでいました。
彼らといるときは、「どこがうつ病なんだ?」と言われていました。

家内は、第一子が10カ月くらいになったときでしょうか。
市の広報をみて、幼稚園に入園するまで、ずっと同じ子育てサークルみたいなのに参加していました。
もっとも、この手のサークルは人間関係が難しいケースもあるようなので、それはそれでストレスの種にもなりかねませんが。。。。

きっと治ります。
そのことだけは心に念じてください。
アモキサンの薬効を信じましょう。
そして、まわりの方々が助けてくださることを祈ります。

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精神科クリニックへの通院が終った [「うつ病」なる病気]

とうとう、病院を卒業できたのだった。

去年の7月21日以来。
1年かかったけど、とうとう終った。

担当医から祝福を受けた。
受付のおばちゃまが居た。

彼女には、ほんとうにお世話になった。
「また、おんなじこと言ってるわね」と言われたw

ともかく、生き延びることができたことが、ともかく嬉しい。
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ほんとうに私は、うつ病だったのだろうか? [「うつ病」なる病気]

昨日の精神科医との対話を思い出してみた。

私のうつ病のタイプは心因性の疑いが濃厚だとのことだった。

心因反応という述語がある。
拘禁性ノイローゼとか、拘禁反応という言葉で使われる。

そう。
拘置所や刑務所に収容されているひとたちがかかる病。

人は、その環境に順応していかなければ生きていけない。
その順応力があったから、これまで生きのびてこられた。

そうであれば、どこででも、どのようにしてでも生きのびていくためには、その環境に合わせていかなければなるまい。

その時々で、「反応」していかなければならない。

そこで自分のことを考えてみた。
子どもの頃から、親には叱られてばかりだった。
「調子に乗るんじゃない!」と、よく怒られていた。
だから、私の性格のベースには、乗りやすい性格というのがあるのだろう。
そこへもってきて、両親ともに国家公務員だったから、まじめすぎるひとたち。

だから、私の性格のベースには、明るさと暗さが同居しているのだろう。
さらに学生時代に、「自分らしい自分」を作ろうと思った。

生来の明るさに加えて、きまじめさを両親からもらい、さらに途中から「いい加減さ」を自分自身で作り上げてきた。

もはや、自分というものが分からなくなるほどの多重人格w

おそらく、強烈なプレッシャーに対して「反応」したに過ぎなかったのだろう。
ところが、「心」の中、「脳」の中では、どうしてよいか分からないから、ふつうの反応、すなわち、防御に入った。
現象面としては、うつ病と同様の症状が出たのではないか?

ところが、本人としては、うつ病と「同様」の症状だろうと、そうでなかろうとかんけ~ない。
こんな気分は、生まれて初めてだった。
どうしてよいか分からない。

ただそれだけだったような気がするのだ。
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検索ワードを見ていて思ったこと [「うつ病」なる病気]

「抗うつ剤は顔つきが変わる」ということで検索をしてきた方がおられた。

そうなのだろうか?

私の場合は、抗うつ薬を飲み始めてすぐに、表情が戻った。
仮面を被ったような顔から、以前のニコニコした顔に近くなった。
ものの1週間も経たなかっただろう。

私の場合は、アモキサン。
これしか飲んだことがないから、他の薬の場合は分からない。

しかし。
抗うつ薬を飲んで、悪化するなどということは考えられない。
快方に向かうはず。
それなのに、顔つきが変わるというのはどういうことなのだろう?
この文字からすると、悪い方向に変わるように読める。

そういう方も居る、ということで。

さてと。
風呂にでも入ってくるか。
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不思議な出来事と、うつ病の引き金 [「うつ病」なる病気]

昨日、『こんな日弁連に誰がした?』のエントリーを書いた。
そのとき、東弁の若手の話を書いた。

そうしたら、今日、その若手からケータイに電話が入った。
内容は、某大学法学部の某教授を紹介してくれないか、ということだった。
某教授とは、かれこれ15〜6年のおつきあいをさせていただいている。

