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臨床心理士が腹の底で考えていることw [「うつ病」に対する心理療法]

昨日の「もう一度、精神科での臨床心理士の「予診」を考えてみた」http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-02のネタ元の臨床心理士の方の別のエントリーの内容が興味深かったので、書かせていただく。

「病院で“臨床心理士”がしていること」というエントリー
http://flutingsnoopy.jugem.jp/?eid=616

民間資格者である臨床心理士の方の本音が読めて、じつに興味深い。
「暗黙の了解」なる、その業界でしか通用しないことを書いてくれている。
おいおい! なんだよ、それって(含意するところは、じつによく分かるが)というところだが。

「氏とは?育ちとは?」というタイトルのも、興味深い。
http://flutingsnoopy.jugem.jp/?eid=613

「氏は遺伝子、育ちは環境」と定義づけるのはわかるのだが、その後、向精神薬の薬理機序の話になって、よくわからないということになってw、精神療法・心理療法の違い(要するに主体が医師か否かによる呼称にすぎない、という)を述べ、心理療法で「器質的な変化、もしくは分泌の変化が起こっているのかも」というところで、もはや読むのは勘弁させてもらった。

(なんか、前にも、こんなことがあったような気がする。途中で読んでいて、わけがわかんなくなってという経験。このブログに書いたような。それも臨床心理士のひとじゃなかったか? 私は臨床心理士のひと(のブログ)とは相性が悪いのかw)

たしかに、うつ病患者の前頭葉の血流は、ひどく少なくなっていると言われているし、じっさい私も急性期のころは、バカになったんじゃないか(じっさい、思考が硬直化してしまうのだから、そう表現しても間違いではなかろう)と思えるほどに、感情、認知、表現、行動に明らかな障害が出ていた。

薬物療法ってのは、きっと内分泌になんらかの影響を及ぼすだろう。
太っちゃったりするひともいるらしいから。
怖いけど。
ターゲットとなる部分以外についても影響が出てしまうことは、いまの精神医学のレベルでは仕方のないことなんだろう。

しかし、心理療法で抑うつ状態等が解消されたとして、それは感情、認知、表現、行動が元に戻った(あるいは、新たな行動をすることができる生き方を獲得できた、社会と折り合いをつけて生活できるレベルに回復できた)ということなのであって、それをして「器質的な変化、もしくは分泌の変化が起こっている」と表現するというのはどうかと思うが、違うか?

そんな大げさなものなのかい?

(というか、本質的に違うことなんじゃないのか? 単純に認知、行動というパターンを病気にならないように仕向けて行くことが、認知行動療法の目的なんじゃないのか? あるいは、生き方を変える手助けをする、と表現してもよいだろう。)

そもそも、心理療法がそのような生理学的なしくみに、ほんとうに影響を与えるような力を持っているのか? たとえ結果として、だとしても。
もしそうなら、大変なことになるんじゃないのか?

つまり、それはまさに医療行為そのものなんじゃないのか、ということ。
もしそうなのなら、明らかに医師法に抵触することだろう。

(いや、そんなことは絶対にありえないだろう。催眠術をかけて相手の行動が変わったからといって、「器質的な変化、もしくは分泌の変化」が起こるとはいうまい? ただ、この病気から回復すれば、生き生き、あるいははつらつとしてくるわけで、そのことを言っているのだろうか? それはおそらく話が逆で、病気でおかしくなっていたにすぎないのであって、ブログ主の言い分が正しいとすれば、その段階で「器質的な変化、もしくは分泌の変化」が起きていなければならないことになる。そうなの? 回復した結果、生き生きするのは当然の結果にすぎないだろう。)

まあ、なんであれ、現状が改善されて、再発しないようになればよいわけで。
(再発したところで、春日先生によれば、1年に何度も風邪くらいはひくだろうと、ゆったり構えていればそれはそれで上々)

イワシの頭も信心から。
臨床心理士サイドの「熱意」が高ければ高いほど、患者への伝わり方も変わってくるのだろうし、そうすれば回復も一層早まるということになるわけで。
「イワシの頭」であれ、臨床心理士の方が熱意をもつきっかけになるのであれば、それはそれでよろしいこと。

