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心の病は国の損失(上)(09年11月17日朝日の生活欄から) [「うつ病」なる病気]

うつ病治療に関するイギリスの例を紹介。

先日のエントリー「読んだ本〜『うつ病治療 常識が変わる』NHK取材班 著」に書かれていたイギリスの医療制度を紹介している。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-08

当然のことながら、上記書籍よりずっと詳細に書かれている。
この制度(IAPT)導入の立役者であるリチャード・レイヤード名誉教授とデビッド・クラーク教授のことが触れられている。

無償で心理士による心理療法を受けられるという、例の制度。
制度の背景としては、じつにイギリスらしく「費用対効果」の発想。
心の病による求職者を減らし、障害給付金など社会保障費の支出削減を狙う。三方一両得の制度w。

3回に分けての連載らしいので、オランダ、デンマークなどの実例も知ることができる。

ところで、欄外コラムにある「臨床心理士 日本は国家資格なし」には、「やっぱりね」的な情報が記載されていた。
「財団法人が認定する臨床心理士の有資格者は約2万人で、英国の4倍に上る。だが、(中略)「認知行動療法」ができる心理士の正確な数はわからず、学会資格などもない。ある大学教授は、正式に訓練を受けた人は「数百人もいない」と指摘する。」

ありゃりゃ。

このコラムには、「医療心理師」については触れられておらず、当然のことながら、そのバトルwプラス外野席からの批判、非難等についても捨象している。

それにしても、認知行動療法の正式な訓練を受けた心理士が数百人にも満たないというのは、どういうことなのだろう。
それでいて、街角に看板を掲げ、場合によっては医師の指導のもとに、うつ病患者(ほかの精神疾患も含め)に心理「療法」を施していることになる。

もはや民間療法の類い。
単純なうつ病の患者より、その他の精神疾患を併発する患者(パニック障害とか)が増加しているという昨今、心理士には極めて重い責任が課せられてくる。

それにもかかわらず、そのようなお寒い現実。
お寒いなどと、たわけたことを言っている場合ではないと思う。
ふざけるな!と言いたい。

人の人生をなんだと思っているのだ>まともに勉強もしていない心理士たち

むしろ、この事実をこそ、きちんと世の中に知らせるべきだろうし、その意味で、臨床心理士、医療心理師法案に異を唱える精神神経学会の考え方は、むしろまっとうな意見だと思われる。

もちろん認知行動療法の正式な訓練を受けたひとのなかに、トンデモ心理士はいるだろうし、受けていないひとのなかに、トンデモ精神科医と同様の心理士もいるのだろう。

とりあえず国家資格化は必要だとしても、既存の心理士心理師に横滑りで資格を与える制度だとしたら、それはまさに「国の損失」であり、「亡国の制度」以外のなにものでもあるまい。
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うつ病と躁うつ病(双極性障害)は、同じしくみなのか? [「うつ病」なる病気]

人の気分には幅がある。
喜び、怒り、哀しみ、楽しさ。
落ち込むときもあれば、小躍りするときもある。

その落ち込みが、日常の幅を逸脱し、あまりに激しく、かつある程度長期化したときに、DSM-Ⅳあたりの指標などから、医師はうつ病を疑うのだろう。
(いや、疑うもなにも、じっさい私がそうだったわけで)

躁うつ病のうつ病相のとき、うつ病と同じような雰囲気になるのだろうか。
(私は、躁うつ病ではないので、全くもってわからない)

ただ、もし「躁うつ病のうつ病相のとき、うつ病と同じような雰囲気になる」だとしたら、そのとき精神科を受診した本当は躁うつ病(双極性障害)の患者には、うつ病の診断がなされ、(当然のことながら)抗うつ薬が処方されているうちに、うつ病相から平静なふつうの状態に戻っているのに、薬が投与されていれば、いわゆるアッパーの状態になることも考えられる。

このあたりで気づけよ>医師 ということになるのだろうが、そのあたり、抗うつ薬に反応した、薬が効いたと考えるのが、ふつうなのかもしれない。

さらに、躁病相が現れたとき(躁病相のひとに、医師がそれに気づかず、気分をアップさせる薬を飲ませ続けたら、こりゃあもう、心の中はお祭り状態になるんだろう。たぶん)、医師は慌てて気分安定剤を処方するということになるのだろう。

躁うつ病(双極性障害)というのが、うつ状態が先か、躁状態が先か、どちらが先か知らないが(どっちでもよいのだろうが)、うつ病相と躁病相の間には、ふつうの精神状態があるとのこと。

大波が来ては返すように、うつ状態とふつうの精神状態、そして躁状態をくり返すのが躁うつ病なのだとすれば、うつ病とは違うものなんじゃないのか?
うつ病は、ふつうの気分に戻ったり、循環することはないんじゃないのか。
少なくとも、私のケースでは、気分は落ち込む一方だった。

その後、薬でもって元に戻った。
いまは、「全開バリバリ」などと調子に乗った言い方もできそうなくらいに、元に戻っている。
(否、正確には週末になると、疲れが出る。夜になると、若干、集中力が落ちる気がする。って、これは当たり前なんじゃないかと思うが、まあ「病み上がり」なので、取り急ぎ、なんでも病気のせいにしておこう。こんな言い訳ができるのも、いまのうち)

「遺伝」の側面から、両者の違いを考えてみる。

「うつ病のなりやすさのうち、遺伝要因によって説明できる部分は3割から4割で、双極性障害の7割に比べると少ない。」(『うつ病の脳科学』加藤忠史(幻冬舎新書)156ページ)というし、結局「双極性障害の遺伝子探索もやっと糸口がみえた」(同159ページ)にすぎず、まして「現在の「大うつ病」という診断基準は、遺伝子と直接対応させるには、まだまだ不十分であることを意味していると思われる。」(同160ページ)とのこと。

さらに、「遺伝子要因よりもストレスなどの環境要因の方がより影響するうつ病では、遺伝子研究を行う場合にも、「遺伝子」と「ストレス」の相互作用を考えにいれておく必要がある。」とのこと(159ページ)。

たまたま私の母親の知り合いの方がうつ病で、そのきょうだいが躁うつ病で入院した経歴があり、彼らの両親がふたりとも躁うつ病(双極性障害)だったという事実は、何を意味するか?