快く引き受けさせていただき、仲介の労をとらせていただいた。
その某教授とはメールのやりとりで一件落着。
あとは、おふたりでよろしくってな話で、私の役目は終わり。

問題は、うつ病との引き金との関係。
引き金は、2つあった。

その1つが、その東弁の弁護士さんがかかわっていた。
もちろん、その方が直接の引き金になったわけではない。
その弁護士さんと話をすれば、当然のように「引き金」事件を思い出す。

さらに、もう1つの引き金には、某教授も関係していた。
弁護士さんと同じように、某教授が引き金になったわけではない。
同じく某教授とメールのやりとりをしていれば、当然のように「引き金」事件を思い出す。

ところが、心は平静そのものだった。
なんの乱れもなかった。
しごとじたいの忙しさで、それどころではないというのが実情だったのだが。

たぶん私の記憶の領域では、それら引き金は「過去のこと」として決着がついていたのだろう。

大きな自信になった。
おそらく、今回の(あえて言う。今回の、と限定を付す。今後、またうつ病が発症するかもしれないから)うつ病とは決別できたのだろう。

心が強くなったのだろう。
固いかさぶたができたのだろう。

それが、とても嬉しかった。
弁護士さんには、もちろんうつ病の話はしてあった。
弁護士さんに言われた。
「今後とも、よろしくお願いしますね」と。

ありがたかった。
某教授とは時間的に会うことはできないが、メールのやりとりのなかで、私のことを評価してくれていることに気がついた。

ありがたいこと。
<わがはからいにあらず>
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他力の風。わがはからいにあらず [「うつ病」なる病気]

7月21日の担当医との出会い以来のさまざまな出来事もなんとか乗り越え、これといった副作用もないばかりか、心もからだも平穏に推移している。
ありがたいこと。

あの恐ろしい急性期を乗り越え、とりたてて落ち込むこともなしに、回復の一途を辿っている(ように感じられる。というより、もうふつうじゃん?と思うが、それもアモキサンのおかげであると思うし、主観的にどんなに元気で意欲的であったとしても、知り合いがどう評価しようと、「もうおしまい」かどうかは担当医が決めること。私ではない(とはいうものの、一般的なうつ病の患者の推移とは、私のケースはかなり様相を異にすると思うが、まあ、いい))。

この病気を通じて、これまで縁がなかったうつ病の本(といっても新書レベルにすぎないのだが)に接することができた。
Mさんのおかげで知った安保徹先生の著作にも触れた。免疫系の本の読書を通じて自律神経のバランスの大切さを学んだ。

緊張と弛緩、興奮とリラックス。
これらを司る交感神経と副交感神経。
これらを意識的に操作できるのが、呼吸と食べること(ガムでもよいだろう)であることも知った。

さらにMさんの示唆から、うつ病経験者である五木寛之との書籍による再会を果たし、仏教哲学のさわり(しかし、おそらく本質であろうことがら)に触れることができた。

加えて五木の書籍を通じ、多田富雄さんという生物学者・免疫学者の存在を知り、その著作を読むことができた。

さまざまな知見を通じ、新たな知識を得られたこと、なによりも心の健康を取り戻しつつあることなどを振り返ってみると、五木のいう<他力の風>が吹いているように感じられてならない。

そして大晦日の今日、またひとつ嬉しい知らせが訪れた。

こんな私を支えてくれているのは、ほかならぬ担当医であり、そのきっかけを与えてくれた受付のおばちゃま。

さらに、母親を含めた家族であり、友人たち。Mさん。著者の方々。
そして、飲み友達の悪友(「悪魔のような友人」の略w)の存在、飲み仲間のMその他親戚のひとたちへの感謝は、絶対に欠かすことはできまい。

「治りたい」と思う心を後押ししてくれたさまざまな人たちの存在と力。
それも、きっと<他力の風>に違いない。

わがはからいにあらず。
そのことばが、胸にしみる。
今年のできごとは、一生忘れまい。

今朝も早く目が覚めた。
散歩に出た。東コース。
ちょっと前に上がった朝日が、ことのほか輝いていた。

不思議な感覚にとらわれた。
上がったばかりの大きな太陽。
あたたかさ、力強さが私に語りかけてくるような気がした。
自然に手が合わさった。
38億年の時の流れを感じたのだろうか?

