もう一度、精神科での臨床心理士の「予診」を考えてみた [「うつ病」に対する心理療法]

インフルエンザの予防接種を受けるときなど、「問診票」というのに記入させられる。
これって、「予診」なのか?
「予診票」とも言うし。

7月21日に精神科のクリニックを初めて訪れたとき、受付で「問診票」のような、チェックリストを渡された。よくあるうつ病の症状が書かれていて、それを持って診察室に入るよう受付の方から指示された。
担当医は、このチェックリストを見ながら、私に質問をする。

こういう形態であれば、この「問診票」のようなものは、「予診」ではあるまい。
単なる診察の時間軽減策。

例の精神科医の泉谷医師のクリニックの「予診」で触れたこと。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-13-1

泉谷医師のクリニックのサイト
http://www.izumiya.asia/reservation.html
には、「初回は原則としてカウンセラーが予診を行って精神療法の適否を判断し、担当者・料金等についてのご希望を伺った上、決定させていただきます。(担当者により料金が異なります)」とあることについて(太字は私が付した)。

泉谷医師の「カウンセラー」は、2名の臨床心理士であることが明示されている。
http://www.izumiya.asia/our%20staff.html

一般に医療者の間で、「予診」というものはどう考えられているのだろうと思って、ググってみたら、『精神科における予診・初診・初期治療』(笠原 嘉 著)という本があるらしく、これについて臨床心理士の方がレジュメを作成して公開しているブログがヒットした。
http://flutingsnoopy.jugem.jp/?eid=609

「Pt.」ってのは、文脈からしても、patient(患者)の略だろう。
精神科医の楽屋裏を見させてもらっているようで、なかなかに興味深い。

まず、このブログ冒頭で、「[ ]内は自分が考えたこと,体験したこと。」とあり、レジュメと実例が区別されることを明示している。

この臨床心理士の方の病院では、「自身の予診」という表現を用い、30分前後で患者から話を聞くとのこと。その際、「医師の診察」の前に「カルテを作成」することを患者に告げるという。

つまりは、臨床心理士が「予診」を行うということ。
明らかに「医師の診察」と区別している。

臨床心理士の『予診』と医師の『診察』は、どう違うのか?
カルテというのは、「診療録」のことだろう。
「予診の結果カルテを作成する」というのは、診察行為の結果を記載することではないのか?
カルテ作成というのは、医師以外でも作成できるものなのか?

医師法24条1項
医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO201.html

カルテというのは、医師が作成するものとなるのではないのか?(いや、そうに決まっているw)
医師という特別の能力と技能を備えた特別の地位にある者が、その診察や治療(要するに診療)や検査等の都度、その経過、内容、判断、結果等を記録する。
だからこそ、刑事訴訟法上も、証拠能力が特別に与えられている(323条3号書面)わけで。

閑話休題。
このエントリーを読んでいて、上記著作のまとめ部分に、昼食の時間を大幅に過ぎてきて、聞く側がイライラして来ると、一問一答的なやりとりになってしまうらしい。「空腹・疲労・眠気は診察に向かない」とのくだりがあって、笑わせてくれる。

「空腹・疲労・眠気」でイライラするという個人の感情は、じつによく分かるし、共感もできる。
しかし、こういう医師には、めぐりあいたくないものだ。

勝手な医師サイドの都合(それも、超下世話な、腹が減ったのどうのというレベルの話)で、患者の命すら左右する精神疾患を診ているのだということが、おそらく執筆者の医師にも分かってはいまい。
(もちろん、腹が減ればイライラするというあたりまえのことをあたりまえに書く必要もない。「ありがちなこと」だけに、あえて強調したものと考えるべきだろう。)

まあ、「選ばれしひと」にありがちな態度といえば、そうなるが。
(そういえば、『訊問の罠』の高裁裁判長も、とんでもない行動を取っていたっけ)
『訊問の罠 ー 足利事件の真相』(菅家利和、佐藤博史著)
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-23

