本・雑誌 ブログトップ
前の10件 | -

城山三郎「そうか、もう君はいないのか」 [本・雑誌]

この前の日曜に購入。
とうに文庫になっていた。

なせか、表紙のタイトルを見て、本を手に取っただけで、胸が詰まった。

出会いがドラマのようだし、再会もまたドラマみたいな夫妻。

仲睦まじいという言葉は、この夫婦のためにあるのではないか。
ウチトハ、ゼンゼンチガウ、ゾ(笑)

それはともかく、フォントの大きさに驚いたが、さらさらと読める。

半分ほどになったが、いつもページの上にある柱が気になる。つねに、「そうか、君はいないのか」という文字が目に入る。

こんなに幸せそうな夫婦が、死に別れてしまう。終わりまで読みたくない気さえする。

帰りの中央線にて。

iPhoneより送信

弁護士の就職・仕事・営業がわかる本(日本法令) [本・雑誌]

法律事務所経営者の立場から面接のポイントを述べたり、就職する側の弁護士のノウハウ、独立した弁護士のノウハウなどが書かれている。

ある法律事務所には200通を超える応募があるとのこと。採用人員は1名。
大変。

一次面接を終えて、事務局の人も交えて今度食事でもいかがですか、というのが最終面接らしい。
二次会、三次会になって、もしカラオケがあった場合には、そのときは率先して歌ってください、との記述には、微笑。
さらに、そのときは、自分の趣味に走ってはならず、連れていってくれた弁護士の年代に合わせた曲を察して歌いましょう。。。。

ううむ。
微に入り細を穿つというのは、こういうこと?

驚いた記述。
翌日には、御礼メールを送りましょう、とか書かれている。

ことほど左様に、「手取り足取り」されなければいけないほどに、「イマドキ」の若者はスポイルされているというのか。
ビジネスの基本中の基本だろう。即日ないし翌日午前中の挨拶メールなるものは。

もしかしたらこういう行為を習慣づけているひとというのは、少ないのかもしれない。
以前、ある取引先の方に言われた。
打合せが終わって、いつもその日のうちにメールをいただいたことは、特に印象に残ります、と。
自分には当たり前のことだと思っていても、そうでないことというのはあるみたいだ。

この本。
ムック形式、B5判、120頁で1500円。
高いのか安いのか。
少なくとも、非常にいいアイディア。
事務所の宣伝にはなるし、ねw

それにしても、初めて知ったのだが、岩出誠弁護士の「ロア・ユナイテッド法律事務所」のもともとの由来は、「Law Office Iwade」だったわけね。
なんでまた航空会社みたいな名前にしたのかなあ、とつねづね思っていたのだが、疑問は氷解。

同事務所パートナー中村博弁護士の「人脈のつくり方」は、なるほどなあ、と。
「あたりまえのことをあたりまえにする」という基本こそが、大切なんだろうな、と。

逆にいえば、ことほど左様に、社会常識というのか、ごくごくあたりまえのビジネスの基本が、若い弁護士たちには求められているということになる。
司法試験合格者が、かつての旧試の500人時代から1000人に増加したとき、こういう議論はあったのだろうか。現在では毎年2000人という時代。たしかに、量としてのインパクトはある。

さらに受け皿としての法律事務所の採用人員は、この経済状況では手控えの傾向にあるのだろう。
ただ、そのこととこの本の企画の中で、「みだしなみは整えて」レベルの記述があることとは、どういう関係に立つのか。

やはり、「あたりまえのことができない」修習生(若者)というのが出てきているのか。
いや、そんなことは想像したくない。
単に、需給バランスの問題にすぎないのであって、ビジネスの基本を理解できていないひとが落ちるわけではなかろう(中には、そういうひとがいても、ちっともおかしくはないと思うが)。

いずれにしても本書を企画した日本法令の編集者に拍手。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

こういう本が、とうとう出ていた [本・雑誌]

『高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言』 (中公新書) 小林 哲夫



高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)

高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)

  • 作者: 小林 哲夫
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2012/02/24
  • メディア: 新書



