読んだ『般若心経入門』(ひろさちや 著、日経ビジネス人文庫) [本・雑誌]

まず微笑を誘うのは、現世的利益を極限まで追求するはずの「日経ビジネス人」文庫のシリーズだということ。

まったく相反する書籍。
そこがおもしろい。

ひろさちやさんは、五木版『歎異抄』その他浄土真宗のエッセンス紹介に似て、大胆かつ平明に般若心経の教えというものを紹介してくれる。

「般若」とは、「ほとけの智慧」とのこと。
「知恵」でなく「智慧」なのは、前者は現世的なものであることとの区別のため。

まず驚くのは、「過去、現在、未来」について語られること。
マタイによる福音書によれば、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」と書かれていること。

さらに、「中部経典」という仏教の経典には、「過去を追うな。未来を願うな。過去はすでに捨てられた。そして未来はまだやってこない。だから現在のことがらをそれがあるところにおいて観察し、揺らぐことなく動ずることなく、よく見きわめて実践せよ。ただ今日なすべきことを熱心になせ。」とあるという。

魯迅は、「絶望の無意味なこと、希望に等しい」という趣旨のことを述べている。

過去も未来も、つかむことはできない。
過去は、恣意的、選択的に「思い出すもの」でしかない。
その過去に振り回され、ありもしない幻影に煩わされるのが、精神疾患。

たしかに、過去が現在を導いてきたのだし、過去あっての現在。
しかし、結局のところ、中部経典の言うとおり、過去を追ったところで現在が変わるわけでなし。

それにしても、脳という臓器。
ありもしないものをあるかのようにイメージし、ないものまでイメージしてしまう不思議な臓器。

ただ、「今日なすべきこと」というのは、未来に続くもの。
明日のために今日を生きるのだろうから。
だからといって、まだありもしない明日を思い煩うよりは、今日に専心する。

指摘されてみれば、しごくごもっとも。
あたりまえだが、現世的利益に毒され、それが基本的な考え方の中心にある凡夫としては、実践することはむずかしい。

「色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。」
ひろさちやさんによれば、「物に物差しがあるのではない。物差しはそれぞれの人が持っている」だけ、とのこと。

要するに、現世的な基準の中にわれわれが存在していることを思い知れ、ということ。
勝手に貼付けたレッテルに心を拘束されるな、ということ。

問題は、「空」とは何かということ。
おそらく、ひとことで言ってしまうと「こだわらない」ということではないか。

「苦しみも悲しみも実体はない」という大胆な提言には、???となる。
「数多くの苦厄に見舞われることは、あんがいほとけさまの粋な計らいなんです。それが観音さまの救いなんですよ、きっと」と言われても、どうも釈然としないが。

その答えは、「実体がないからこそ克服できるのだ」ということらしい。
「心は縁によってコロコロ変わるものだ」という。

そういうものか。

「苦が「苦」であるのは、苦を「苦」にするからだ。苦を「苦」にしなければ、苦は「苦」ではない。」
う〜む。
そういわれてみれば、そういう気もするが。

世の中のままならないこと。
生老病死。
それをして「苦」とみるかみないか。

なるほどね。
発想の転換ってヤツね。

という普通の考え方(発想の転換の概念)をすればよいわけか。
納得した。
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読んだ『17歳という病 その鬱屈と精神病理』(春日武彦 著、文春新書) [本・雑誌]

いわゆる病理現象としての若者論を読み解く本だと思って読み始めたが、(それはそれで正しいのだが)著者の17歳当時の思考や行動が大半を占め、当時の心情を吐露する、いわば「自伝」的な色彩が濃厚な現代の若者の病理を解明する内容だった。

現代の若者の病理について深い考察が、著者独特の言い回しで、注意深くなされていることは言うまでもない。

相変わらず、冒頭に持ってくるエピソードが興味深い。
今回のは、殺人未遂事件の犯人の精神鑑定をしたときのこと。
かつて覚せい剤の常習者で、飲酒をするとフラッシュバックが起きて幻聴。それによる人格の変容による犯行かどうかを確かめるための「実験」。

飲酒テストを閉鎖病棟の個室でカギを掛けて実行。
2人だけで飲酒。

犯人に現れる、ある一瞬の変化。
「確実に精神の中で抑制が外れ、何やら不穏なものが表出されかかっているかのようなトーンがまぎれもなく感じられた。」

そういうものか。
外部者には大いに喜劇的だが、当然、本人としては生命の危機。

もちろんこうして書いているのだから、事なきを得たわけだが、それは導入部。

「著名な心理学者によれば、思春期の若者に対して行われたロールシャッハ・テストの結果は精神疾患の患者と大差のないことがしばしばある。」とのこと。

たしかに、17歳というのは多田教授の『免疫の意味論』にあったように胸腺が最も発達する年齢であって、人間としての活力、エネルギーは爆発的になりうる年齢なのだろう。
そうであってみれば、精神的にも当然不安定になり、春日氏の言うように「性欲と暴力衝動とに縁取られ、あらゆる価値観や制度に「むかつき」を覚え、自己の無力さや矮小さにあえて目をつぶりつつ異端なものへ親近感を寄せつづけた日々」ということになる。

そして春日氏は「苦々しい気分で思い出す」。それは「未だにそのような心性から決別しきれていない自分に対する自己嫌悪」なのだからだという。

なるほどね。

境界性人格障害とやらにある自己を投影して相手を罵倒する傾向。
内なる自分を相手に見出すというのも、同じような心の動きなのだろう。
ただ、決定的に違うのは、春日氏は「内なる自己」を内なるものとして考えるのに対し、精神疾患を持つ人たちは、自己の客観化ではなく他者に内なる自己を見出すだけ。ぶつけるだけ。

一貫性について
「一貫性にこだわり過ぎるのは未熟な人間か狂った人間、こだわらずに済ますのは阿呆か恥知らずかのいずれかであり、どちらもわたしは嫌いである」で終わるかと思えば、カッコ書きで「ちなみにわたし自身は『恥知らず』に属すだろう、たぶん」と添え書きするところが、またいいw

行動への矛盾はあたりまえのこと。
「そこに羞恥心を抱くか、居直るか、知らんぷりを決め込むか、弱々しげな笑みを浮かべて誤摩化すのか。」

たしかに、矛盾を許せないのが若さ。
そこに折り合いをつけていくのが大人であり、若さとの決別。

ただ、春日氏はその違いにつき、「そのあたりで人間の品性が問われる」のだとし、「今度は文鎮にでも生まれ変わって、ごく自然な形で一貫性を体現したいものだと思っている」、とするwww

ちなみに、上記記述の小見出しは、「論理を弄ぶ」。wwww

「一言でズバリと語り得ることだけが真実の持つ強さであると勘違いをするところに、若者の傲慢さと単純さが透けて見えるのである。」

率直さと単純さというものを経てこその、ことば。
傲慢であれ勘違いであれ、その精神性を経てこそ、それが分かるし理解もできる。
現代の若者は、そのような論理一貫性ないし率直さ、単純さというものを体得しているのか。

そこを経ずして、世の中と折り合いをつけるだけに汲々とした若者像を私は感じる。

精神疾患に関係する興味深い指摘。
「疾病という文脈から切り離して狂気を考察してみれば、そこには感情や欲望のコントロールの欠如や発想の不可解さや協調性のなさや衝動性といったものの総体としての狂気像が現れてくることだろう。すなわち得体が知れなくて折り合うことの不可能な人びとということになる。」