あたかも時限爆弾が発火するように、「そのとき」になると発症してしまうような「何か」が遺伝子に組み込まれている、とでもいうのか?

「遺伝子」レベルの問題はいざ知らず、両親が双極性障害であれば、その家庭環境はともかくストレスフルなものであるはず。

躁状態のときに散財し、あるいは事業を展開してしまって空回り。
莫大な借財を抱えるかもしれず、そこにうつの波が襲いかかれば、その家庭は、暗さ、悲観的なものの見方、考え方(常に、くよくよ心配ごとばかり、後ろ向きの考え方などなど)に支配されざるをえず、家庭から多くを学び、知らず知らずに、固有の家庭の「文化」を埋め込まれてしまう子どもにとって、その「性格」への影響は悲劇的なまでに確実なものとなってしまうのだろう。

その「環境」要因が、子どもに大きな影響を与えたとともに、もし遺伝的な要素が加わるとするならば、引き金(誘因)次第で、いや、なんの引き金もなく、より大きく発症の可能性が高まると、素人的には思える。

結局、素人が考えても、わかるはずがない。

少なくとも、うつ病と躁うつ病とは、同じしくみなのではないのではないのか?
やっぱり、よくわからんね、というのが、今回の疑問のオチ。

ふと思う。
双子の研究で、親がうつ病ないし躁うつ病を発症した一卵性双生児の一方をその親のもとで生育させ、もう一方を全く病歴のない明るい家庭で親子として育てさせた場合、その双子の一方も発症するのかどうかを確認できたら、遺伝的要素が大きく支配するという結論は正しいのだろう。
現実にはありえない(倫理的にやれない)実験だが、そこまで徹底しなくとも、遺伝子ベレルの解明は、加藤教授によれば、できるのだろう。

というか、遺伝子レベルで解明できたところで、それが精神疾患の発症防止策にまでつながらなければ、不完全な研究でしかない。
実現するのだろうか? そんな研究。
そうあってほしいものだけれど。

こんな、おっそろしい心の病気。
遺伝子操作でなくせるものならなくしてほしい。
(もっとも、その遺伝子操作から何やら副産物が生じない保障もないのだけれど。パキシルみたいに)

遺伝子レベルにもし問題があるとするならば、免疫学の安保先生は、どう答えるのだろう?

ただ、この精神疾患、自律神経のバランスを失したところに生じるという安保先生の考え方には、かなり共感できる部分がある。
というよりも、あまりに回復が早い私が特殊なのではないか、という気もする。

投薬治療開始当初は、「中程度のうつ病」との診断だった。
服用を続けて4ヶ月目に入ったのだが、すでに1ヶ月目あたりから、認知、思考、表現、行動、喜怒哀楽等に関しては、ほぼふつうに戻っていた。
アモキサン恐るべし、なのだが、私自身の薬に対する感受性と順応性というのは、つまりは投薬「環境」への順応性ということになるのだろうが、極めて高いものがあるというべきなのではないか。

さらに、もともとの免疫力というのか、治癒力というのか分からないが、病から脱しようとする、私自身の生命系の何ものかが、現在の私を導いたと考えたい。

この隙にというか、薬があるうちに、薬が効いているうちに、「ストレスをかわす生き方」というのを体得しておこうと思う。

(改めてこのブログ全体をざっと読み流してみて、私には、もはやうつ病の影もない。などと書くと、担当医にまた「躁転」と誤解されるから、次回の診察日には殊勝な顔をして、ごくごく自然に対応してみよう。担当医は、どう思うだろうか? それも楽しみのひとつ)

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夫婦喧嘩で「こころの回復」を実感する [「うつ病」なる病気]

しょせん夫婦喧嘩など、原因があってないようなもの。
どちらが正しいの正しくないのなど、どうでもよい話。
というか、そんなレベルの喧嘩など記憶にない。

結局は、どちらかが疲れているか、こころに余裕がないか、そんなくだらない状況で、どちらかの不用意な発言を受け止められないほうが、先に口を出し、ケンカなるものは発生する。
他の夫婦がどうかは知らぬが、我が家はそんなものでしかない。

何ヶ月ぶりだろう?
久しぶりにケンカをした。
理由など、どうでもよい。

単に、日曜日、出かけて疲れて、月曜日の夜も、ずっとしゃべりまくっていた疲れが出た。
いつもなら受け流せるはずのヨメの言葉が気に入らなかった私が、キレただけのこと。
「あなた、前とちっとも変わってないじゃないの? 生き方変えるとか考えるとか言ってるくせに」

なるほど。
そのとおり。

「前とちっとも変わってない」→要するに、復活したのだ!
(いや、すでに実感はしていたけど)

「前とちっとも変わってない」→たしかに、生き方変えるはずなんだけど。。。。
(まあ、準備中ってことで。)

クルマは急に止まれないってことで、ひとつよろしく>ヨメ

それにしても、この前の通院日に、担当医から、私が躁うつ(あるいは躁転)と間違われたときのヨメの言葉といい、今日の出来事といい、ほんとうにうつ病からの「復活」を実感する、今日この頃。
このまま、ずっと続いてほしいものだ。
(喧嘩だけは願い下げだが)

アモキサンとレキソタンと担当医と家族に感謝。
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うつ病と躁うつ病は、遺伝するのか? [「うつ病」なる病気]