一時期、全共闘世代の本がたくさん出ていたわけだが、とうとう、というかやっとというか、高校紛争に関する書籍も出始めた。
書店で立ち読みしただけ。

こんど、じっくり読んでみたい。
Amazonをみて、おもしろいなあと思ったのは、あたりまえのことながら「新品: ¥ 903」なのに、「中古品 ¥ 1,150より」と書かれていたこと。
わけがわからんw
2月に発売された新書なのに、まだまだ流通過程にある本なのに、どうして中古のほうが高いんだ?w

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読了〜『大人の流儀』(伊集院静 著、講談社) [本・雑誌]

5時過ぎたし、今日は休みだし。
飲み始めても、バチはあたらんだろう。
隣町まで徒歩で出掛けて、プリンタのインクセット買って、ついでに単3の電池買って。

暑かったので、隣町にいくときはいつも入っているコーヒーショップに入ろうかと思ったら、なぜかお休み(そんなことってあるんだ)。

チェーン店に入ろうと思ったら、カウンターの小娘(別に他意はない。ふつうのお嬢ちゃん)が、「混み合っておりますので、先にお席を確認していただければ」と言う。

2階の喫煙席までわざわざ上がって、席取りするほど暇じゃねえ。
「あ、そ」とにっこり笑って、店を出た。

その街のすぐ近くのドトールは、なんかきったね〜し、よくよくの事情がないと入りたくない店。
プロントがあったっけと思って、ふらつくと、新しいチェーン店が開店していた。

ちょこっと、と思ったが、先に手に触れたのは『大人の流儀』だったので、一気に読んだ。

出会いは、仕事場近くの10坪書店の平台だった。
3冊あって、ふと開くと、最初のエッセイは、「大人が人を叱るときの心得」とあって、もうすぐに「買い!」と思わせる一文だった。

あっはっはっは。
曰く、「それは断じて違う」。「言い方に気を配ることなどさらさら必要ありません。あなたの言葉で、ダメなものはダメだと言いなさい。」「何をやってるんだ」「仕事をなんだと思ってるんだ」「そんなこともできんのか」

あっはっはっは。
「なぜ叱ることが必要なのか。それは今の新しい人の大半が、本気で叱られた経験を持たないからである。」と、伊集院静は指摘する。

要するに、「イマドキの奴らの大半は、ヒトの形をした犬猫猿豚にすぎないのだ」。これは私の一文。決して伊集院静の文章ではない。

たしかに、「本気で」叱られた経験を持たない犬猫猿豚は、たくさんいることだろう。
叱られた経験を持つ犬猫(もういいっちゅうねんw)連中は、たくさんいることだろう。
しょせん、衝動的に、自分が気に入らないから叱るだけの犬猫たちの(バカ)親たち。
そんなバカどもに育てられたのは不幸以外のなにものでもないが、それは家庭でのできごとにすぎず、社会人になったときには、そんなドメスティックなできごとなど、なんの関係もない。

単に、世間を知らないバカモノだけの存在である若者たち。
バカであること、世間知らずであることは恥ずかしいことであることすら理解できないバカモノたち。

このエッセイの最後の一文がおもしろい。
いわゆるKYに関するコメント。
「馬鹿言ってるな。なぜいい年して、女、子供の吸ってる空気を読まにゃならんのだ」誰のお蔭で生きてるんだ。人が人を叱るのに、空気を読む必要などさらさない。

このことばを私の知る誰かに捧げたいw

なお、本書の最後に、夏目雅子との出会いと最期が書かれている。
胸が詰まる。

それにしてもだ。
作家というのは、壮絶な人生を歩んでいるものなんだな、と改めて思う。
出版社から前借りをして、それで飲むし食うし、松井秀喜に奢る。
銀座で遊ぶ。

どうなのよ? そういう人生って。

夏目雅子が病魔に冒された当時、アメリカは日本よりも白血病が治る可能性はあったらしい。
けれどそれには一億円の金額が必要だったらしい。
「その金が私には工面できなかったんです」と、さらりと書くのだけれど、そんなカネ、右から左に出せるヤツなどそうそうはいまい。