家族と折り合えない、社会と折り合えないならばまだしも、おそらく自分とも折り合えないのが「狂気」というものなのだろうし、現代の精神疾患の深いところにあるのだろう、か。

もっとも、春日氏はこのことを若者像とシンクロさせる。
「思春期とは狂気の兄弟といってもあながち的外れではあるまい。」とする。

<選択肢としてのひきこもり>の章にも興味深い記述があった。
「幸せというものが現実や自己をたとえ瞬間的にでも全肯定することであるなら、わたしはいまだかつて幸せを味わったことなど一度もない。」

ポイントは、「全肯定」そして、幸せの対象が「現実や自己」というものに限定されていること。
具体性はない。
それゆえ、春日氏の「幸せ」観というものは、いまだ分からず。
(そこで『不幸になりたがる人たち』(春日武彦)を次回は読むことにした)

春日氏の思春期は、常に冷静に物事を観察し、判断し、ある意味で老成した若者だったのではないか。
(南木佳士氏にせよ、私が好ましく思う著者というのは、どうしてこう若いころから老成したタイプなのだろうか)
そして、あとがきにもあるように春日氏にはお子さんがいない。

私など、17歳のころは音楽とガールフレンドのことでアタマが一杯であり、勉強など試験前に慌ててやる始末。本など読んでいたのかどうか。
けれど、充実はしていたし、当時の「現実」や自己実現のひとつとしてのライブ活動をする自己を「瞬間的にでも全肯定」していたのではないか。

そして、のぞみや清志郎の誕生を心から幸せだと思い、自分の都合のよいときだけだとはいえ、子育てに参加し、子どもと遊ぶ時間に幸せを感じた。
おそらくその瞬間は全肯定していたに違いない。

街を歩くと、当時の清志郎やのぞみの年齢の子どもを連れて歩く親をみる。
僅か10年15年前のことなのに、遠い昔の出来事のような気がするのが不思議でならない。

そして、そのような「全肯定」するような出来事があったからこそ、この病気から立ち直れたのだと強く感じる。

いわゆるひきこもりの人たちに関するコメント。
「ひきこもっている若者は、部屋という箱へ逼塞すると同時に、強迫的という箱にも入っている。彼らは入れ子状態になった箱の住人なのである。」

ひきこもりの人たちの部屋は、とっちらかった部屋であっても、通行すべき部分というのは決まっているらしい。そこを乱すと不安感が生じ、家族に当たり散らすことにもなるという。

いわば心の中の囚人ということか。
たしかに、『死刑囚の記録』(加賀乙彦)を再読して感じたのは、24時間ないし48時間後の死刑という厳然たる事実、死刑囚たちが精神を病むのは独房という物理的な問題もさることながら、そこから生じる他者とのコミュニケーションを遮断された状態の精神への影響。

ひきこもりの人たちは、自ら「独房」に入り込み、他者とのコミュニケーションを遮断する。
もちろんネットを経由して「他者」と触れ合うこともあるのだろう。私も去年の夏、ChatPadというのをやったときに、「自宅警備員」と自称していたひきこもりのひとと、画面で会話した。
ふつうのひとに感じた。
もっといろいろ話をすればよかったと思うが、そもそもがひきこもりの心理など知識として存在しなかった。
もはやChatPadなどしようとも思わない。

あんなもの、1回やれば十分。
時間の無駄。あほくさ。
『ChatPadで出会った人たち』
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-09-11-2

<言葉遊びと駄洒落>の章に、春日氏の机の前にある書棚のガラクタのことが書かれている。
非常におもしろい。
辞典類があるのは当然として、「ロズウェル事件で捕獲されたとして有名な宇宙人のフィギュアをホルマリン漬けにした広口壜(サイズは風邪薬の壜くらい)だとか、サンフランシスコのケーブルカーが走る情景を封入したスノードームとか、水晶を彫った招き猫や、学生時代に丸善の鉱物即売会で買った緑色の透輝石(Diopside)の類である。」という。

私には、稚気に富んだ方と感じるが、おそらく春日先生はそんな凡庸な評価を拒絶するだろう。

キレる若者に関する論説への過激な評価が興味深かった。

『マイホームレス・チャイルド/今どきの若者を理解するための23の視点』(三浦展)に対しては、「実にまあ雑駁というか粗雑な論であり(中略)せいぜい床屋談議にとどめておくべき程度の話であろう」とする。

これくらいの評価ならば、まだいい。

『ジンクスで読む日本経済』(宅森昭吉、東洋経済新報社)に至っては、「テレビで数分のうちに手っとり早く説明をして視聴者を煙に巻こうという作戦ならばともかく、活字のレベルでは再読が可能となってしまうから、あまり与太を飛ばさないほうがよろしい。むかつくんだよ、こういった戯言(たわごと)。」

いいんだ。こんなこと表出してもw

おそらく私が『死刑と無期懲役』(坂本敏夫、ちくま新書)http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-14で感じた気分と同じなのだろう。
もっとも、春日先生のようなきちんとした深い読解力と洞察力の持ち主であれば、このような言説も説得力はあろうが、私ごときがそう語ったところで、単なる罵倒にしかならないところが、悩ましいw
しかし、誰がどう表現しようとしまいと、ダメなものはダメなのだがw

最後に、「自己愛憤怒」という心理について。
若者がキレるということに関する議論のひとつ。
原典は、和田秀樹と二木啓孝の『殺人心理』からの引用とのこと。

「アメリカの精神分析医ハインツ・コフートは、自己愛が傷つけられることによって生じる激しい怒りを自己愛憤怒と呼んだ。自己がしっかりしていないと、この憤怒によって自分がばらばらになってしまう。そのため、後先のことが考えられないし、相手に容赦のない攻撃をしてしまう。攻撃をしても、自分の自己愛が癒されるわけではないので、攻撃性は執拗な、また纏綿としたものになる。キレる子どもや、ストーカー行為を説明するのには役立つ概念といえる。」

いずれ「地球を破滅させてみたかった」という人間が現われ、すべては無に帰すことだろう」という春日氏の指摘が、現実のものとならないことを祈りたい。

それはさておき。
春日先生による若者論は、春日先生の自分史がまずあって、その共通項と現代若者論という対比によって、みごとに着地する。
それにしても、精神科医というのはそこまで物事を考えるのか。
いや、自分自身の分析のこと。

自分の中に自分を眺める確乎とした他者がいるからこそ確立した自我が出来するものだとすれば、そういうひとであるからこそ、他人の分析というものができるのだろう。
さらにそれは自分自身の分析へとフィードバックされていく。

精神科医というのはそういう存在なのか、それとも春日先生固有のものか。
このあたり、次回の診察日にでも、クリニックのドクターに聞いてみよう。

ちなみに、若者の語彙力のなさ、表現力のなさに対する激烈な評価は、そういうものかと思う。
とりわけ「ケチャマン」なる言葉は、本書で初めて知ったが、ある種の階層に巣くう人間たちはどの時代にも居たはずであるし、時代がいかに変わろうと決して絶滅することのない人種のことばなのだろう。

驚いたが。
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般若心経の本 [本・雑誌]