二度寝して9時半すぎに起きて遅い朝ご飯を食べて、実家に顔を出した日の記録。

いったん7時ごろに目を覚ましたのだが、不覚にも二度寝。
リビングにいくと、「ぶらり途中下車の旅」を息子とヨメが見ていた。
昨日は、早めに休んだから10時間近く寝てしまった勘定になる。

寝過ぎのせいか、はたまた曇り空、あるいは疲れのせいか、腰の調子が今イチ。
午後から実家に顔を出し、その後の体調のこと、病気についてのことなどを報告。
別にメールでもよいわけだが、こちらとしても、母の顔は見ておかないと。
なんでも、明日の日曜日は、所属する団体の催しがあるから、「来ても私は居ないから」とのメールが入った。

ひとしきり、話をしてから、近くの八百屋さんに買物があるというので同行。
一箱5キロのみかんを2つ。
別段、腰には影響なし。
一箱、くれた。
ありがたい。

結局、遅めのお昼ご飯を食べて、夕方まで、あれやこれやと話。
親戚の話、亡き父の話、子どもの話。
どうしても、今の自分の関心がうつ病関連になるものだから、話の量としては、この話題が半分以上だったか。

母親曰く、「躁うつ病って、遺伝しちゃうらしいわよ。だって、■山さんて、うつ病なのよ。■山さんのお父さんもお母さんは、躁うつ病だったっていうのよ。だから、▲さん(■山さんの息子きょうだい)は、躁うつ病で入院したんだけど、いまは治って結婚したっていうことよ」
(ちなみに、■山さんというのは、母親の古くからの知り合いで、家族ぐるみでつき合っていた方。私も子どもの頃から知っていたが、今では私自身の知り合いでもないことから、疎遠になっている。)

私「ええ?そうなの? ■山さん。だけど、躁うつ病の遺伝っていう話。あんまり聞いたことないなあ。だったら、うつ病だって遺伝することになるんじゃないの?」

母「あら、そうなのかね? 私たち(夫婦の意味)の家系には、うつ病のひといなかったわよ」

私「おそらく、■山さんとこの例って、性格とか素質とかっていう部分は、親子だととても似てくるだろうから、病気にも似たところがあるってことじゃないのかなあ」

と、ここでこの話題は終わったのだが、ふと考えると、
三代にもわたって、集中的に出るものなのか?
躁うつ病とうつ病って、違いってあるのか? ないんじゃないの?
でも、躁うつ病って、本で読むだけでよくわからないけど、気分の波が高くなりすぎたり、落ち込みすぎたりするだけで、私の罹っているうつ病だって、落ち込みがひどすぎだから「病気」といえる状態にあるわけで、基本的には同じなんじゃないの?

などと分からないことだらけ。

ふつうの状態でも、ゆううつな気分になったり、うれしさのあまり飛び上がるなどは、日常的に起きるわけで。
その気分の上の部分と下の部分が、極端に拡大されて、自分も周りも困ってしまう状態というのが、おそらく躁うつ病。
気分の落ち込みが極限まで引き延ばされるのが、うつ病(こっちは確信がある)。

どちらも、その状態の生じる期間と程度の問題のはず。
そうすると、基本的には同じような病気ということになる。
(はたして正しいのか?)

いわゆる「病前性格」は、うつ病に、「循環気質」は、躁うつ病に親和性が高い、というのが、テレンバッハだかなんだかが考えたんじゃなかったか。

テレンバッハが正しいとすれば、子どもは親の強い支配下のもとで育つものだから、行動の仕方や考え方など家庭(両親)の影響は当然大きなものになるはず。
学生のころ、ふと自分が発したことばが、当時、なんやかやと対立していた父親の言い方そっくりだったことに、愕然とした記憶がある。

自然に刷り込まれるというか、家庭というものは、そういう存在なのだろう。
そうだとすれば、「性格」も「行動様式」も、その結果である外部の環境(仕事、友人など)の選び方も、似てきてしまうのではないか。
あるいは、物事の受け取り方、対処の仕方なども、家族、とりわけ父親、母親の影響を数多く受けてしまうのではないか。

もちろん、完全支配下の子ども時代のまま、人は成長するものでもなく、その後獲得した自分の環境のなかで、(性格を含めた)「自分」というものを作り上げていく(ないし新たな「自己の創造」をしていく)ものだろう。
父親は大きな壁であり、母親は大きなクッションとして存在し続けるものだろう。
(はて、現在の自分は、自分の子どもたちにとって、どうなのか? それはともかく)

おそらく、うつ病ないし躁うつ病の「病気」そのものの「遺伝」というのは正しくなくて、その病気を引き寄せる「性格」ないし、それを作り上げている「素質」の部分、物事のとらえ方、考え方の点で、「遺伝」というより、「両親」それじたいが、うつ病にかかってしまった子どもの「環境」のひとつなのだと考えられないか。

少なくとも、自分のうつ病では、そんな気がする。
子どものころ私に刷り込まれた、「真面目」で、「几帳面」で、「他者協調的」な、(まさに「病前性格」を絵に描いたような)小市民的部分。
それが嫌で嫌でたまらず(要するに、父親への反発でもあったわけだが)、自ら作り上げてきた自分の「性格」だと思ったものが、私の精神の土台には極めて大きな影響を受けていた、というところか。
(ちなみに、父はうつ病にはかかったことなどない、と母親は言っていた)

なお、加藤忠史先生の『うつ病の脳科学』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-05-2にあった「双子の研究」は、非常に示唆的(52ページ以下)。
加藤先生は、「性格傾向の遺伝」だという。

「2164ペアの一卵性双生児で、最近のストレスフルな生活上の出来事を検討した研究によれば、ふたごの一方が大うつ病にかかっている人の場合、大うつ病にかかっていないふたごのもう一人にも、さまざまの生活上の出来事(暴行、深刻な婚姻関係の問題、離婚/別居、失職、重症疾患、経済的問題、親戚や友人とのトラブル)が多く見られたというのである。」

