ハイキングだと思ったら「登山」だった話w [住まい・家族・生活]

標高330メートルというから、高をくくっていた。

とんでもない話だった。
要するに、私の体がなまっているだけの話。

アップダウンがあること。

登りはさておき、下りの足への負担は、相当なものだった。

いや、途中で息切れを起こし、はいつくばるようによじのぼっていったときもあったっけ。

もうひとつ、失敗したのは、水ではなくポカリスエット系の飲料を用意しなかったこと。
筋肉は脱水症状を起こしていたのだろう。

昼すぎには温泉に浸かり、昼食。

問題はその後だった。
ビールでのどをうるおし、地酒を飲んでいるうちに、急に膝の上の筋肉がつりはじめた。しかも両足。

義兄がマッサージをしてくれたからよいようなものの、そうでなければどうなっていたか。

ありがとうございました>義兄

ほんとうに助かりました。

なんといっても、深い深い緑。

カッコウの大きな声。

五百羅漢のさまざまな表情。


それにしても五百羅漢。
あんな山の中にあれだけの数(どう考えても500もなかったが)を運び込む大変さ。
見ざる聞かざる言わざるの3タイプのバリエーションがいくつかあって、おもしろかった。
石を刻むことの意味。

帰りの駅で。
義兄と別れたのだが、またもや膝上がつりはじめ、動けなくなったのには笑えた。

ベンチで休んでいると、地元のおばあちゃん二人組みが近くにいて、「どこから来たの?」「どこに行ってきたの?」と話しかけてきた。

足の痛みが取れるまで30分以上はしゃべっていただろうか。

ひとりは83歳、もうひとりは77歳だという。

血色もよく元気そうなおばあちゃんたち。

「また、いらっしゃい。ここはいいところでしょ」
そうですね。もっと体を鍛えてから、再挑戦します、と答えて階段を昇ろうとすると、またも大腿がつったw

階段でしばらく休み、改札口へ。
あと1分で電車、出ますよ、と駅員の声は聞こえるも、足は言うことをきかない。
走ることができず、ホームに着いた時には電車は出て行った。

ダイヤをみると、次の電車は1時間後。
八高線というものはそういうものなのか。

次の八高線を待つ間のこと。
ベンチの2つむこうにジャニーズ系というか、ふつうのイケメンというか、最近の若者が座った。
どちらからともなく話が始まる。

彼は考古学に興味があって、古墳をみにきたのだという。
都内の学生。

第一志望には入れなかったのだという。
「私だってそうだったよ。けどさ、『どこ(の大学)で(勉強を)やるか』も大きな問題だけど、たぶんそこで『何をやるか』がもっと大切なんだと思うよ」などという、酔っぱらいオヤジの駄話に彼はつきあってくれた。

途中で、また足がつりそうになりw、彼にポカリ系飲料を買いに行ってもらうw
ありがとうございました>青年

30分ほど、あれやこれやと話をしていたころ、目の前にSLが停車した。
客車を引っ張って動いているSLを間近に見たのは初めてだったので、興奮した。

あの躍動感。あの力強さ。
停車中は白い煙を吐き、動く時の動輪の音。黒い煙。

「鉄男」や「鉄子」が好きになる気持ちが、少しだけ分かったような気がした。
そういえば、山を歩いている途中で、遠くで汽笛が聞こえていたことを思い出した。
秩父鉄道。
古色蒼然とした客車。
見ているだけで、なんとなく落ち着くのが不思議だった。

初めて八高線に乗った。
なんというローカルさ。なんというのどかさ。
ドアは、ボタンを押さないと開かない。
話には聞いたことがあったが。
窓にはカーテンが付いていた。

いかに日曜日だったとはいえ、いつまで経っても混まない電車というのが、この時代、この瞬間にも走っているのかと思うだけで、心がなごむ。
途中駅で、相当な時間、停車していたことがあった。
単線らしい。

単線というのは、なんとかいう輪っかを車掌が渡し合う。
いまでも八高線では、そうしているのだろう。

時代が数十年遡ったような街を眺め、のどかな田園風景を眺め、山に登り、温泉に入り、昼酒を飲み、足がつりw、いい一日だった。

ちなみに、一日経つと足の痛みはまったくなかったかのような状態になっている。
ちょいとした突っ張り感はあるものの。

お世話になりました>義兄


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