ビギナー向けとして、玄侑宗久氏の『現代語訳般若心経』と、ひろさちや氏の『般若心経入門』を揃えてみた。

どちらの著者もよく新聞広告に出ているし、一方は僧侶、他方は評論家で、取り合わせとしてはよいかな、と。

とりあえず、玄侑宗久氏のを読み始めた。
が、どうも合わない。

読者におもねっている文体と構成。
実用書じゃないんだから、挿絵はいらんだろう。

宗教家の本だから分かりやすいとは限らない。
むしろ五木のような「語り部」であるほうが、専門家でない分、わかりやすく書けるに違いない。
しかし、それは技術論。

それだけではないように感じる。
五木の人生、想い。「いま」を思う心。
それがベースにあっての他力の思想の紹介。
そのあたりの「重み」の差が出たのではないか。

笑ったのは、版元。
ちくま新書だったw
どうやら私には筑摩書房は鬼門らしいw

こういうときは、とりあえず置いておくに限る。
そのうち、拾い読みでもすれば、また感じるものがあるのかもしれない。

ひろさちや本に期待しよう。

【追記】
読んだ『般若心経入門』(ひろさちや 著、日経ビジネス人文庫)
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-04-10-1
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読んだ〜『悪魔のささやき』(加賀乙彦 著、集英社新書) [本・雑誌]

「悪魔のささやき」とは、人間が日常的に活動する際に機能する意識の辺縁部分の意識にはたらきかける何ものかをいう、とのこと。

「辺縁部分の意識」というのは、分かったようで、まったく分からない。
「ふわふわと風のように動いている心の状態」と言い換えられても、よく分からない。

言葉をかえて、
「思索とか理性とか意志とか決意といったはっきりした心のありようとは違って言葉ではうまく表現できない、あいまいでぼんやりとした精神状態において、悪魔がささやくという現象が起こりやすいのです。」

と言われても、言葉を換えただけのことで、何が何やら、さっぱり分からない。

加賀先生は、ライブドア、村上ファンド事件、耐震偽装、官製談合事件、小泉劇場、ネットで知り合った者同士の集団自殺、引きこもりやニートの増加、子どもたちを狙う犯罪、子どもたち自身によるショッキングな事件の多発などを「悪魔のささやきという切り口で読み解いていくと、現代日本と私たち日本人が抱えている問題がクリアに見えて」くる、という。

私は、本書を読んでも、まったくクリアにはならなかった。
ただ、少なくとも日本人論にはなっているし、その点は従来からよく指摘されていることであって、別段、取り立てて目新しい指摘であるとも思えない。

まず指摘されるのは、自身の経験から述べられる、死刑囚は「鬼でも魔物でもない、私と同じ一人の人間なんだと痛感させられた」という事実。

この点は、『死刑囚の記録』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-22-1の本質的な部分であって、その点、加賀先生の視点は一貫している。

ただ注意すべきは、「情緒や道徳的感情が欠如していて良心の呵責を感じることなく凶悪犯罪を行える、いわゆる反社会性人格障害などはごく少数にすぎません。」と指摘するとおり、常に必ず、そのような人間が存在するらしいこと。

その点では、おそらく死刑というのは、矯正による社会復帰を基本とする現代行刑の基本的な視座を認めたとしても、教育不可能事例として残さざるを得ないのだろう。

また、そのような反社会性人格障害者であっても、死刑の執行を躊躇している間に、拘禁性の精神疾患にかかり、それはそれで非人道的なものであることから、即座に死刑を執行すべきことで、その非人道性を排除する、ということになるのだろう。

200人もの殺人者と面接をしても、家族調査、現場調査をしても、人が殺人に踏み出す瞬間、その原因、動機について、「いまだ納得のいくような科学的解析ができていない。」という。

著者本人に分からないものが、凡庸な私に分かるはずもない。

しかし、だからといって、「人間の行動が現代の心理学的説明を超えてしまう領域がある」と断言してしまうことは、いかがなものか。

それを架橋する概念として、「悪魔のささやき」を持ってくることは思考停止以外の何ものでもないと思えるが、違うか。

加賀先生は、正田昭を高く評価している。
しかし、あくまでも刑事施設の中での人間性にすぎず、本来人間というものは、人と人のネットワークの中に身を置き、呻吟しながら生きて行く。

呻吟しつつも、人を殺すことはしない。
それは、同じ38億年の時を刻んだヒトとしてのDNAが、そうさせるのだろうし、自分の命を大切にすることと同じように他人の命も大切にせよ、というあまりに基本的すぎて言葉で伝える必要のないことが、親子の情感とともに、代々伝えられてきたからだろう。

正田は、その情感、人に対する共感というものを決定的に欠いて成長してしまったようだ。
その意味での精神的な未成熟が犯行の原因とみることもできるだろうが、加賀先生は、自己を破滅させるために他人を殺害した破滅型犯罪だとみる。

このような人格に魅入られた被害者こそいい迷惑なわけで、いかに言葉を弄しようと、いかに正田と加賀先生が交わした手紙が膨大であろうと、結局は、拘束された中での関係にすぎない。

自由な社会に正田なる人物を置いた時、正田がどういう行動を起こすかなど、加賀先生も分かるまい。
おそらく加賀先生は、正田を過大評価しすぎているのだろう。

うつ病患者によく言われる希死念虜に関する記述で、自殺未遂をしたひとの診察結果が、記述される。
そのすべてが、異口同音に「今思うと、あんなことよくできたな」と考えるという。

まさにそれこそが精神疾患の精神疾患のゆえんなのであって、「悪魔のささやき」でもなんでもない。

これを下世話な言葉で言えば、クソも味噌も一緒にする議論という。

本来、人は生きる方向にエネルギーを持っている。
たしかに、そのエネルギーは時々刻々と「死」に向かっているのだとしても。
それを断とうというのだから、非常なるエネルギーがいるようにも思えるが、瀬戸際まで行った経験からすると、その敷居は非常に低いものに思える。

そのすべては、精神疾患なのであって、決して「悪魔のささやき」でもなんでもない。
むしろ精神科医が解明すべきは、その精神的な機序のメカニズムなのであって、当面、電撃療法と薬物療法の併用による自殺予防につとめるほかあるまい。

さらに、自己の命というものをいかに大切に考えるか、どれだけ守るべき家族がいて、その家族が自分を必要とし、かけがえの無い存在として考えているのか否か。
そのあたりが、分水嶺なのだろう。

著者自身の自殺未遂事件が語られる。
偶然、命を落とさずにすんだことが詳しく語られる。

自分のケースを「悪魔のささやき」の結果だとは、ひとことも書いていない。

常々私自身も感じている日本人の情動性は、今に始まったことではなく、戦前からそうであったことが指摘される。

情動に弱い日本人論は、非常に理解しやすい。
1940年の紀元2600年記念式典、提灯行列。その直前の15年戦争開始後、日独伊防共協定祝賀提灯行列(日本人は提灯行列が大好きらしいw)。

15年戦争、太平洋戦争当時の国家的マインドコントロール。
終戦直後の憲法公布記念式典。花電車。
戦後知識層を含むスターリニストたちのスターリン礼賛。
その後のフルシチョフによるスターリン批判の中で暴かれたスターリンによる大虐殺。口をぬぐう戦後知識層たち。

加賀先生は、東大闘争と二・二六事件の共通性を「悪魔が入り込んだ」ことで解決するが、あまりに安直すぎないか。

東大闘争に端を発した全国共闘会議(全共闘)の世代は、いわゆる団塊の世代。
彼らのいい加減さは、唾棄すべきもの。

流されやすい日本人そのものを体現した団塊の世代たち。
逮捕歴のある者は、企業には入れない。
しかし、大多数はそんな経験もなしに、ひらりと身をかわし企業に就職し、働き蜂として、いまの停滞した日本の基礎を築いた。