結局、うつ病の原因としては、「このふたごの人たちは、ストレスフルな生活上の出来事を経験しやすい性格傾向があり、この性格傾向が遺伝している、と考えることができる。」という。

こうなってくると、いったい何がうつ病の引き金になるのか、よくわからなくなる。

さらに、同書からの引用。
「うつ病のなりやすさのうち、遺伝要因によって説明できる部分は3割から4割で、双極性障害の7割に比べると少ない。
これは、うつ病がいわゆる遺伝病ではなく、遺伝要因と環境要因の相互作用による複雑な疾病であることを示している。」(156ページ)

つまりは、うつ病には遺伝的説明はしにくいが、双極性障害(躁うつ病)は遺伝的傾向がある、ということになる。
そうすると、母親が言っていたことは、ある部分では正しいことになる。

ところで、躁うつ病(双極性障害)とうつ病というのは、同じものなのだろうか?
人の気分の幅が、極端に(上下ともに拡大、極端化)拡張したのが、躁うつ病なのだとしても、ゆううつ気分だけが極端に拡張されたもの、そのかぎりで、「うつ病」の部分は、両者共通するものだとしても、どうして、気分の高揚のしすぎである躁病相は出てくるのか?

同じ種類の病気のようにも思える。
でも、加藤先生によれば、遺伝的な発現の確率は明らかに異なる。
よくわからなくなったが、ま、いっか。
私は、単なる大うつ病なんだし。
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パキシル添付文書に対する妊婦への警告強化要望書(薬害オンブズパースン会議) [「うつ病」なる病気]

朝日新聞09年10月22日朝刊33面の小さな記事。

タイトル 「妊婦への警告強化要望」
記事概要 「薬害オンブズパースン会議」が、抗うつ薬「パキシル」につき、妊娠中の服用で「先天異常などのリスクが高まる」ので、妊婦や妊娠の可能性がある女性への警告をより強めるよう求める要望書を厚労省に提出した。

薬害オンブズパースン会議
http://www.yakugai.gr.jp/
エイズ薬害を契機として結成されたらしく10年以上の歴史のある団体のようだ。
今回、初めて知った。

警告書要望の概要
http://www.yakugai.gr.jp/topics/topic.php?id=655
曰く、
「心奇形や新生児遷延性肺高血圧症のリスクが増加する」
「生殖発生毒性」
「2000年度から2008年度の間、パキシルの副作用症例として心房中隔欠損症が4例、心室中隔欠損症が3例報告されている」
「新生児薬物離脱症候群が発生する可能性」
などなど。

ここでも例のデイビッド・ヒーリーの意見書(英文と邦訳文)というのが紹介されている。
例によって極めて長文であるが、「抗うつ薬の功罪」よりは読みやすい。
http://www.yakugai.gr.jp/topics/file/091022Healyikennihonngo.pdf

朝日新聞の記事によれば、パキシルは国内で100万人も服用しているのだという。
なんという膨大な数。

パキシルでよく知られている(らしい)副作用としての、いわゆる離脱症状はさておき(たしかに、これも重大な問題なのだろうが、新生児への深刻な影響が指摘どおりであるならば、「まだまし」なのではないか? 飲んだことがないから勝手なことしか言えないが)、もし新生児に今回指摘されているような先天異常が生じたとしたら、子どもにとっても、母親にとっても、その家族にとっても、その後の人生を大きく変えてしまう点で、極めて重大な問題。

いわゆる大うつ病を始めとする精神疾患は、女性のほうが男性の2倍の罹患率だという。
万有製薬 メルクマニュアル医学百科
http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec07/ch101/ch101b.html

とすると、60万人以上の女性がパキシルを飲んでいることになる。

閑話休題。
例のパキシルの自殺リスクの増加が添付文書に【警告】として赤字で強調記載されるようになったばかりか、「重要な基本的注意」でも、「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。また、因果関係は明らかではないが、これらの症状・行動を来した症例において、基礎疾患の悪化又は自殺念慮、自殺企図、他害行為が報告されている。

不安や焦燥、パニック発作を治すべき薬なのに、どうして、こんな「不安、焦燥、興奮、パニック発作」が服用によって生じてしまうのか?

さらには、「易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、軽躁、躁病等があらわれる」とは、いったいどういうことなのか?

躁状態という程度ならば、まだ理解できる。
躁「病」があらわれるとは、いったい何事だ???

もはやこれは、副作用の範疇を超えていると思うが。
いかにパキシルなどが、三環系抗うつ薬にみられる副作用が緩和された画期的な新薬だとしても、また、うつ病にすぐれた効果を示すもの(と言われているが、私は飲んでないから分からない)だとしても、ここまでくると、ただの毒物じゃないのか?

薬としての体をなしていないんじゃないのか?

とはいえ、日本の精神科薬物療法研究会が03年に定めた「治療薬アルゴリズム」によれば、(典型的な)うつ病での第1選択薬は、SSRIまたはSNRIであって、パキシル、ルボックス、デプロメールなる薬が、最初に処方されるのだという(『うつ病をなおす』野村総一郎 著)。
読んだ本〜『うつ病をなおす』野村総一郎 著(講談社現代新書)参照
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-20

研究者、臨床医たち、そしてうつ病学会などの学会、さらには厚労省は、今回の薬害オンブズパースン会議の建議に対し、どう対応するのだろう。

ちなみに、医薬品安全情報では、アモキサンについても、同様の記述「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。」がある。
http://www.info.pmda.go.jp/go/pack/1179001C1024_1_11/

より分かりやすいものとして、岐阜大学医学部付属病院の「医薬品情報説明会(2009年7月13日開催)」
http://hosp.gifu-u.ac.jp/pharmacy/information/presen/presen200907.html
の中の、
http://hosp.gifu-u.ac.jp/pharmacy/information/pchange/pc1060320907.pdf

ふと思う。
ウインドウズは圧倒的シェアを誇るからウイルスも脆弱性も、さまざまな問題点が指摘されるが、Macのシェアはあまりにも低く、その点、不具合等は大きな話題にはならない。

アモキサンも、同様の問題が生じていても、パキシルほどのシェアがないだけに、胎児への影響などが問題にならない(されない)だけなのか?

