他力の風。わがはからいにあらず [「うつ病」なる病気]

7月21日の担当医との出会い以来のさまざまな出来事もなんとか乗り越え、これといった副作用もないばかりか、心もからだも平穏に推移している。
ありがたいこと。

あの恐ろしい急性期を乗り越え、とりたてて落ち込むこともなしに、回復の一途を辿っている(ように感じられる。というより、もうふつうじゃん?と思うが、それもアモキサンのおかげであると思うし、主観的にどんなに元気で意欲的であったとしても、知り合いがどう評価しようと、「もうおしまい」かどうかは担当医が決めること。私ではない(とはいうものの、一般的なうつ病の患者の推移とは、私のケースはかなり様相を異にすると思うが、まあ、いい))。

この病気を通じて、これまで縁がなかったうつ病の本(といっても新書レベルにすぎないのだが)に接することができた。
Mさんのおかげで知った安保徹先生の著作にも触れた。免疫系の本の読書を通じて自律神経のバランスの大切さを学んだ。

緊張と弛緩、興奮とリラックス。
これらを司る交感神経と副交感神経。
これらを意識的に操作できるのが、呼吸と食べること(ガムでもよいだろう)であることも知った。

さらにMさんの示唆から、うつ病経験者である五木寛之との書籍による再会を果たし、仏教哲学のさわり(しかし、おそらく本質であろうことがら)に触れることができた。

加えて五木の書籍を通じ、多田富雄さんという生物学者・免疫学者の存在を知り、その著作を読むことができた。

さまざまな知見を通じ、新たな知識を得られたこと、なによりも心の健康を取り戻しつつあることなどを振り返ってみると、五木のいう<他力の風>が吹いているように感じられてならない。

そして大晦日の今日、またひとつ嬉しい知らせが訪れた。

こんな私を支えてくれているのは、ほかならぬ担当医であり、そのきっかけを与えてくれた受付のおばちゃま。

さらに、母親を含めた家族であり、友人たち。Mさん。著者の方々。
そして、飲み友達の悪友(「悪魔のような友人」の略w)の存在、飲み仲間のMその他親戚のひとたちへの感謝は、絶対に欠かすことはできまい。

「治りたい」と思う心を後押ししてくれたさまざまな人たちの存在と力。
それも、きっと<他力の風>に違いない。

わがはからいにあらず。
そのことばが、胸にしみる。
今年のできごとは、一生忘れまい。

今朝も早く目が覚めた。
散歩に出た。東コース。
ちょっと前に上がった朝日が、ことのほか輝いていた。

不思議な感覚にとらわれた。
上がったばかりの大きな太陽。
あたたかさ、力強さが私に語りかけてくるような気がした。
自然に手が合わさった。
38億年の時の流れを感じたのだろうか?

っという話は、これくらいにして。

年賀状の印刷が、いまだ終わらず。
やばいじゃないか?
とりあえず裏面は終えた。
宛先の印刷はまだ。

結局、今年も深夜に出しにいくことになる。

いつもの大晦日のように、夕飯のメニューは鋤焼きだろう。
母を呼んで、ゆく年くる年が始まる頃、家に送り届け、元旦の朝、迎えに行って、わが家でお節を囲むというのが、この10年の恒例行事だった。
今年は、母も年をとったせいか、元旦だけでいいという。

少々さびしいが、それを埋め合わせるように、今夜は好きなだけ飲めるwww
まあ、そんな年もあっていい。

大掃除も終わったみたい。
さて、宛名印刷にとりかかろう。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。