その子弟である団塊ジュニアの子どもたちは、学校を崩壊させ、適切な人間関係を結べず、ネットとケータイとゲームに明け暮れる層を、膨大な層を生み出した。

比較すべき二・二六事件の青年将校たちのほうが、どれだけ純粋か。
なんの戦略も持たずに「暴発」してしまった無知な青年たち、利用されただけの存在であるにしても。

オウム真理教事件の中心人物である松本智津夫とわずか30分面会したときの印象をもって、大胆に詐病ではなく拘禁反応による昏迷状態と診断することは、加賀先生の深い経験からすれば、一概に否定することはできないのだろう。

気になったのは、西山鑑定の鑑定書の記述内容が語られていること。
152ページ以下の記述は、驚くべき記述。こんなことを公開してよいのか、と思える内容。

それはさておき。
松本智津夫の拘禁反応の治療方法が書かれており、単純なこと。
独房から出して、他の囚人と交流させることで劇的な回復をさせることだという。
たしかに、人はコミュニケーションの動物なのであり、そのネットワークから切断させられたときに、精神に失調をきたす。

秋葉原の彼であれ、茨城の彼であれ、群衆の中で、彼らの精神は孤立していた。
その精神的な孤立感が妄想を生み、攻撃は自分に向かわず他人に向かった。
秋葉原の彼は、いまやっと正気に戻った様子。
これから精神疾患の嵐が彼を襲うのだろう。

それをして致し方ないと感じるか、それとも、それこそが残虐な刑罰だと感じるか。

つまりは、松本智津夫を徹底的に治療し、正常な精神状態に戻し、そのうえで死刑の恐怖を存分に味合わせてから、死刑を執行せよ、ということになる。
もちろん、加賀先生は死刑廃止論者。

しかし、このような松本智津夫でも、死刑廃止論を主張するのだろうか。

たしかに、正田昭だって、死刑判決後、しごくまっとうな人間に戻ったというか、なったような手紙を書いたのだろう。

歎異抄でも、人間の不安定さを説いている。
しかし、それは宗教的な意味においてなのであって、宗教的な思想的な意味において、われわれと死刑囚に決定的な違いはない、と言われても、なるほどそうなのかもしれない、と思う。

しかし、哲学的にどのように高尚なレベルに達してみたり、相当なレベルまで和歌を作り投稿するレベルに至った高い精神性を示した死刑囚がいたとしても、それはおそらく宗教的なレベルでのわれわれとの同一性を指摘するにすぎない。

われわれの社会生活は、哲学や宗教に規律されるものではない。
厳然として存在するのは、単純な「人を殺してはならない」という規範。

「自殺してはならない」などという刑法規範は存在しない。
しかし、人の自殺に手を貸すこと、そそのかすことは犯罪とされる。

その現世的な利益を破壊した者は、現世において処罰されて当然だろう。
たとえそれが、「悪魔のささやき」の結果にすぎないものだとしても。
凡庸な議論だが、そういわざるをえまい。

結局、本書を通読しても、「悪魔のささやき」が何なのかは、さっぱり分からない。

分からないのも当然かもしれない。
あとがきには、口述筆記で編まれた本だとのこと。
仮に口述筆記だとしても、それを素材にして、書き直す作業があってしかるべきだろう。
結局、しゃべりっぱなしの書きっぱなしという本になってしまったのだろう。
その意味で、残念な本。

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読んだ〜『臆病な医者』(南木佳士 著、朝日新聞社) [本・雑誌]

「ただ人としてあるだけの存在に戻るべき時期にきている」

う〜む。
南木さんというひとは、若いころから老成していたようだ。
そして、うつ病を経てさらに熟成してきたようだ。

「毎年九千人近くの人たちの検診をして平均で二千人に一人の肺がんが見つかる」
本書刊行の1999年当時、当時の厚生省が肺癌検診(X線撮影)が本当に肺癌死亡者を減らすのかどうかは疑問であるとの見解を出した、という記載に関する南木氏のコメント。

被爆による発ガンの可能性もマスコミで指摘されていたような記憶がある。
1000人に1人の無罪よりも少ない肺癌患者の発見。
たしかに費用対効果の点から、あるいは公衆衛生の観点からは、肺のX線撮影の「効果」というのは疑問視されることなのかもしれない。

しかし、肺癌患者を減らすことにつながるかということと費用というのは同一線上の問題なのか。10人の犯罪者を取り逃がしても1人の無辜を処罰してはならないという法格言を思い出す。

たとえ2000人に1人であれ、確実に人ひとりの命を救うことができるのならば、と私には感じられるが。
「人の命は地球よりも重い」と言ったのは最高裁。
もっとも、それは死刑判決の合憲性を導くだけの前フリであったわけだが。

胸部X線検査から肺癌を発見された老人が受診を2年間にわたって避け続けるも、検査だけは律儀に受け続け、3年目には死んでしまう話。

「彼には検診を受ける共同体の一員としての義務と、癌の精密検査から逃げる個人としての権利があった。義務と権利をきちんと使い分けて逝った意固地な老人に、なんとも言えない愛着を感じる。」

「共同体の一員としての義務」
村を結核の伝染から守るための共同体の成員の義務。律儀さ。
自分の命は自分のものという意固地さ。
私には、その老人に同居する、背反するようでいながら奇妙に符合するその心意気が、うらやましく感じる。

<ちゅっくれえ>
「めでたさも中くらいなりおらが春」の一茶の俳句から、「中くらい」の意味が「中途半端」「いい加減」の方言だったことを南木さんは、教えてくれる。

「江戸の春に比べたら、北信濃の春なんてあるかないかのいい加減なめでたさだぜ。一茶はそう言いたかったのだろう。でもこの句のなかに、爪先立ちした江戸の暮らしよりも、いい加減だけれど土に根を張った田舎の生活をしようとする一茶の開き直った意志が読み取れる」と南木さんは読み解く。

開き直るというより、私には堂々とした宣言に思える。
いや、それはあまりに飛躍しすぎた感覚かもしれない。

少なくとも、土とともに這うように生活するという実のある生活こそが大切であることは言うまでもないし、北信濃の春は、殺風景な東京の、23区の春などより、ずっと豊かなものなのではないのか。

南木さんは、NHKの高校通信講座の講師の解説から、上記の方言との関係を導いている。そういう読み方もできるのだろう。
しかし、単純に、素直に、「都落ち」の心を投影した句と読む方が、自然だと思うのだが。

<リラックス>
「あの至福の三日間があったから私はかろうじて今日まで生きてこられたような気がする。」
タイ・カンボジア国境での医療活動に参加したときの3日間の休暇の話。
「至福の三日間」は、おそらく南木さんにはたくさんたくさんあったに違いない。
それがあったからこそ、それが後押ししたからこそ、うつ病の急性期の死が同居した時期をやりすごせたのだ、と私は思う。

それこそ、「大いなる力」が、あのロープを買いに行こうと思ったときに、子猫の姿を借りて、南木さんの足にまとわりつかせた。
もっと「至福の時」を重ねるようにと。

<哲学者たちの新書>
「気がつけば、ふだん何気なく眺めていた人や自然の影や細部を鮮明に見せてくれる遠近両用レンズ、あるいは偏光グラスの役目を果たす一言半句はほとんど哲学者たちの手になる新書に潜んでいたのである。」