話を戻す。
今回の「警告強化要望書」がいうとおり、パキシルが妊婦、新生児に問題を生じさせるのであれば、男性の側には問題は生じていないのか?という疑問は、当然生じてしかるべきだろう。

と思って、上記「薬害オンブズパースン会議」の要望書のもうひとつの参考文献「パロキセチン(パキシル)の生殖毒性に関する調査研究」を読むと(って、タイトルじたい、それを示していたわけなのだが、そこが半可通の悲しさ)、「雄のみの使用で不妊が増加することを示している」との記述(11頁)、「雄としての生殖機能そのものが,器質的に傷害・障害されることを意味している」(13頁)との記述があった。なお、この調査は、ラット(ネズミ)を対象としたもの。
「パロキセチン(パキシル)の生殖毒性に関する調査研究」
http://www.yakugai.gr.jp/topics/file/091020Paxilhamahoukokusho.pdf

我が家は、出生数2.0を記録し、なんの関係もなくなったわけだが。
もしかして、人間は、抗うつ薬の開発を通じて、パンドラの函を開けてしまったのか?

それはさておき。
私にとってのアモキサンの副作用は、2.5kgの体重増加くらい。
ほんとうにラッキーな人間なのだろう、とつくづく感じる。

そして、このパキシルを飲んでいる女性たちが妊娠しても、このような重篤な結果が生じないことを心から祈る。
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きたやまおさむの追悼文〜加藤和彦の死に思うこと【10月24日追記あり】 [「うつ病」なる病気]

朝日新聞09年10月19日朝刊。
きたやまおさむの追悼文。

加藤和彦を評して、「趣味は一流、生き方も一流だった。ギタープレーヤーとしても一流で、プレーヤーすなわち「遊び手」としても一流。グルメであり、ワインに詳しく、ソムリエの資格をとるほどで、何をやらしても天才の名に値するレベルだった」と。

最後の一文に注目したい。
「昔話に花を咲かせ共に老後を過ごすことを楽しみにしていた仲間として、そしてこれを食い止めねばならなかった医師として、友人としては、実に無念である」。

遺書を残したり、数日前から「死にたい」と漏らしたり、愛用のギターを友人に渡していたことから、「覚悟の」自殺だと報道するものもある。

たしかに、彼の行動を表面的にみれば、整然と計画的に死に向かって準備を整えていたといえるだろう。
しかし、北山修によれば、「食い止めなければならなかった」ものだと指摘する。
北山修は、いわずとしれた精神科医。

加藤和彦が、うつ病であったことを如実に指摘しているものと考えるべきだろう。
そうだとすれば、「覚悟」の自殺をさせたのは、ほかならぬ「うつ病」の症状に影響を受けた彼の「こころ」がそうさせたにすぎず、決して加藤和彦が死を選んだわけではなかろう。
病んでしまった「こころ」が、そうさせたにすぎない。

上記記事の北山修の追悼文を読むかぎり、加藤和彦は、うつ病の病前性格そのもの。完璧主義者であったようにも思える。
「病前性格なるもの」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-07-2

まわりに診察を受けるように勧めるひとはいなかったのだろうか。
そのことが悔やまれてならない。
もっともっと、やれること、やるべきことはあったはず。
60代の70代の加藤和彦のしごとを見たかった。

この病気特有の灰色の思考。認知を歪ませ、思考を極端に否定的にさせてしまうこの病気が、この「天才」を殺してしまった。残念でならない。

なお、「自殺とうつ病。認知のゆがみ。そして生き方」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-28-2

加藤和彦でまず思い出すのは、やはりアコースティックギターの巧さ。
石川鷹彦とは別なセンスの良さがあった。

「あの素晴らしい愛をもう一度」のイントロは、まさに加藤和彦の音。
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo
この曲には、個人的な思い出がある。
高校時代のガールフレンドがやっていたバンドのサポートメンバーとして、ウッドベースを弾いたっけ。

「戦争は知らない」も好きだった。
http://www.youtube.com/watch?v=xuqBOePNV_w
野に咲く花の名前は知らない。だけども野に咲く花が好き。

「花のかおりに」という歌もいい。やはり、あの時代の曲。
http://www.youtube.com/watch?v=ZDst22K1l9Y

ミカバンド。
10年以上、早すぎた。
「タイムマシンにお願い」
http://www.youtube.com/watch?v=mcZZjarhf9g
ロンドンでは、大受けしたとのこと。

木村カエラが参加した、ちょっとまえのミカバンドのアルバムも、なつかしさとあたらしさが同居していて、よかった。
木村カエラ版「タイムマシンにお願い」
http://www.youtube.com/watch?v=o_QTgwNguj4

木村カエラのほうが、ウマいが(いや、単なる個人的趣味)、そこはご愛嬌。
ただ、オリジナルのミカさんの歌は、味があるともいえる。
そして、加藤和彦のあたたかな笑顔。
もう見ることはできない。
(それはそれとして、どうして奥田民生がギターを弾いているんだ?)

