人体実験における電池切れ事件 [「うつ病」なる病気]

3連休の最後の12日の夜。
午前中には、「順調に回復しているということなのだろう。」などとまとめた矢先。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-12-1
夜の9時半を過ぎたころからだったろうか。
急に、体のだるさと眠けが襲ってきた。

まるで、インフルエンザにかかって、熱とだるさが急にくるように、眠くなった。
7月21日にアモキサンとレキソタンを服用し始めて、初めての、だるさ。
もう起きていられないという感じがしてきたのは、10時半。
11時前には寝てしまった。

悪いことに昨晩は、娘が学園祭の準備やらで、帰りが0時前後になるとの連絡が入っていた。
駅まで迎えに行ってやればよかったのだが、もうこちらは自分のことで精一杯。
というより、起きていられない。

まあ、この街、(隣町とは違って)とても平和な街だし。
そうそう「事件」も起こるまい、などと、ぼ〜っとしたアタマで考えつつ、床に就いたと思ったら、すぐに眠ってしまった。

娘が帰宅したのは、なんとなく感じていたが、また眠った。

あたかも電池がなくなった懐中電灯のように、す〜っと、眠くなった。
起きていられなくなったのは、なぜだろうと考えた。

そういえば、この土日月と、しごとをしていた。
木曜日には飲んだし。火曜日もだった。

発症前みたいな生活をしながら、きちんとした「休み」を入れていなかった。
先週は、たしか土曜日か日曜日のどちらかで昼寝を2時間ほどした記憶があるが、今週は、昼寝もせずに、あれやこれやと、母親のところに出かけて話をしたり(さらに、そこで仕事までして。(はかどったけれど))と、「病人」であるのに、ウイークデーの疲れを取ろうともせずに、「頑張って」しまっていた。

しごとの成果は上がったにせよ、一気に疲れが出たのだろう。
幸いに、「こころ」のほうに出なくてよかった。
あの灰色の世界の住人になるのは、もうまっぴらご免。

おそらく「体」のほうが、注意信号を出してくれたのだろう。
実のところ、「人体実験」と称して、土日月は、やれるだけやってみた。
それがどういう結果を生むかを知りたかった。

発症(再燃)するとは、考えなかったが、どこまで何をやると、どうなるのかについて、知っておきたかった。
(日垣隆氏ほどの「積極的」かつ(誰が見ても)凄絶な方法による「ウツ」との対決、「ウツ」を強引にねじ伏せることはできないまでも(私は日垣氏のようには、やろうとも思わないが)、ある意味では「敵」の顔色を窺いながら、徐々に以前の仕事のやり方に近づけていって、「敵」を騙そうと思っていたが、今回は、こちらが音を上げた、ということだろう)
日垣隆氏の『折れそうな心の鍛え方』について
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-10-10

とはいうものの、結局、今日の午前中は、二日酔いの朝程度のダメージで済んでいた。
「疲れ」が「こころ」に出ないで、体に出たということなのか。
いや、起きていられないほどの精神的な疲れ、というべきか。
結局、体を動かす「こころ」に影響が出ていたということか。

難しいことはよく分からない。
しかし、少なくとも、「この病気」特有の精神状態にはならなかったことは、「やったぜ!」的な成功感がある。

たぶん、こういう小さな(病気に対する)成功体験の積み重ねが、病気との同居、「新しい生き方」につながっていくのだ、と信じたい。
(日垣隆氏ほどではないにせよ、彼の100分の1程度だとは思うが、自分にも「強引さ」というものがある。この病気に負けてなるか、克服してみせる、ねじ伏せてやりたい、という)

「この病気」は、他の人はさておき、少なくとも自分の性格、素質それじたいに「原因」があるのだ、と私は考える。
そして、(病気に対して)キミと同居しなければならないけれどもね、と思わせつつ(客観的・結果的には、そういうことになるはずだが)、少なくとも考えと行動のうえでは、最悪の事態をいつも心のどこかに置いておけばよい。

日垣隆氏の『折れそうな心の鍛え方』ではないけれど、すでに「プールの底」を蹴ってから水面に出ている。
あとは、「ふつうに」泳いでいけばいい。
その「ふつう」とは、自分がうつ病になりやすい素質と性格を持っているということを踏まえてのこと。
しかも、このプールには果てがない。
残りの人生、ずっと泳ぎ続けていかなければならない。

いったん、プールの底に沈んだ、それまでの自分との決定的な違いは、場合によっては「プールの底に沈む」のが自分である、ということを自覚したこと。
この違いは、病気に対しては決定的な対処法であると信じる。

インフルエンザにかからないように、外出時にはマスクをし、手を洗い、うがいをするのと同じことを、自分の活動に注意すればよい。
ともすれば、暴走(←それは言い過ぎだとしても)しがちな自分の生き方、行動を、それはそれとして客観的に眺めつつ、律していけばよい。

今回の「電池切れ」事件で、そんなことを考えた。

大部分のうつ病は再発するらしいのだが、今のところ再発どころか、投薬治療中なのだから、再燃を心配すべき段階なのだろう。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-11-1
「うつ病の再燃と再発」という論文
http://www.fuanclinic.com/byouki/a_21.htm
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。