っという話は、これくらいにして。

年賀状の印刷が、いまだ終わらず。
やばいじゃないか?
とりあえず裏面は終えた。
宛先の印刷はまだ。

結局、今年も深夜に出しにいくことになる。

いつもの大晦日のように、夕飯のメニューは鋤焼きだろう。
母を呼んで、ゆく年くる年が始まる頃、家に送り届け、元旦の朝、迎えに行って、わが家でお節を囲むというのが、この10年の恒例行事だった。
今年は、母も年をとったせいか、元旦だけでいいという。

少々さびしいが、それを埋め合わせるように、今夜は好きなだけ飲めるwww
まあ、そんな年もあっていい。

大掃除も終わったみたい。
さて、宛名印刷にとりかかろう。
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カテゴリー分類がよくわからんが [「うつ病」なる病気]

ともかく、ふつうに二日酔いやって、ふつうに寝不足で、5時間弱の睡眠でも、ふつうに仕事ができるというのは、ほんとうにありがたい。

ふあ〜あ、とあくびをしながら、朝ご飯を食べ、出かけ、気合いを入れても、ふぁ〜っと欠伸をしつつのしごと。
午後には、ふつうになれるし。

夜は夜で、よい知らせが留守電にひとつ。
<他力の風>
<わがはからいにあらず>

謙虚になった自分がいる。
不可逆的なできごとのひとつであってほしいものだ。

といいつつ、明日は飲むw
そういうわけで、今夜は早めに寝よう。
サンシャイン牧場の巡回というのが、日課になりそうなのだが(というかマイミクたちはそうしているらしいのだが)、そこまでやっていられないw
とりあえず、自分の畑だけはきちんとしておかないと。

それにしても、何分後になんとかかんとか、っての、どういう設計しているんだか。
真っ昼間から、遊んでいられるひとなんか、そうそう居ないだろうに。
眠い目をこすりながらやるものなのか?
まあ、いいけど。
けっこうハマるらしい。
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頭痛 [「うつ病」なる病気]

(果たして、このカテゴリーでよいのかどうか?)

日曜日、あのプロジェクトが終わって移動中、これまでに感じたことのない痛みが後頭部を走った。

飲み始めると、治ったw

月曜日。
午後7時すぎ。同じような痛みが走った。
帰宅して風呂に入って食事して、治ったw

火曜日。
朝、ごくふつうに、いつものように起きられる。
今日は、午後8時すぎ、同じような頭痛。
しかし、日を追うごとに痛みは軽くなる。

やっと気がついた。
おそらく、この病気の後遺症(いや、まだ回復したとは担当医に言われていないのだから、「症状」というべきなのか。どうでもいいが)として、「疲れやすさ」というのがあるのではないか。
それが頭痛という形で出ているのかもしれない、と。

逆に言えば、「からだ」のサイン。
あるいは「こころ」のサイン。
まだ完全には戻っていないということを頭痛を通じて示唆している、と。

気持ちは「その先」に行っているが、心と体が未だその体制になっていないのであれば、調子こいて仕事をしていれば、症状としての「うつ」が出てきてもおかしくないのだろう。