合掌。

【10月24日追記】
泉谷しげる本人の追悼文をみつけた
開くと、妙なpop upがされるのが、五月蝿くて気持ちが悪いが、そこは仕方ないとして。
http://wingsfan.blog64.fc2.com/blog-entry-4124.html

加藤和彦さん追悼カラオケ〜加藤さんに「人生の扉」を開けてほしかった
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-21
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人体実験における電池切れ事件 [「うつ病」なる病気]

3連休の最後の12日の夜。
午前中には、「順調に回復しているということなのだろう。」などとまとめた矢先。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12-1
夜の9時半を過ぎたころからだったろうか。
急に、体のだるさと眠けが襲ってきた。

まるで、インフルエンザにかかって、熱とだるさが急にくるように、眠くなった。
7月21日にアモキサンとレキソタンを服用し始めて、初めての、だるさ。
もう起きていられないという感じがしてきたのは、10時半。
11時前には寝てしまった。

悪いことに昨晩は、娘が学園祭の準備やらで、帰りが0時前後になるとの連絡が入っていた。
駅まで迎えに行ってやればよかったのだが、もうこちらは自分のことで精一杯。
というより、起きていられない。

まあ、この街、(隣町とは違って)とても平和な街だし。
そうそう「事件」も起こるまい、などと、ぼ〜っとしたアタマで考えつつ、床に就いたと思ったら、すぐに眠ってしまった。

娘が帰宅したのは、なんとなく感じていたが、また眠った。

あたかも電池がなくなった懐中電灯のように、す〜っと、眠くなった。
起きていられなくなったのは、なぜだろうと考えた。

そういえば、この土日月と、しごとをしていた。
木曜日には飲んだし。火曜日もだった。

発症前みたいな生活をしながら、きちんとした「休み」を入れていなかった。
先週は、たしか土曜日か日曜日のどちらかで昼寝を2時間ほどした記憶があるが、今週は、昼寝もせずに、あれやこれやと、母親のところに出かけて話をしたり(さらに、そこで仕事までして。(はかどったけれど))と、「病人」であるのに、ウイークデーの疲れを取ろうともせずに、「頑張って」しまっていた。

しごとの成果は上がったにせよ、一気に疲れが出たのだろう。
幸いに、「こころ」のほうに出なくてよかった。
あの灰色の世界の住人になるのは、もうまっぴらご免。

おそらく「体」のほうが、注意信号を出してくれたのだろう。
実のところ、「人体実験」と称して、土日月は、やれるだけやってみた。
それがどういう結果を生むかを知りたかった。

発症(再燃)するとは、考えなかったが、どこまで何をやると、どうなるのかについて、知っておきたかった。
(日垣隆氏ほどの「積極的」かつ(誰が見ても)凄絶な方法による「ウツ」との対決、「ウツ」を強引にねじ伏せることはできないまでも(私は日垣氏のようには、やろうとも思わないが)、ある意味では「敵」の顔色を窺いながら、徐々に以前の仕事のやり方に近づけていって、「敵」を騙そうと思っていたが、今回は、こちらが音を上げた、ということだろう)
日垣隆氏の『折れそうな心の鍛え方』について
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-10

とはいうものの、結局、今日の午前中は、二日酔いの朝程度のダメージで済んでいた。
「疲れ」が「こころ」に出ないで、体に出たということなのか。
いや、起きていられないほどの精神的な疲れ、というべきか。
結局、体を動かす「こころ」に影響が出ていたということか。

難しいことはよく分からない。
しかし、少なくとも、「この病気」特有の精神状態にはならなかったことは、「やったぜ!」的な成功感がある。

たぶん、こういう小さな(病気に対する)成功体験の積み重ねが、病気との同居、「新しい生き方」につながっていくのだ、と信じたい。
(日垣隆氏ほどではないにせよ、彼の100分の1程度だとは思うが、自分にも「強引さ」というものがある。この病気に負けてなるか、克服してみせる、ねじ伏せてやりたい、という)

「この病気」は、他の人はさておき、少なくとも自分の性格、素質それじたいに「原因」があるのだ、と私は考える。
そして、(病気に対して)キミと同居しなければならないけれどもね、と思わせつつ(客観的・結果的には、そういうことになるはずだが)、少なくとも考えと行動のうえでは、最悪の事態をいつも心のどこかに置いておけばよい。

日垣隆氏の『折れそうな心の鍛え方』ではないけれど、すでに「プールの底」を蹴ってから水面に出ている。
あとは、「ふつうに」泳いでいけばいい。
その「ふつう」とは、自分がうつ病になりやすい素質と性格を持っているということを踏まえてのこと。
しかも、このプールには果てがない。
残りの人生、ずっと泳ぎ続けていかなければならない。

いったん、プールの底に沈んだ、それまでの自分との決定的な違いは、場合によっては「プールの底に沈む」のが自分である、ということを自覚したこと。
この違いは、病気に対しては決定的な対処法であると信じる。

インフルエンザにかからないように、外出時にはマスクをし、手を洗い、うがいをするのと同じことを、自分の活動に注意すればよい。
ともすれば、暴走(←それは言い過ぎだとしても)しがちな自分の生き方、行動を、それはそれとして客観的に眺めつつ、律していけばよい。

今回の「電池切れ」事件で、そんなことを考えた。

大部分のうつ病は再発するらしいのだが、今のところ再発どころか、投薬治療中なのだから、再燃を心配すべき段階なのだろう。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-11-1
「うつ病の再燃と再発」という論文
http://www.fuanclinic.com/byouki/a_21.htm
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「夢」。夢を見た [「うつ病」なる病気]

まるで、世界のクロサワの映画のタイトルのようだが、やっと夢を見た。
あるいは、やっと、見た夢を覚えていた。
今朝のこと。

この前のエントリー(http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-25)でも書いたが、この薬(アモキサンとレキソタン)を飲み始めてから、夜、見るべき夢を見なくなった。単に、記憶に残っていないのかもしれないが。

けれど、飲んでいるのは向精神薬。
繊細な(はずの)脳の神経に手を突っ込んで、掻き回して治してくれるための薬物。

夢を見る回路に障害が起きたのか? 
あるいは、このうつ病という病気それじたいの「症状」として、夢を見なくなるのかもしれないのか、などと、つまらぬことを考えていた。