ふだん何気なく眺めている「ごくふつうの出来事」にこそ、真理が宿っているのだろうし、この病気を経てつくづく思うのは、「ふつう」であることのすばらしさというもの。

ごくふつうの日常の些事それじたいの積み重ねこそが、生きるということなのであり、それを放棄させようとする恐ろしい病。
それがうつ病。

<となりのトトロ>
トトロの映画から、七国山病院に入院していた主人公姉妹の母の話になり、結核で亡くなった南木さんの母親と南木さんの母親より重い結核に罹患しながら長生きした老女の話を導き、「これが美しく豊かな自然の素顔だ」で終わるのだが、さらに「だからどうだというつもりは毛頭ない。」が付く。

南木さん特有の偏屈さが書かせたのだろうし、これがないと南木さんらしさが、なくなるのだろうか。
最後の一文はなくてもよいように思う。
それだけで、意は通じる。

かけがえのない母親をわずか3歳で失うという経験は、おそらく母親の面影すら記憶にはないのだろうし、自然は残酷なことをするものだとつくづく思う。

もし「大いなる力」があるとするなら、それこそが大いなる力のなせるわざなのかもしれない。
むごいとは思うが。

<読書日記>
南木さんが1年間で経験した一流出版社の編集者とのできごとが語られる。
「原稿を送っても受領の連絡をよこさない。本の出版予定の変更もこちらが疑問に思って電話するまで何も言ってこない。新人の新刊の書評を頼まれてゲラを読み、なんでこの程度のものが本になるのか、と聞けば、私は上から言われて担当しているだけなので分かりませんと答える。」

笑えた。

すぐ思いつくのは、五木寛之の芥川賞選考委員辞退の契機となった原稿の内容ミス事件。
自分の大切な著者の原稿を読まずに、チェックもせずに流してしまったのだろう。
そうでなければ、こんな「事故」は起きまい。

患者の顔を見ない精神科医。
検査の数字だけしか見ない内科医。
症状をつぶすことだけしか考えない医師。
人を見ない医師。

人としてどうなのよ?とまでは言わないが、職業人として最低の奴らだろう。

「受験勉強しか知らない医学部という高等職業訓練校卒の世間知らず」という南木さん特有の言い回しが、恐怖をもって迫ってくる。

南木さんの祖母の口癖「てめえで食う米を銭で買うようになったらおしめえだ」
土地に生きる、土地とともに生きるひとの生活から生まれた価値のあることば。
「米を銭で買う」ことしかできない私たち。
南木さんのいう「からだ」を使って生きることの意味が強く伝わることば。

それにしても本書を通読して思うのは、小説家という人種の持つ、身を削ぐような言葉と観察力と叙述の能力。
たしかに言葉で飯を食う人種ではあるのだが、それは商業出版という形態に乗っただけのこと。
「書かずにはいられない」人たちのひとり。

祖母の死のシーンにせよ、父上の死の前後の介護と葬儀の話にせよ、義母との関係のくだりにせよ、「書かずにはいられない」人なのだな、と思う。

やはり南木さんというひとは、小説家が医者をやっている人なのだろう。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
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読んだ『信州に上医あり — 若月俊一と佐久病院 — 』(南木佳士 著、岩波新書) [本・雑誌]

南木さんの作品は、本来ならば芥川賞作家である氏の小説を読むべきなのだろうが、私が最初に彼の著作に触れたのは、エッセイ集である『生きのびる からだ』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-21だった。

エッセイ好きという個人的な嗜好を優先して、
『からだのままに』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-24
『トラや』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-25
と読み進んできたが、彼の書いたノンフィクションというものを読んでみたかった。佐久中央病院の若月氏への興味もさることながら、若月氏を描き出す南木さんというものに触れたかった。

<若月俊一氏>
明治生まれのマルキストだったひとが病院の経営を任され、信州という地方を拠点に、ナロード・ニキのように「農村へ」そして、「農民とともに」医療者として、さらに経営者として生きる姿が生き生きと描かれる。

15年戦争以前、戦時中は、治安維持法によって検挙され、戦後はレッドパージ寸前まで追いつめられ、病院を任されてからは「左」の勢力からの攻撃に遭いつつも、常に農民に寄り添う医療を掲げ、絶対に信を曲げない姿は、心を打つ。

逆に、ほんとうに時代を感じさせる教条主義的な「党派的勢力」の言い分を読むと、こんな勢力にもきちんと対応する若月氏の真摯さを感じざるを得ない。

たしかに、(党派的勢力の)言い分にはもっともな部分はある。
超過勤務手当の問題しかり、病院の赤字問題しかり、それは医師、看護師たちの「献身」という自己犠牲によって成り立っているということ。

それを「党派」特有の物言いで表現すれば、ふつうの経営者ならば一笑に付して取り合わないだろう。
入れ物ではなく中身をみて判断し、きちんと対応する若月氏の姿は尊敬に価する。

若月氏というひとは、農村における予防医療というものを確立させた先駆者らしい。
本書で何度も紹介される若月氏の書いた『村で病気とたたかう』を読んでみたくなった。

リアリストであり、患者に寄り添う情感と情熱と社会の構造的な不正には断固として反対を表明し、しかし、経営者としてのずるさ、賢さを備えた器量は、やはり天が与えたものなのだろう。

「清濁合わせ飲む」という言葉では言い尽くせない、あまりに大きな器量。

<著者・南木氏のこと>
若月氏と一緒に写っている、著者の芥川賞授賞式でのスナップショットがあった。
もっと線が細い神経質そうなタイプを想像していたのだが、まったく違っていた。
神経質さ、繊細さを感じる。
エッセイに出てくる偏屈さwは、感じられない。
口ひげ、あごひげのせいもあろうが、どちらかといえば童顔。
やさしい目をしている方のようにみえた。

あとがきには「登場人物の性格までも頭で創り出さねばならない小説に比べれば、実在の人物を取材する評伝ははるかに楽に書けると思って取りかかったのですが、それは大きな間違いでした。(中略)書き進むにつれて若月俊一という人物のスケールの大きさに圧倒されることが多く、とんでもない仕事をすることになってしまったものだ、と頭をかかえました。自分にこの大きな人物を描く資格があったのだろうか、という疑問は書き終えた今でも胸の内から消えません。」とある。

研修医の時代から常に身近にいて、医師として、ひとりの観察者として、作家として若月俊一氏をみていたのは、南木氏以外にはいない。

まさに南木氏でなければならなかった評伝だと私には思える。

本文を読んでいて、やはり、興味深いフレーズにぶつかる。
「転向して仲間を裏切りながら、自殺すらできない情けない男。若月はそんなどうしようもない己の中に、何ものかによって生かされている自分を発見する。」

「何ものかによって生かされている自分」。
「大いなる力」が、若月氏にも働いていたのだろう。

「少年時代は病弱であり、成人してからも肺結核を病んだことのある若月が1年間の留置場生活に耐えられたのは奇跡である。やはり、なにか目に見えない大いなる力によって彼は生かされたのだと考えざるをえない。」

まさに出てくる「大いなる力によって生かされる」というフレーズ。

五木のいう<他力>であり、「アミターユス」「アミターバ」なのだろう。
生かされるべくして生かされた。

第2章の中扉にある若月氏の写真。
南木氏は、「顔は笑っていても目は笑っていない」ことが多いと、何度も書いていた。しかし、この写真の目は、笑っている。じつにやさしい目をしている。
慈愛に満ちた目というべきか。