Mさんにも言われたっけ。
「体と心のサインを見逃さないこと」。
その具体的なものが今回の頭痛だったとすれば、またこれでひとつ利口になった。

などと考えていると、友人からメール。
「飲むのならば明日にしよう」w

飲めば頭痛もなくなるしw
速攻で、「では7時に」と返した。

帰宅して「明日、夕飯、要らないから」とヨメに言うと、「誰と飲むの? まだ早いんじゃないの? 疲れてるみたいだし」との答え。

要するに、疲れて飲んで事故でも起きたら大変だろう?ということ。
問題はないだろう。
たぶんw

土曜日は遠征して、食べて飲むことが決まっている。
おそらく、そこまでの風は吹かせていない、と<他力の風>は言うに違いない。
私は、こう答える。
「大河の一滴が、その流れに身を任せるだけです」とw

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心の病は国の損失(下)(09年11月19日朝日の生活欄から) [「うつ病」なる病気]

今回はデンマークのケースを紹介。
前回、前々回のイギリス、オランダのは、どことなく「国家の収益の改善」目的というのが感じられる政策だったのだが、デンマークは、お国柄なのかソフトに、しかし厳しく政策を打ち立てて実行している模様。

デンマークでは、心の病に対する事後対応(イギリスもオランダもそう)ではなく、心の病による休職者が出ないような「予防活動」に力を入れている、とのこと。

事業所を監督チェックする査察官というのが、労働環境局という機関に580人ほどいて、すでに20万カ所ほどの事業所を「抜き打ち」(どうして記事には「 」が付いているのか、不明。なれ合いということ? 強調するためだとは思うが必要だったのだろうか?)査察し、以後は3年おきに査察するとのこと。

職場環境を安全面、騒音のほか、心理面(職場の暴力、仕事の量、夜勤体制)から評価する。しかも、事業所の職場環境を格付けするスマイリーマーク(赤、黄、緑)で表示し、求職者が就職先を探すのにスマイリーマークを確認してからという例も目立ってきた、とのこと。

デンマークの医師ネテルストロム氏が日本を訪問するたびに、東京の地下鉄のサラリーマンが疲れ果てている姿に驚くとのこと。「日本の職場環境はどうなっているのでしょうか」との感想をもらしたという。

(どうして日本の会社員は、ケータイの画面ばっかり眺めているのですか?とは尋ねなかったのだろうか?w)

なお、日本では「労働安全衛生法」が施行されており、厚労省が「労働者の心の健康の保持増進のための指針」を定めている。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/h0331-1.html
詳細は、このpdf、重い。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2006/03/dl/h0331-1c.pdf

また、厚労省では「職場におけるメンタルヘルス対策・過重労働対策・心身両面にわたる健康づくり」なる政策をやっている。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei12/index.html

(例によって、「やってますから」的なところ? 指針か方針か知らないが、作ってりゃいいってもんじゃなかろう? アリバイ作りは、犯罪者がやりゃあいいんでw)

厚労省らしくない、というか、この国らしくないサイトがあった。
厚労省は、「こころの耳 メンタルヘルス・ポータルサイト」なんてのを作ってた。
http://kokoro.mhlw.go.jp/

知らなかった。

ざっとながめても、なぜか他人事のような感じがするのはなぜなのだろう?
たしかに、よく作られたサイト。
しかし、心がこもっていない感じがしてならない。

同じ国家の体をなしているのに、この踏み込み方の違いはどこからくるのか。
たしかにデンマークは、朝日新聞も指摘するとおり「世界一幸せ」といわれる国(らしい。暮らしたことがないから分からないw)。
生まれるくにを選ぶことはできない私たち。

いままさに、このくにも変われるかもしれない絶好のチャンスが到来した。
アメリカ型のハゲタカ強欲資本主義が(あの小泉が調子こいてやろうとした新自由主義。竹中あたりが提灯をもって、お先棒を担いでやったあの愚かな政策の数々。)、どれだけのものをもたらしたかについては、みんなよくわかったはず。

そうだとすれば、大陸型の、とりわけ北欧型の福祉国家のほうに舵を切るのが、ごくノーマルな考え方だろう。
ひとにやさしい国づくり。
もうそろそろ、そっちに舵を切ってもよいころだと思うのだが。