いずれにしても、うつ病と投薬という条件が重なってしまった以上、どちらの影響で夢を見なくなったのか、覚えていないにすぎないのか、分からない。

とはいえ、今朝は、明らかに見た夢を覚えていた。
楽しい夢でもなんでもなく、仕事がらみというところが笑える。

別段、苦しい夢でも、嫌な夢でもなく、ごくふつうにやりとりをし、自分の疑問を相手に投げかけ、そんな会話をするという、リアルな夢だった。
単純に、自分が疑問に思っていることを、脳は、やはり覚えていて、整理しようとしてくれていたのだろう。
別な夢も見た。

この病気にかかったというだけで、ちょっとしたこと、つまりは夢を見るの見ないのというレベルですら、(とりあえず)気にはなる。

しかし、それも、とうとう氷解。
先月は、喜怒哀楽という情緒が確実に元に戻ったことが嬉しかった。
やっと今日、見た夢を覚えていられた。
また一歩、「こころ」が回復してきたことになる。
(単に、起きたときに忘れただけにすぎず、毎晩、夢を見ていたのかもしれないが、そこは楽天的に考える。)

夢を見ないなどという「副作用」があるのかについて、次回、担当医に聞いてみよう。
「喜怒哀楽」について私が話をしたとき、なにやらメモをカルテにしたためていたのには驚いた。

このあたりの感覚、情緒の回復について伝達をする、うつ病患者というのは、担当医には、いないのだろうか?
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「抗うつ薬と自動車運転〜尾崎紀夫教授の報告」に思うこと [「うつ病」なる病気]

元ネタは、
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-03-1

そもそも、三環系抗うつ薬のうち、第一世代のアミトリプチリン(トリプタノール)は、かなり強い薬であるようだが、あえてこれを選択したのは、なぜなのだろうか。

kyupin先生のブログによれば、最初からパキシルという薬を処方していたら、自殺したかもしれないような患者に投与するレベルの薬のようだ。
「トリプタノールとアモキサン」の項
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10032429135.html

仮に、私の飲んでいるアモキサンであっても、最初の数日は眠さが非常にあった。
そのような強力な(強力ではなくても)、向精神薬なんてものは、病んだ精神を殴りつけて「治す」ようなものなのだから、飲めば、ふつうに眠くなるに決まっている。

しかし、人のからだというものは不思議なもので、アモキサンの経験しかないが、眠さは特に気にならなくなる。
つまり、治療のために連用することで、体は慣れてくるのだろう。
(あまりに強烈に殴られていることで、気にならなくなる、ということか? 逆に、人の体というものの神秘というのか、順応力のものすごさを感じる。)

もし、自動車運転に三環系抗うつ薬が影響するかをテストするのであれば、飲み始めた初期ではなく、ある程度、体が慣れたときにすべきなのではないのか?

飲んですぐに(4時間後であれ)、薬理作用が効く薬を投与されれば、ブレーキ操作の遅れも、指定されたコースを一定時間走れないなどということも、起きて当然だろうと思う。

尾崎医師は、「SSRIやSNRIは自動車運転技能に影響を与えないことが立証されている。」と断言するが、そうすると、「すべての向精神薬にはねむけが伴います。」と書いてあるこのクリニックの記述は、重大な虚偽事実を述べていることになる。
http://www.myclinic.ne.jp/ikedamental/pc/free5.html

また、「うつ病患者においても認知機能障害が認められると報告されている」とあるが、むしろ、うつ病そのものが、知覚、記憶、表現、叙述、情緒などを含めた情報処理それじたいに障害のある状態であるのだから、あたりまえのこと。

そのあたりまえのことに続けて、「抗うつ薬がうつ病症状を改善したとしても、アミトリプチリンを含めた三環系抗うつ薬では、回復した患者の運転技能・認知機能にも影響を及ぼすことが示唆された」とする。

なんか、あまりに大雑把な物の言い方のような気がするのは、私だけだろうか?

【追記】
すみません>尾崎先生
今日も、実家の母親のところへの行き帰り、クルマを運転してしまいました。

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(三環系)抗うつ薬と自動車運転〜尾崎紀夫教授の報告 [「うつ病」なる病気]

名古屋大学の尾崎紀夫教授の研究報告
「抗うつ薬の作業能力への影響の検討」(以下、「前記報告」とする。)
 http://www.utsu-rework.org/info/009_1.pdf

もうひとつ、同教授の研究報告
「Ⅵ 疾患別の復職支援 1. うつ病」(以下、「後記報告」とする。)
 http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/report/shima16/shima16-20.pdf

早い話、
三環系抗うつ薬を飲むと自動車運転は危険だから、飲むならば、SSRIにしなさい、ということ。
また、三環系抗うつ薬では、たとえうつ病から回復したとしても、運転技能・認知機能に影響を及ぼす可能性を指摘していること。

いやはや、なんとも。
とんでもない内容の報告書。
いや、三環系抗うつ薬のひとつであるアモキサンを服用する私にとっては、の話。
別段、研究方法がとんでもないなどと、今回のエントリーでは、主張するつもりは、ない。

さて、
前記報告の1ページ目には、

「三環系抗うつ薬服用により交通事故発生率が2倍に増加することが疫学的研究によって報告されて」いるとの記述あり。

続けて、「三環系抗うつ薬が認知機能及び運動機能の障害をもたらし、運転技能にも悪影響を及ぼすことが繰り返し確認されている。」とする。

次に、後記報告には、

「酒気帯び運転以上の問題を三環系抗うつ薬が引き起こす」とし、三環系抗うつ薬が引き起こす認知・記憶障害、眠気、平衡障害や、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬が引き起こす眠気を指摘し、「この様な薬理学的に多様な副作用の結果、三環系抗うつ薬や、ベンゾジアゼピン系の抗不安薬は運転技能に影響を与えると考えられる。」(74/97)と結論づける。