(そのような臨床心理士の働きかけの結果、患者がその疾患を抱えながら生きていけるようになれば、あるいは病気と折り合いをつけて生きていくことができるようになったのならば、どう理由付けしようとしまいと、疑問があろうと正しかろうと(正しければ良いのだがw)どうでもよい世界。)

(ただしかし、「かも」と留保しつつも、心理療法で「器質的な変化、もしくは分泌の変化が起こっている」とまでいうのは、なんの根拠もない、ただの推測にすぎないのではないか。むしろミスリーディングな気がする。)

私は認知行動療法を受けていないし、仮に今後、うつ病が再発したとしても受ける気などないから、どうでもよいが。

という次第で、臨床心理士という存在の実態(何をどう考えているのか、精神科における位置づけなど)が垣間見えて、非常に興味深いエントリーだった。

そして思う。
臨床心理士なんぞに国家資格など与えるべきではない。
まともな文章をかけない、論理性がない、アタマ悪いw
もとより、まともな臨床心理士もいるにはいるのだろう。
しかし、それは縫い針の穴に駱駝を通そうとするくらい奇跡の出会いが必要だろう。

こんなバカげたことを書いている臨床心理士など、死んでしまえ。
というのもかわいそう。

ロールシャッハあたりを、やってりゃいい。
毒にも薬にもならないことを。
医師の手先、手許、手先として。
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もう一度、精神科での臨床心理士の「予診」を考えてみた [「うつ病」に対する心理療法]

インフルエンザの予防接種を受けるときなど、「問診票」というのに記入させられる。
これって、「予診」なのか?
「予診票」とも言うし。

7月21日に精神科のクリニックを初めて訪れたとき、受付で「問診票」のような、チェックリストを渡された。よくあるうつ病の症状が書かれていて、それを持って診察室に入るよう受付の方から指示された。
担当医は、このチェックリストを見ながら、私に質問をする。

こういう形態であれば、この「問診票」のようなものは、「予診」ではあるまい。
単なる診察の時間軽減策。

例の精神科医の泉谷医師のクリニックの「予診」で触れたこと。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-13-1

泉谷医師のクリニックのサイト
http://www.izumiya.asia/reservation.html
には、「初回は原則としてカウンセラーが予診を行って精神療法の適否を判断し、担当者・料金等についてのご希望を伺った上、決定させていただきます。(担当者により料金が異なります)」とあることについて(太字は私が付した)。

泉谷医師の「カウンセラー」は、2名の臨床心理士であることが明示されている。
http://www.izumiya.asia/our%20staff.html

一般に医療者の間で、「予診」というものはどう考えられているのだろうと思って、ググってみたら、『精神科における予診・初診・初期治療』(笠原 嘉 著)という本があるらしく、これについて臨床心理士の方がレジュメを作成して公開しているブログがヒットした。
http://flutingsnoopy.jugem.jp/?eid=609

「Pt.」ってのは、文脈からしても、patient(患者)の略だろう。
精神科医の楽屋裏を見させてもらっているようで、なかなかに興味深い。

まず、このブログ冒頭で、「[ ]内は自分が考えたこと,体験したこと。」とあり、レジュメと実例が区別されることを明示している。

この臨床心理士の方の病院では、「自身の予診」という表現を用い、30分前後で患者から話を聞くとのこと。その際、「医師の診察」の前に「カルテを作成」することを患者に告げるという。

つまりは、臨床心理士が「予診」を行うということ。
明らかに「医師の診察」と区別している。

臨床心理士の『予診』と医師の『診察』は、どう違うのか?
カルテというのは、「診療録」のことだろう。
「予診の結果カルテを作成する」というのは、診察行為の結果を記載することではないのか?
カルテ作成というのは、医師以外でも作成できるものなのか?