想像力の欠如。

それはさておき。
このブログ主の病院でも、「予診」を医師がやっていないようだ。
医学部の学生ならば、まだギリギリOKということにしておこうか。

医学部学生の医師国家試験の合格率は、平均で90%前後(なんと順天堂大学は97〜8%という驚異的レベル、これでも全国3位の合格率だという)。
いまだグレーとはいえ、ほぼ医師になりうるひとたちだから。
順天堂大学医学部のサイトにあるグラフ
http://www.juntendo.ac.jp/med/kokushi.html

臨床心理士は、医学生ではない。
それなのに、「予診」をやって、カルテまで書いている。

レジュメ冒頭にある、医師である笠原 嘉という人の書いた『精神科における予診・初診・初期治療』のまとめとして、この臨床心理士の方が書いたものによれば、予診には3つの側面があるらしい。

1)練習という教育の意味。
2)情報収集という情報提供の意味
3)初回面接という意味

「練習」「教育」というのは、医師としての教育のことを指していると考えるのがふつうなのではないか。
「医師が」臨床心理士に教育をする、というのは、おそらく想定されていまい。

情報提供の面。
それこそ、医師としての立場からキャッチした情報こそが意味ある診断を下すことになるのではないのか?

患者ないし家族が「予診者という最初に出会う医療者の一挙手一投足」(レジュメ部分)というあたりで、あやしくなってくる。
「医療者」とはなんぞや?(単純に、「患者以外の病院側」という軽い気持ちで書いているのだろう)

ふつう、「医療者」といえば、医師、看護師あたりが想定されるのではないか。
さらに研修医(これだって立派な医師じゃん)、(ギリギリ)医学生、看護学校生徒あたり?
結局、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)、臨床検査技師(MT)、放射線技師(RT)、柔道整復師あたりまでは、国家資格保持者であることもあるし、「医療側にいるひとたち」ということができても、だからとって医療者とは言わないだろう。

まして、臨床心理士を「医療者」に入れるとなると、物理療法士や作業療法士からは、クレームがつくかもしれない。
我々は、きちんとした国家資格従事者であって医療サイドの人間だが、臨床心理士は、違う!とか。

そんな状態なのに、臨床心理士が医療に携わる、精神疾患という極めて微妙な問題の最初の部分に「予診」と称して立ちふさがることが、果たして正しいことなのか?
許されるべきことなのか?

やはり、この方のレジュメを読んでも、余計に疑惑が深まるばかりで解決にはならない。

なお、昭和大学横浜市北部病院というところでは、次のように「予診」と「診察」をすると明示されていた。
http://www10.showa-u.ac.jp/~hokubu/03_nyuin/09_shinan_06.html

サイトには、「精神科医師による診察に先立ち、研修医、医学部学生、または、臨床心理学大学院生がお話しをうかがいます(これを予診と言います)。予診では、受診の理由、生まれてから現在までの経歴、家族の状況、過去の体の病気、今回の症状の経過(いつ頃からどのような症状があるのかなど)をお尋ねします。予診には30分から60分ほどかかります。予診の後に精神科医師による診察があります。」との説明がある。

朝日新聞09年11月17日生活欄によれば、「『認知行動療法』ができる心理士の正確な数はわからず、学会資格などもない。ある大学教授は、正式に訓練を受けた人は『数百人もいない』と指摘する。」とのこと。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-11-17-1

はてさて。
「予診」をしてカルテまで作成する臨床心理士は、認知行動療法の正式な訓練を受けたひとなのだろうか。そうであることを祈るほかない。

私は、幸いにして、認知行動療法というものに出会うことなく、投薬治療だけでここまでこれたが、約2万人いるといわれる臨床心理士のうちの数百人に遭遇できるうつ病患者ないし精神疾患を患ったひとたちは、おそらく僥倖以外の何ものでもないということになるのだろう。

【続編】
「臨床心理士が腹の底で考えていることw」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-03-1
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