これに対し、SSRIやSNRIは、このような副作用を有していないので、自動車運転技能に影響を与えないことが、ヨーロッパ圏のデータによって立証されている、とする(前同)。

自分の話。
私が飲んでいるアモキサンは三環系抗うつ薬であり、レキソタンはベンゾジアゼピン系の抗不安薬である。
ただ、アモキサンは、第2世代に位置づけられる三環系であって、尾崎教授が使った「アミトリプチリン」は、第1世代。

臨床医による「アミトリプチリン」(商品名は、トリプタノールらしい)の処方というのは、一般的なのだろうか?
http://www.banyu.co.jp/pdf/content/public/medicine/ppi/ppi_tryptanol_tab.pdf

それはともかく。
尾崎教授は、「すべての三環系抗うつ薬」と言い切って、結論づけている。

「三環系抗うつ薬が認知機能及び運動機能の障害をもたら」す以上、現状の私は、認知障害と記憶障害の下にあるのだろうか?
平衡障害を持っているのだろうか?
毎日、眠くて仕方ないのだろうか?

アモキサンとレキソタンを服用する直前は、典型的なうつ病の指標どおりに、たしかに認知と知的活動に障害があったと思われる。
当時、前頭葉の血流を調べたら、ほとんど血流がなかったんじゃなかろうかと思えるくらいに。

少なくとも、7月21日の初診の日の、担当医の質問に対する答え、私の表現叙述の能力ばかりか、知覚能力、喜怒哀楽の感情など人間としての精神的な諸活動の著しい低下(というより、ほとんどバカになっていたような気がする)は、強く心に残っている。

服用後、まだ3ヶ月に満たないが、話は尾崎教授の報告とは逆であって、三環系抗うつ薬(アモキサン)とベンゾジアゼピン系の抗不安薬(レキソタン)によって、服用以前の記憶、認知機能に戻っている(いや、もし、尾崎教授の指摘が正しいとするならば、私には記憶、認知、運動機能、平衡感覚の低下の「認識」すらないことになり、その病識がないというのは、うつ病というより、より高機能の脳障害ということになりはしまいか)。

また、平衡感覚を試すことなどしたことはないが、とくに日常生活に問題があった記憶は、ない。
たしかに、服用当初は、眠気を感じたが、ほどなく「眠気の呪縛」から解放されている。

尾崎教授の前記報告の結論は、「抗うつ薬の選択によっては、運転を含めた日常業務遂行など、うつ病患者の社会復帰を妨げ、労働災害に結びつく危険性があることが示唆された。」(研究要旨、文字強調は私が付した)というところにある。

結局、うつ病患者が社会復帰をするには、SSRIとSNRIを飲みましょう、ということなのだろう。

ちなみに、前記報告のために行われた研究は、健常者に「アミトリプチリン」という三環系抗うつ薬、パロキセチンというSSRIと、プラセボを用いた二重盲検、クロスオーバー試験法を用いたとのこと。

うつ病患者に、これだけ劇的に作用する薬を、健常者に与えたら、そりゃあ眠くて仕方ないだろうなと思う。
当初の眠さというのは、うつ病患者だろうが健常者だろうが、関係なく作用するのではなかろうか。

では、その後、飲み続けているうちにというか、ものの1週間程度で、日中の眠さというのは無くなった私は、いったいなんだというのだろうか?
担当医は、「副作用が先に出て、薬が効き始めるのは、少し遅れてやってきますから。3日目くらいから副作用が出ますが、そのあとで効き始めますからね」と言っていた。

私の場合は、逆プラセボか?
薬への反応が、非常に効果的に出たのだろう。

尾崎教授も、前記報告の「研究目的」の部分で、「薬物反応性には個人差が存在する。」と一言ではあるが、私のような存在の可能性を示唆している(前記報告1ページ)。

また、「血中濃度の個人差によって、運転技能が様々に影響されると考えられ」、そのための研究である、としている(前記報告1ページ)。

要するに、「いろいろ考えています。例外もあり得ます」、と判断を留保(一般的には、こういうことを「逃げを打つ」というと思うのだが、違うか?)しているが、全体の論調は、上記結論のとおり。

さらに、「主観的眠気については、血中濃度との相関は認められなかった」とし、「個人の薬物動態的差異よりも、個人の薬力学的差異が関与している」と考えられるとする(前記報告3ページ)。

驚愕すべきは、尾崎教授は、「アミトリプチリンを含めた三環系抗うつ薬では、回復した患者の運転技能・認知機能にも影響を及ぼすことが示唆された」(前記報告3ページ。文字強調は私が付した)とまで言い切っている。

尾崎教授に言わせれば、もはやアモキサンを飲み始めた私は、現在も将来も、自動車運転不適格者である、ということが示唆されていることになる。

最も恐ろしい記述は、ブレーキ操作の遅れに関する記述で、「酒気帯び運転以上の問題を三環系抗うつ薬が引き起こすことがわかる」という部分(後記報告 74/79)。

尾崎教授。なんとなくSSRIのエバンジェリストな気がするのは、私の思い過ごしか。

※追加コメント
「抗うつ薬と自動車運転〜尾崎紀夫教授の報告」に思うこと
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-04

ちなみに、kyupin先生のブログによると、トリプタノールは、最強の抗うつ薬らしい。
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10032110061.html
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10014947520.html

※それにしても、「マジックアワー」。
何度見ても、面白い。
但し、民放だとCMがうざい。
すべてまとめて最後に30分くらい、続けてやってくれたらよいのに。

※なお、寝酒に梅酒を飲んだので、文章がおかしいところがあるかもしれぬ。
 いや、これも三環系抗うつ薬による、「認知、行動の障害」によるのか。失笑。


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