逆に私には、この笑顔に深く刻まれた秋霜暦日を感じ、しかしそのことをみじんも感じさせない笑顔にみえる。

ちなみに、「上医」とは、中国の歴史書『国語』の一節とのこと(はしがき)。
「上医は国を医(いや)す」と使われるらしい。
南木さんの意訳によれば、「個人の病しか見えず、薬の匙加減ばかりに気をとられている医者よりも、患者の住む地域社会の抱える様々な問題にまで取り組もうとするのがほんとうの上医である。」とのこと。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
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立て続けに南木佳士を読む『トラや』(南木佳士 著、文芸春秋) [本・雑誌]

版型が四六なのと文字が大きいので、電車の中ですぐ読める。
すぐに読めるのだが、今回は(私には)内容が重かった。

もちろん、平明かつ淡々とした筆致は健在だし、純文学を書くひとのエッセイだけに、描写は細やか。自然の情景を描く部分を読むと、「おお!」と感動してしまう。

今回は、飼い猫の「トラ」をはじめとした猫たちとの生活を中心としたエッセイ。
猫というものの生態が、あますところなく描かれる。

それはそれで収穫なのだが、あまりに生々しい著者のパニック障害、広場恐怖症、とうつ病の急性期の描写には、衝撃を受けた。

とりわけホームセンターにロープを買いに出かけようとするところで、子猫に命を救われるシーン。
あまりのリアルさ、生々しさに感じたことといえば、私自身が疲れているということの認識だった。

「作品」として読んでいない自分を認識したときの衝撃は、大きかった。
著者ほどの体験はなかったにせよ、同じうつ病に罹患し、どす黒い心の闇の一端に触れた自分として、あまりに共感しすぎていることに気づく。

興味深い記述があった。
同業の医師の心ないひとこと。
「なんでもうつ病でかたづけば苦労はないでしょうけどね」

おそらく社会一般の認識はこれなのだろう。
社会、職場、そして家庭。
そのすべてが同一の認識にいたときの本人の孤独感は、いかばかりか。

幸い、南木氏は家族も職場も精神疾患に対するきちんとした認識と対処をしてくれた。
それでもなお、治癒するのに数年かかったことから、この病の深刻さと怖さを改めて感じる。

そして、トラの死にかかわる描写。
家族としての喪失感の描写。
多田富雄氏のイプシロンの死と同じものが、南木氏の家庭でも存在した。

さて、本書のタイトル『トラや』の「や」は、何なのだろう。
「トラや、ほかの猫たち」、なのか、飼い猫への呼び声なのか。
よく出かけたまま戻ってこないことがあったらしいし。

やはり、「トラや他の猫たち」の略ではないか。
南木さんのうつ病のとき、何度も猫たちに心を癒されたことが、叙述の中にみられるから。

猫という生き物の「さりげなさ」。
子猫の「いとおしさ」。

おそらく犬であってはならないのではないか。
ふと、そんな気がした。

私は犬も猫も飼ったことはない。
これからもないだろう。
犬の精神性のイメージは、揉み手でにこにこしながら、すりよってくる大阪のおっさんw
猫の精神性のイメージは、単純。

ツンデレw

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
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読んだ『からだのままに』(南木佳士 著、文芸春秋) [本・雑誌]

死刑だ無期懲役だ、死刑囚の記録だ、駄本だw、カネ返せなどという本を読んでいると、ふと南木さんのエッセイが読みたくなった。

『生きのびる からだ』を読んだのは、つい最近だと思ったら、去年の12月のことだった。
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-21

とりたてて中身が変わっているわけではない。
日常のこと、山のこと、自然のこと。過去のこと。出自のこと。家庭のこと。病歴のこと。老いのこと。

それらが淡々と、しかし、警句(と私には思える)とともに描かれる。
これぞ「南木ワールド」と私は感じる。

今回のエッセイで感じたのは、自然との一体感。地域、歴史、悠久の自然とともに息づく著者であるということ。

このあたり、場所は違えど、アラスカの星野さんと同じものを見ているような気がする。

逆に、改めて星野さんのすごさを感じる。
「生きること」について、あの若さですでに感じていたこと。
友の死がきっかけだったと星野さんは書いていた。

「生きることのはかなさ」
「生」というものの短さ。

それを南木さんも感じている。

南木さんは、内科医として赴任した佐久総合病院で、月に数人の患者の死と遭遇し、300枚ほどの死亡診断書を書くころから、「存在していることがたまらなく不安になり、明日を楽観でなきなくなっ」てしまう。

「小説を書き始めたのは、医師になって二年目あたりで、人の死を扱うこの仕事のとんでもない「あぶなさ」に気づいたからだった。危険を外部に分散するために書いていたつもりだったが、それは内に向かって毒を濃縮する剣呑な作業でもあったのだ。」

なるほど。

私は、内科医としての職務と作家としての職務の両立によって、心のエネルギーがなくなり、パニック障害→うつ病というプロセスを辿ったのだとばかり思っていた。

それ以前に、病院で死というものに直面しすぎているうちに「存在の不安」というものを感じ始め、医業の「業の深さ」というものを2年目から感じたという。

(この「存在の不安」というのは、どういうことなのだろう。柳田さんのご子息が感じた「百年の孤独」と似たような感覚なのだろうか。本書には、「存在の不安」に関する説明らしきものは、ない。)

たとえば、瀕死の患者が居て、呼吸困難の患者にモルヒネを24時間持続で点滴する。当然、意識は低下する。東京から長男が来るまで人工呼吸器につないでくれと家族の懇願。気管への挿管。数時間後、家族が揃ったところで、人工呼吸器を止める。

つまりは、人の命を失わせる行為。

たしかに「業の深い」仕事だといえるだろう。
これが心を病む原因のひとつとなったとしても、なんの不思議もあるまい。
まして、その「業」を埋めるかのように執筆活動に傾斜していけば、心のバランスを崩して当然だろう。

「老病死の風に吹かれて書き継ぐうちに、ひどく心身を病んだりして変容を続けた「わたし」の骨格があらわになってきた気がする。いまは「人がただ在ること」の奇妙な図太さに惹かれる。」

「人がただ在ること」ということばの重み。
「変容を続けた「わたし」の骨格」という表現。

今の私には、そのすべてが、心に沁み入る。

うつ病に関する記述。
「不安、焦燥感にあおられる日々から逃れるためなら、と自裁を想いつく己の思考回路が恐ろしかったが、その回路のスイッチを切るために向こう側の世界へと誘い、そっと背を押す見えない力のほうがあとで冷静になってみればはるかに怖かった。」

自殺に至るプロセスには、ほんとうにさまざまなものがあるものだ。
自分の思考回路の怖さという点では、私にも経験がある。
その怖さゆえに、クリニックの門を叩いた。

「そっと背を押す見えない力」。
私はそこまでの実在する力を感じる前に治れた。
だから、そこまでのうつ病の怖さというものを実は知らない。
とはいえ、うすぼんやりとは、その「力」の怖さを感じるときはあった。

南木氏は、それを10年近くも(それ以上?)苛まれていたという。
よくぞ、生きのびたと思う。
まさに、変容したからだろう。
『生きのびる からだ』のあとがきの問い掛けを思い出す。