医師法24条1項
医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO201.html

カルテというのは、医師が作成するものとなるのではないのか?(いや、そうに決まっているw)
医師という特別の能力と技能を備えた特別の地位にある者が、その診察や治療(要するに診療)や検査等の都度、その経過、内容、判断、結果等を記録する。
だからこそ、刑事訴訟法上も、証拠能力が特別に与えられている(323条3号書面)わけで。

閑話休題。
このエントリーを読んでいて、上記著作のまとめ部分に、昼食の時間を大幅に過ぎてきて、聞く側がイライラして来ると、一問一答的なやりとりになってしまうらしい。「空腹・疲労・眠気は診察に向かない」とのくだりがあって、笑わせてくれる。

「空腹・疲労・眠気」でイライラするという個人の感情は、じつによく分かるし、共感もできる。
しかし、こういう医師には、めぐりあいたくないものだ。

勝手な医師サイドの都合(それも、超下世話な、腹が減ったのどうのというレベルの話)で、患者の命すら左右する精神疾患を診ているのだということが、おそらく執筆者の医師にも分かってはいまい。
(もちろん、腹が減ればイライラするというあたりまえのことをあたりまえに書く必要もない。「ありがちなこと」だけに、あえて強調したものと考えるべきだろう。)

まあ、「選ばれしひと」にありがちな態度といえば、そうなるが。
(そういえば、『訊問の罠』の高裁裁判長も、とんでもない行動を取っていたっけ)
『訊問の罠 ー 足利事件の真相』(菅家利和、佐藤博史著)
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-23

想像力の欠如。

それはさておき。
このブログ主の病院でも、「予診」を医師がやっていないようだ。
医学部の学生ならば、まだギリギリOKということにしておこうか。

医学部学生の医師国家試験の合格率は、平均で90%前後(なんと順天堂大学は97〜8%という驚異的レベル、これでも全国3位の合格率だという)。
いまだグレーとはいえ、ほぼ医師になりうるひとたちだから。
順天堂大学医学部のサイトにあるグラフ
http://www.juntendo.ac.jp/med/kokushi.html

臨床心理士は、医学生ではない。
それなのに、「予診」をやって、カルテまで書いている。

レジュメ冒頭にある、医師である笠原 嘉という人の書いた『精神科における予診・初診・初期治療』のまとめとして、この臨床心理士の方が書いたものによれば、予診には3つの側面があるらしい。

1)練習という教育の意味。
2)情報収集という情報提供の意味
3)初回面接という意味

「練習」「教育」というのは、医師としての教育のことを指していると考えるのがふつうなのではないか。
「医師が」臨床心理士に教育をする、というのは、おそらく想定されていまい。

情報提供の面。
それこそ、医師としての立場からキャッチした情報こそが意味ある診断を下すことになるのではないのか?

患者ないし家族が「予診者という最初に出会う医療者の一挙手一投足」(レジュメ部分)というあたりで、あやしくなってくる。
「医療者」とはなんぞや?(単純に、「患者以外の病院側」という軽い気持ちで書いているのだろう)

ふつう、「医療者」といえば、医師、看護師あたりが想定されるのではないか。
さらに研修医(これだって立派な医師じゃん)、(ギリギリ)医学生、看護学校生徒あたり?
結局、理学療法士(PT)や作業療法士(OT)、臨床検査技師(MT)、放射線技師(RT)、柔道整復師あたりまでは、国家資格保持者であることもあるし、「医療側にいるひとたち」ということができても、だからとって医療者とは言わないだろう。

まして、臨床心理士を「医療者」に入れるとなると、物理療法士や作業療法士からは、クレームがつくかもしれない。
我々は、きちんとした国家資格従事者であって医療サイドの人間だが、臨床心理士は、違う!とか。

そんな状態なのに、臨床心理士が医療に携わる、精神疾患という極めて微妙な問題の最初の部分に「予診」と称して立ちふさがることが、果たして正しいことなのか?
許されるべきことなのか?

やはり、この方のレジュメを読んでも、余計に疑惑が深まるばかりで解決にはならない。

なお、昭和大学横浜市北部病院というところでは、次のように「予診」と「診察」をすると明示されていた。
http://www10.showa-u.ac.jp/~hokubu/03_nyuin/09_shinan_06.html

サイトには、「精神科医師による診察に先立ち、研修医、医学部学生、または、臨床心理学大学院生がお話しをうかがいます(これを予診と言います)。予診では、受診の理由、生まれてから現在までの経歴、家族の状況、過去の体の病気、今回の症状の経過(いつ頃からどのような症状があるのかなど)をお尋ねします。予診には30分から60分ほどかかります。予診の後に精神科医師による診察があります。」との説明がある。