おそらく伊集院静レベルであれば、それくらいの金額は平気で飲んだことだろうし、きちんと貯めておけば自由にとは言わないまでも、夏目雅子のために使うことは可能だったろう。

だから彼はこう決意したのだという。
「彼女が亡くなった後、自分で決めたんです。もう二度と金で揺さぶられる生き方はしないとね。」

それでいながら、135ページには、「各出版社からの借入れ残高を見てうんざりする。」と書くところは、「さすが(昔ながらの)作家!」と、かけ声をかけたくなる。

おそらく同じ仙台在住の伊坂幸太郎あたりは、そんな生活なぞしていないだろう。
きっちりと、仕事場と住まいを分けて、住まいから仕事場に「通勤」して、9時5時で小説を書いているんではあるまいか。

ともかく、『大人の流儀』は面白すぎる。
もとより、この面白さが理解できるのは、「大人」に限るwww
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

ひさしぶりに、おバカな本を買ったw [本・雑誌]

『酔って記憶をなくします』(石原たきび編、新潮文庫)

ここんとこずっと『男子の本懐』を読んでいるのだが、そろそろ終わりに近づいている。
ずっと、浜口雄幸(はまぐち・おさち)の『随感録』も持ち歩いている。
しかし、『男子の本懐』の「わくわく」感、井上準之助と浜口の対照的な性格と生き方を読んでいると楽しいが、すさまじいストレスも感じる(いや、私が感じるわけではなく、井上と浜口が、とんでもないストレスを感じつつ生きてきたのだな、ということは十分感じられる、ということ)。

そこでまた、『随感録』のような旧仮名遣いの漢文みたいな文章(実際は、そんなことはないのだがね)を読むのは辛いと思っていた。

たまたま立ち寄った書店の文庫コーナーをふらついていると、この『酔って記憶をなくします』が目に飛び込んで来た。

じゃあ、買いますよw

まだ読んでないけど、久しぶりに『中央線、酎ハイマラソン』だったっけか?w
これに匹敵するおバカな本なんだろうな、とタイトルを見て思った。

ってなわけで。。。。
風呂に入ろう。

なんか帰宅したら、ものすごく家の中が蒸し暑い。
そういう日もあるんだろうね。

ご飯も食べたし。
デザートは私が買ってきたし♡

そうそう。
清志郎と私と和子は、その「夏季限定プリン」というのを食べた。
マンゴーの魅力に負けたのだが、それは和子が食べた。
私はメロン。
清志郎は、ふつうのプリン(だったかな?)

なななななんと!

おねえちゃまののぞみは、ダイエット中なのだという。
はあ?
まだ20歳でしょ?
いまが一番、膨張する年齢でしょ?

なんでさ?
なんでダイエットなんかするのさ?w
きっとキミを好きになる男性は、やってくるよ。
絶滅危惧種みたいな体型だけどさ、キミは。

だって仕方ないじゃんか。
娘は父親に似るんだから。
似れば幸せになるんだからさ。

キミは今のままでいいんだよ ♡♡♡ >のぞみ

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら【追記あり】 [本・雑誌]

もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら、彼のエッセイをどう読めばよいのだろう?

あまりに類型的なうつ病にかかわる描写。
たとえば、奥さんが彼をひとりにするときは、包丁をすべて隠してでかけたというエピソード。
自殺願望が、そこまであるのなら、また、包丁なるもので失血死をしようとするだけの意欲と行動力がうつ病患者にあるのなら、いかな佐久の田舎であっても、包丁くらい売っている店はあるだろうし、それを買えばよいだけのこと。

枝振りのよい木を、自分が首をくくる木として眺めている時期があったというエピソード。
ロープなど、いかな佐久の田舎であっても、売っている店はあるだろうし、なぜ買わずに済ませられたのか。

自殺を決意し、でかけようとしたが子猫が足にまとわりつくことで我に返り、自殺を思いとどまるというエピソード。
ここに疑問は頂点に達する。

私の場合は、家族とりわけ子どもを自殺者の子にしたくない、という切なる願いだった。
「死」への誘惑に打ち勝つだけの子ども、家族への想い。
それが、「踏み切る」ことをとどめさせた。