「高福祉には高負担」というのがこれまでのテーゼ。
はたして、それって、いまでも通用する考え方なのか?
それって高度成長末期の考え方じゃないのか?
その枠組みじたい疑われてしかるべきだと思う。
まやかしの論理だと思うのだが。
むしろ、その枠組みじたいを壊してこそ、真の福祉国家だといえるのだと思う。

(良いモノが高い(適正価格)であるのは当たり前。しかし国は商売やってるわけじゃあない。もちろん赤字垂れ流し国債は困る。しかし、誰が何といおうと、まだまだ福祉に使える財源はころがっている。すでにわれわれが支払った税金の中に。)

(同時に、公務員の業務の効率化、常識的な線での経費の節減(私企業は必死になって利益をあげようと努力している)、警察から一般の公務員に至るまではびこっている泥棒公務員の摘発と横領金の押収。それでもまだ財源が必要ならば、最後の最後は公務員の給与に手をつけ、さらにリストラをするほかあるまい。)

(警察官、消防、海上保安庁あたりの給与は下げないほうがよいだろう。彼らは体を張って、われわれを守ってくれているのだから。自衛隊は。。。。。このテーマについては、また今度w)

会社が人で成り立つように、社会も人で成り立っている。
このくにも、ひとなくしては成り立たない。
領土、国民、権力。
国家の三要素。

もっとも重要な要素である人の心が病んでいる、このくに。
五木寛之によれば、「国は私たちを守ってはくれない」のだという。
そうであれば、私たちは自らのちからで、よりよく生きるための手だてを整えなければならないようだ。
(とはいえ、デンマークの政策をみるかぎり、国民を守ろうとする国家もあるわけなんだけどなあ)
(このくに特有の現象なのかなあ)

なお、この朝日の連載のタイトルは、「欧州の安心 心を癒やす」だった。
1回目の「心の病は国の損失」というのは「見出し」だった。
心の病は国の損失(上)(09年11月17日朝日の生活欄から)
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-11-17-1

また、2回目の見出しは「早期復職 制度で促す」が正しく、
心の病は国の損失(中)(09年11月18日朝日の生活欄から)
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-11-18

今回の3回目を表示するならば「全職場 格付けし公表」だった。
お詫びして訂正いたしますw



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心の病は国の損失(中)(09年11月18日朝日の生活欄から) [「うつ病」なる病気]

今回のはオランダのケースを紹介。

オランダでは、休職後も復職できないケースは、障害給付金の支給対象になっていたが、その認定要件が甘く、かつては労働人口の7人に1人が支給対象になっていたという。
この受給者を減らすための制度を作ったとたんに、90年に約90万人いた受給者は08年には約60万人に減少したとのこと。

たしかに、労働人口の少ないオランダにとって、給付金を支給するより復職したほうが、企業、国内経済、国家財政にはよいことづくめ(のようにみえる)。

(いったい差し引き30万人というのは、なんだったのか? はじめに線引きの結論ありきではないだろうが)

このスクリーニングには、専門性の高い産業医制度の存在が大きい模様。
オランダで産業医になるには、医学部を卒業後、4年間の研修、週に24時間以上患者と接し、5年おきに実績記録を提出しなければならない、とのこと。

これに対し、日本の産業医は約8万人。大多数が日本医師会の50時間の基礎研修受講によって、産業異を名乗ることができるらしく、自分の専門分野と兼務するのが、ほとんどだとのこと。
産業医としての活動は、週に5時間程度との調査もあるという。

(昨日の心理士の質の問題といい、この産業医の質の問題といい、いったい日本の精神医療を支える医療サイドの質の問題は、現在の精神疾患の現状の「原因」なのか、それとも単なるヨーロッパとの差にすぎないのか)

『精神科医は腹の底で何を考えているか』の春日先生のような、人の心に対する深い考察をする精神科医が、産業医として日本にもたくさんいることを、ただただ祈るのみ。
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