朝日新聞09年11月17日生活欄によれば、「『認知行動療法』ができる心理士の正確な数はわからず、学会資格などもない。ある大学教授は、正式に訓練を受けた人は『数百人もいない』と指摘する。」とのこと。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-11-17-1

はてさて。
「予診」をしてカルテまで作成する臨床心理士は、認知行動療法の正式な訓練を受けたひとなのだろうか。そうであることを祈るほかない。

私は、幸いにして、認知行動療法というものに出会うことなく、投薬治療だけでここまでこれたが、約2万人いるといわれる臨床心理士のうちの数百人に遭遇できるうつ病患者ないし精神疾患を患ったひとたちは、おそらく僥倖以外の何ものでもないということになるのだろう。

【続編】
「臨床心理士が腹の底で考えていることw」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-03-1
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「うつにまつわる24の誤解」という連載〜精神科医・泉谷閑示氏執筆 [「うつ病」に対する心理療法]

ビジネス書のダイヤモンド社の情報サイト。
とうに完結していた連載企画。
なかなかよくまとまっている。
(などと言っては、専門家に失礼か)
第1回 http://diamond.jp/series/izumiya/10001/

最終回の「『ウツ』が治るとは、元に戻ることではない――新しく生まれ直す“第2の誕生”」というのが、なかなか。
http://diamond.jp/series/izumiya/10024/

まさに、そのとおりだと思う。
「repair(修理)ではなくreborn(生まれ直し)あるいはnewborn(新生)といった深い次元での変化こそが、真の「治癒」には欠かせ」ないとの指摘は、非常に示唆的。
ただし、良いのはそこまで。

この先生は、薬物療法ではなくて精神療法を専門とするらしい。
ダイヤモンドオンラインの連載には、必ず、本人のプロフィールの紹介があって、ご本人のクリニックのHP http://www.izumiya.asia/ もしっかりと記載されている。

しかし、イギリスだって薬物療法との併用が、うつ病治療の基本となっているのに、精神療法専門というのは、どういうことなのだろう。
精神療法専門というと、適応対象の患者を選別しないかぎり、却って最悪の結果を患者にもたらす可能性が高いのではないか。素人が考えても、そう思う。

もちろん、この病院も、初診段階、いや「予診」段階で選別をする。
それも、「初回は原則としてカウンセラーが予診を行って精神療法の適否を判断」する、とある。
http://www.izumiya.asia/reservation.html
逆じゃないのか?
医師が診察してから、カウンセラーに引き継ぐんじゃないのか?
「予診」は診察ではないのだろうか? 医療行為ではないのだろうか?
そもそも、この先生の言うところの「予診」って、なんだ?

英米系の裁判制度では、同じ音で「予審」というのがあるが、これも立派な裁判。
予診は、診察ではないのだろう。この先生のところでは。
その意味では、なかなかに巧妙、いや合理的というべきなのだろう。

否、巧妙であれ、合理的であれ、おかしいことはおかしい。
どうして医師会で問題にならないのだろうか?
私なら、ここへは行かない。
私に必要なのは、薬物治療であって、「カウンセラー」との問答ではなかったから。

クリニックのHPの「for whom」、つまり、クリニックが対象としている患者のページを開くと、「当院の精神療法は、特に次のようなことを感じている方にふさわしいと考えられます。」とあって、24のケースを並べる。
http://www.izumiya.asia/for%20whom.html

必ずしもうつ病だけではない、おそらく精神疾患とは無縁な「生き方」レベルで悩んでいるひとについてまで含まれていることに驚かされる。半分以上、人生相談じゃないのか?