「生きのびるから変わるのか、変わるから生きのびるのか」。

私の答えはやはり変らない。
生き延びるために変わるのであり、その変化そのものが、生きることを求める。
もともと人間は、生きるべき存在。

生老病死というけれど、すべてが思い通りにならないことばかりだけれど、それは生きてこそ感じられることがら。

その、ままならない人生のなかで、珠玉の時間というものは誰にもたくさんあることだろう。
それを感じることにこそ、生きる価値というものはあるのだろう。
生きて在るのが、人間。

変わることはインプットされたこと。
多田先生の『免疫の意味論』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-13-1によれば、変容することも、生きることもあらかじめインプットされたことがら。さらにエピジェネティックな経験や事実が、その「変容」をさらに変容させていく。
何らかの異常で、そのプロセスに障害が生じるのがうつ病その他の精神疾患。

その疾患で、生きることを中断しては、やはりあってはなるまい。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
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読み直した〜『死刑囚の記録』(加賀乙彦 著、中公新書) [本・雑誌]

このまえ『死刑と無期懲役』(坂本敏夫著、ちくま新書)を読んで、「カネ返せ! 半分でいいからw」http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-14と思ったので、口直しにw、書架から探し出してみた。

やはり、きちんとした書籍は違う。

著者は、言わずと知れた作家、精神科医。
法務省の医官である小木貞孝氏が、東京拘置所をはじめとする多数の刑事施設で、死刑囚、無期懲役囚を実際に診察し観察した結果が、加賀乙彦名で克明に描かれる。

本書の存在意義は、死刑がいかに残虐な刑罰であるかをわれわれに知らせるところにある。

「絞首」という刑罰執行の方法が残虐かどうかというのは、おそらく枝葉末節な議論。
そりゃあ、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」と比較すれば、絞首は残虐とはいえないのかもしれない(私には大した違いはないと思えるが)。

しかし、死刑という刑罰の残虐性や問題はそこにあるのではない。
『死刑と無期懲役』の冒頭に出てくる死刑執行のドキュメントなど、ほんとうに際物。
夕刊紙か、安っぽい雑誌に掲載されれば足りる内容にすぎない。
あるいは「2ちゃん人種」「ゲーム大好き、ネット命、ケータイ見てないと落ち着かない」情動欠落人種あたりならば、大好きな箇所に違いない。
要するに、枝葉の議論。

本書には、「拘禁ノイローゼ」として紹介されているが、現在では「拘禁反応」と呼ばれる症状の数々。

<爆発反応>
「とつぜん独房のなかで憤怒の発作をおこし、極度の混乱におちいり、無目的な運動を乱発して暴れまわる。壁や扉を乱打し、房内の器物を破壊し、看守が制止しようとするとつかみかかってくる。顔は真っ赤になり、呼吸はあらく、ときにはガラスの破片で体を傷つけて血だらけになる。(中略)発作がさめてから、本人は自分が何をしたかを全くおぼえていない。」

<レッケの昏迷>
「囚人は突然に動かなくなり、房内に茫然として立っていたり、倒れたまま動かなくなる。外部の刺激(つねったり、たたいたり)には反応せず、死んだような有様だが、呼吸や脈拍や神経反射に異常がない。」

<ガンゼル症候群>
「質問に対して正解とすこしずれた答をする」
「子供のように舌足らずに話、どことなく呆けた様子である。」

<被害妄想>
囚人の「周囲にいる看守がまず妄想の対象になり、それは検事、警官、裁判官とひろがっていく。」

<躁病の際みられるような極度の上機嫌>
「大声でしゃべりまくり、歌い踊り、さわぎたてている囚人の姿は、彼らがおかれている状況から推して、異様な感じを与える。」
「実際、上機嫌はたちまち反対の極の悲哀感に落ちていき、笑いは泣きに、歓びは悲しみに変ってしまう。」

<死刑囚と無期囚との違い>
"濃縮された時間"と"うすめられた時間"という視点
死刑囚の「未来」は、24時間から48時間という限定されたものでしかないこと。
祝祭日、正月三が日と大晦日には死刑は執行されない。
慣例として日曜日には執行されないという。
(かつての病院の入院患者への食事時間が病院側の都合で夕方5時前に配られたように、日曜日は公務員の休日ということで、その日くらいは執行しないという、どちらかといえば、執行側の都合なのだろうか。)

ということは、年末年始を除くと、最大48時間だけは生を享受できることになる。
そして濃密な生を生きることになる。
毎日毎日、それが繰り返される。

これに対して無期刑は、仮釈放される場合があるとしても20年後。
無期懲役とはいえ、事実上、懲役30年として機能している。
「未来につらなる刑務所の生活は、来る日も来る日も寸分たがわぬ、単調なくりかえしにすぎない。そこでは一切の自由は失われた灰色の時間が、ゆっくりと流れるだけである。」

そこに適応するためには、ボケなければならなくなる。

<死刑囚は特別な人間なのか>
『死刑と無期懲役』にも書かれていたが、加賀氏も同様の指摘をすることがある。
死刑囚の中には、「どうしてこんな人があのような残虐な犯罪を犯したかと思える」ひとがいる、という事実の指摘。

以前、この『死刑囚の記録』を読んだときに私が感じたのは、
「彼ら(死刑囚)は現在拘禁された状態にあるのであって、自由な社会で生活しているわけではない。権力の中にあって、一挙手一投足を監視され強制された管理下にあるのだから、従順たらざるを得ないのであって、持って生まれた残虐さなど表に出す機会などない。環境が彼らをおとなしくさせているのにすぎず、刑事施設にいる彼らは真の姿をさらしているわけではない。医師ともあろう者が、どうしてそれに気付かないのか」だった。

改めて本書を読み直してみると、その考え方は動揺していた。
(動揺したにすぎず、その考えそれじたいは動かし難いものなのではあるが)
おそらくうつ病を経験し、さまざまな本と出会い、とりわけ五木を通じて歎異抄に触れたことが大きいことに気がついた。

親鸞が唯円に問う。
「おまえは私を信頼すると言った。ならば、いまから千人の人間を殺してこい。」
当然、そんなことはできないと唯円は答える。
親鸞は、答えを明らかにする。
「お前が善人だから人ひとりを殺せないのではない。人は状況により平気で殺戮をする不安定な存在なのだ」(要旨)。

家族を愛する善良な市民が兵士になったとき、中国戦線で、あるいは東南アジアで、敵の兵士のみならず、他国の住民を平気で殺す。
もちろん、それは国家が命じる戦争という状態での話。

それならば、関東大震災のとき、井戸に毒を入れたというデマによって、在日朝鮮人(強制的に日本に連れてこられた人たち)を殺戮したのもまた、善良な市民たちという事実をどう考えるか。

もちろん、それは天災という非日常的な出来事と、植民地で暴虐の限りを尽くした
うしろめたさの鏡像から出たアクシデントにすぎなかったものだ、との言い訳も成り立つのかもしれない。

それでは、たった15年前のオウムの出来事は、どう考えるのか。
偏差値が比較的高い大学、大学院の研究者、医師たちという、いわば社会のエリートたちが、希代の詐欺男にまんまと騙され、地下鉄サリン事件や弁護士一家殺害等のとてつもない所業に及んだのは、どう考えるべきなのか。

死刑に匹敵する残虐な行為をするという精神状態に陥ることと、われわれがふつうに生活を送るときの精神状態との境目は、あるのかないのか。

著者は、実際に死刑が確定した囚人を観察していて、「死刑囚は、何よりも一個の人間であることを、彼ほど心に沁む力で示してくれた人を私は知らない」とまで言わしめた正田昭死刑囚は、象徴的な存在だろう。