もちろん、一般的な診断分類による患者も、適応の対象となると指摘する。

ひとつ気づいたこと。
ブラウザのURLの上に出る、開いているページのキーワード。
「遷延性うつ病 難治性うつ病 対人恐怖 広場恐怖 人格障害 多重人格 過呼吸 リストカット」と表示される。

たしかに、検索にはヒットするか。そろそろ、営業的な匂いがしてくる。
そうか。解離性人格障害ってのが、いわゆる多重人格だったか。リスカは、境界性パーソナリティ障害とかいうのだっけか。

よくわからないのは、「遷延性」と「難治性」のうつ病は、どう違うのか?
両方とも、俗語なのか?
同じことを見方を変えて言っているにすぎないのではないのか?
「治すのが難しい」つまりは、治療に時間がかかる、遷延する。。。。。

離人症って何かと思って検索してみた。
万有製薬のサイト http://mmh.banyu.co.jp/mmhe2j/sec07/ch106/ch106e.html
「離人症性障害の人は、持続的に、あるいは反復的に、自分の体や精神機能から遊離している感覚があり(離人症)、自分の人生を外側から観察しているように感じる点が特徴です。」とのこと。

よくわからないが、そういうひともいるってことで。
なんとなく、精神療法には合いそうな症状、というより、むしろ精神療法そのものの適応のような気もするが。

ちなみに、このクリニックの先生のところ、「自由診療(自費診療)で完全予約制です。健康保険等の取り扱いは致しておりません。」とのこと。
http://www.izumiya.asia/reservation.html

ううむ。
連載で、なんだかんだ書いていても、結局、そういうことか、というお粗末。

たしかに、そうなのだろうな。
保険点数は30分単位らしいし。保険報酬は安いらしいし。
連載されているのがビジネス書で有名なダイヤモンド社なのだから。

この連載に、プロフィールも載せず、クリニックの名称やアドレスも載せず、真に情報提供に徹していたのならば、ふむふむなるほど、と最終的に納得できるのだが、結局、そういうことかよ、これかよ、ということになってしまうのが、残念な先生だった。

もっとも、すべては患者の自己責任。そして、治ればよいのだから。
(いや、果たしてそれで全て終わりにしてよいのか?)

ダイヤモンドオンラインでの泉谷医師の新しい連載も始まっているらしいが、もう別に読む気はしない。結局、客引き用の連載かよ!というところで、コメントを閉じる。

【追記】
「もう一度、精神科での臨床心理士の「予診」を考えてみた」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-02

「臨床心理士が腹の底で考えていることw」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-03-1

【関連エントリー】
「こういうバカ野郎wなコメントもあった【追記あり】」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-02-10-3

「まあ、そんなもんか」
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-07-2

【2012年3月6日追記】
へえ、泉谷氏って、こういう人だったんだね。
素顔拝見。
http://www.kenkyusha.co.jp/modules/06_interview_main/index.php?content_id=33
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心理療法の効果に関するよく知られた知見(らしいのだが) [「うつ病」に対する心理療法]

心理療法の効果の要因
心理療法の効果は、本人要因40%、治療関係30%、プラセボ効果15%、技法15%に分けられるという。

この知見によれば、その技法の効果が小さいこと、本人要因、治療関係、プラセボ効果は、いずれも主体としての本人の効果として解釈できることになる。
また、プラセボ効果も本人の認識に含まれるのだから、上記知見では心理療法の効果のうち55%、すなわち、半分以上が本人にかかわる要因で構成されていることになる。

原典にあたったわけでもない孫引き知識。
しかし、この知見は、非常に理解しやすい気がするのだ。

現状での私の処方薬は、アモキサンとレキソタンであり、ごくごく一般的な抗うつ剤と精神安定剤であって、自分の治療には非常に効果があると、患者本人が認識している。

極めて健全な患者としての私としては(笑)、服用量、服用時期を(ほぼ)厳格に守り、極めて模範的な患者として行動している。つまり、治療効果を最大化する役割を本人も担っていることになる。

じっさいのところ、私は認知行動療法等を一切受けていない。

技法の役割部分を、すべて他の要因に振り分けるとして、「思い込み」が強く(プラセボ効果に強く関係するだろう)、もともと「過ぎてしまったことは取り戻せない」、「それならば、過ぎ去った失敗を今後に役立てるほうがずっと建設的だろう」などと、すべて自分に都合良く考える性格の私がいる。

そうだとすれば、的確な投薬がなされているかぎり、治療効果は最大化しないはずはないことになる。

などと、自分を暗示にかけることも、おそらくこの病気の克服に大きな力を与えるに違いない、と思うのだ。

さて、寝る前に、その後の選挙結果と徐々に結果に近づきつつある選挙予測でも見てみるか。
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