<刑罰は誰のものか>
たしかに、「残虐な行為をした報いは、残虐なものであっていい、むしろそうあるべきだ」、という被害者遺族の思いも、死刑制度の根底に置かれていることも、想像にかたくない。

しかし、死刑を含めた刑罰は誰のものなのか。
被害者遺族の精神的慰謝のために存在するものなのか。
おそらくそれはまったくの誤解だろう。

刑法(に限らず、すべからく法律ないし制度)はあくまでも社会の秩序維持のためのもの。
刑罰は社会統制のための1つの最終的な手段。
有期刑、無期刑であれば、社会復帰という目的も存在することから、矯正という働きかけが国家の費用で行われる。
当然のことながら、排泄行為ひとつとっても、国家の監視と許可付きで。

しかし、死刑というのは社会からの排除であり、この社会に存在してはならないことを国家が命じること。
犯罪が行われ、事件の報道が行われれば、社会は憤激し、マスコミをあげての「吊るせ!」の大合唱が行われ、社会はそれに同調し、マスコミをも上回る勢いで気勢をあげることさえある。

死刑判決が確定したとの報道があれば、その段階で社会の憤激はおさまる。
社会の秩序が保たれる(ようにみえる)。

誰のための刑罰制度か、といえば、結局のところ、いかにも社会秩序が保たれているかのような「幻想」を社会に与えるためにすぎない。

つまりは、為政者側のために刑罰制度は存在するのであって、われわれのために刑罰制度が存在するわけではない。

その後、事件それじたいは忘れ去られ、被害者遺族の悲しみも憤激も、社会から忘れ去られる。
忘れ去られたころ、ひそかに死刑は執行される。

時にベタ記事で、死刑が執行されたことをわれわれは知る。
しかし、いったいどんな事件がそのとき起きたのかなど、われわれは関心をもたない。

どこに死刑の威嚇力があるというのか。

結局、本書で、加賀氏は死刑を否定する。
「私自身の結論だけは、はっきり書いておきたい。それは死刑が残虐な刑罰であり、このような刑罰は廃止すべきだということである。」

「彼らは、拘禁ノイローゼになってやっと耐えるほどのひどい恐怖と精神の苦痛を強いられている。これが残虐な刑罰でなくて何であろう。」

被害者遺族であれば、被害者に与えた同じ程度の苦痛を味わえばよい、と死刑囚や無期の囚人に言う資格は十分にあるだろう。
しかし、それで遺族の心は救われるのか。
今か今かと執行を待ち望む心。
それこそ、残虐な刑罰そのものではないのか。

まして、遺族とは何の関係もない85%もの国民が、死刑を容認する社会とは、いったいどういう社会なのか。
世の中全体が、「2ちゃん」を中心とする、あるいはネットに狂う、ゲームに心を乗っ取られた、ケータイを手放せない人間たちに巣くう空洞化された精神と同期しているのかもしれない。

為政者は、常に自分たちに怒りが向けられることを巧妙に避ける。
本来向けられるべき、怒りや矛先が、方向を変えて犯罪者に向けさせる。

そこに本質があることに気付かないかぎり、この社会は変わらないだろう。
そして、おそらく「社会」はそれに気付かないまま、ずっと「吊るせ!」と叫び続けるに違いあるまい。
もちろん、絶対数として死刑に相当する犯罪を犯す人間は存在しよう。
だから、死刑に相当する犯罪は、これからもなくならないだろう。

しかし、同時に、彼らは単なる「生け贄」であることが理解されるべきだろう。

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読んだ『蓮如 — われ深き淵より —』(五木寛之、中央公論社) [本・雑誌]

浄土真宗を大教団に育てる基礎を築いたと五木が書いていた蓮如の若き日を描く戯曲。

舞台のスケールの大きさに驚かされる。
大きくてキャパ400人規模、象徴的で簡素な舞台しか見たことのない私にとって、五木が蓮如で描こうとする舞台は、どれだけの機材とどれだけの大道具を必要とするか、想像もできない。照明も音響も人員も。
作ろうとすれば壮大なものにならざるを得ないだろう。
さらに琵琶法師の歌う平曲のようなもの。作曲家も必要になる。
アニメ映画にはなったらしいが。

さて、戯曲。
1453年、39歳から1465年、51歳あたりまでの蓮如が描かれる。
京都のことでよく冗談で言われる「先の戦」である応仁の乱のまさに前夜まで。

疫病が流行り、夜盗は群れ、鴨川には死体が山となり野犬が死体を食らうという人心が荒廃した時代。

五木に言わせれば、今はまさに応仁の乱前夜に似ているというが、どうなのだろう。
少なくとも、新型インフルエンザという新しい病気が世界各地で起こり、年間3万人をはるかに超える自殺者が生じている。
現代には夜盗はいなくても、振り込め詐欺は横行している。応仁の乱は起こらなくても、経済は停滞し、人の心は病んでいる。五木のいうところの「心の内戦」。

そんな時代背景をもとに、「人間蓮如」が描かれる。
まさに「人間キリスト」のようなといっては、キリスト者と蓮如ファンから反論が起きるのだろう。

煩悩の固まりとしての自己を認識しながら、乱世に翻弄される庶民の心を救おうという固い決意が生まれるまでがさまざまなエピソードとともに描かれてゆく。

何よりも驚くのは、子だくさん。
ある意味で真宗の中興の祖といえるだけの、また精神世界を構築するだけのパワーを持つということは、そういうことなのか。
それとも、その時代の夫婦というのは、そういうものだったのか。

蓮如の最初の奥さんは、子だくさんのために体力を消耗し死ぬ。
その妹と再婚するが、また子だくさん。
いったいどれだけの子どもを作ったのか。
その妹すら死んでゆく。

それはさておき。
長男でありながら、庶子としての出自から、寺を継げない運命を信徒たちの力を得て覆すのもまた運命。
プロパガンダとしての「御文」を作るのに呻吟する姿は、感動的。
力を得た教団が襲撃されるシーン。

鴨川の死屍累々の状況をボランティアとして参加するため寺を出る加助の姿に自分は御文を書いていてよいのかと悩む蓮如の姿は、阪神・淡路大震災の当時、ボランティアとして参加すべきか、この「蓮如」を書き続けるかに悩んだ五木の姿そのものだろう。

堅田門徒の頭である法住の台詞「出る杭は打たれるが、出ぬ杭は腐る」。
なるほど。

冒頭に出てくる塩の専売権システムは、当時から経済を握る勢力が権力との結託によって存在することを教えてくれる。
そういうものか。

「らしくない」宗教家、蓮如。
それが余すところなく描かれる。
堅田の門徒との歓談は感動的。
力作。

ちなみに、どうして中央公論社から出版されたのか。
そこに興味が尽きない。
雑誌「中央公論」に連載されていたものが書籍化されることは、わかる。
どうして中央公論だったのか。

嶋中行雄、嶋中鵬二氏への賛辞があとがきで述べられる。
急に、「中央公論社と私」(粕谷一希 著、文芸春秋)を久しぶりに読みたくなった。

以前、粕谷先生に担当した書籍を献本し、お話をさせていただいたことがある。
知の巨人との数時間は、私にとって珠玉の時間であり、思い出としての宝物のひとつ。
お元気でおられるのだろうか。
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