南木氏の場合は、それが猫だった。
家族ではなかった。

それはなにを意味するか。
家族は、彼を死の淵から救いだす存在ではない、ということ。

そう考えてみると、彼の描写のなかに出てくる「家族」の中心は、祖母であり父。
ときに奥さんも子どもも、成長した子どもも出てくるが、登場回数は少ない。
不思議に思えるほどに。

母親を2歳だか3歳だかで失っていれば、蓮如が6歳か7歳で母親を失った(生き別れ)ように、女性への思慕の念、家族というものを大切にする心情というものは、自然に生まれるものではないのか。

否。
動物園生まれの動物が子育てができないように、人は教えられたことしか実践できないのだとすれば、彼に幸せな家族を形成する能力はないのかもしれない。

あまりにキッチュな南木氏のうつ病患者としての彼の描写は、春日武彦に出てくる統合失調症の患者の妄想のキッチュさにも類似する。

ほんとうに彼は、うつ病患者だったのか?

もしそうでないとすると。。。。。。
彼のエッセイのほとんどが「大嘘」ということになる。
技術でねじふせる小説家の面目躍如というところか。

もとより、彼の技巧を尽した表現技術まで否定しようとは思わない。
しょせん技術にすぎないが。

それよりもなによりも、もし彼のパニック障害とうつ病が真っ赤な嘘であるとすれば、まさに彼としてはしてやったり、ということになるのだろう。

小説家、物語を述べるひと、ストーリーテラー。
日本語訳は、「大嘘つき」。

ここまで考えつくと、彼が50歳になってから始めたという登山というのも、どんなもんかなあ。
ほんとうにやってるのかい?と思えてくる。

そういえば、私は登山の描写の部分は、いつも読み飛ばしていた。
なぜか面白くないから。
ありきたり。
そりゃそうだろうね、というばかりの記述。
だから?
という記述。

真実かどうかを試す方法はある。
佐久中央病院に勤務したことのある医者に尋ねればよい。
知り合いにいる。
年齢的にも近い方。
おそらく南木氏は院内の有名人であり、まして医者仲間であれば、同じ内科の医師であれば、事実かどうかは即座に判明する。

まあ、世の中、知らないほうがよいことというのはたくさんある。

【追記】
知ってしまった。。。。。。。。。。。
やはり私の危惧は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、(以下、省略)

コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読んだ『蓮如』(五木寛之 著、岩波新書) [本・雑誌]

この前読んだ蓮如をテーマにした戯曲『蓮如ーわが深き淵よりー』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-20-2には、部屋住みの時代から寺を継ぎ、大教団を築く直前の激動の時代の蓮如像が描かれていた。

この『蓮如』には、戯曲のディテールに加え、より広い時代の蓮如が紹介されている。
五木は、蓮如に限りない人間的な魅力を感じている。

ひと言で言えば、「生々しさ」であり、「人間性」であり、その圧倒的な民衆の支持を得た「存在感」というところか。

当時の宗教界からは見捨てられていた農業、漁業、職人、商人、交通運輸に携わる人たち(早い話が「海賊」たち)への活動は、彼らにとっての生きるよすがを提示した点で、当時では画期的なものだったに違いない。

いわば、イエスがマグダラのマリアという娼婦をも救済の対象としたのと同様に、親鸞から続く慈悲の精神をより理解しやすい形で民衆に提示していった。

もちろんそれだけではない「政治性」を蓮如は持っていた。
地方の「大坊主」と呼ばれる政治と宗教を牛耳る地位にある者に食い込むことによって、教団をさらに拡大させていったわけで。

それを50代にやってのけたというのだから、そのエネルギーのほとばしりは、年齢にかかわらないものだ、ということを感じ入る。

結局、蓮如は85歳で亡くなるわけで、当時の寿命からすれば画期的なんぞという言葉では表現できないほどの生命力を持っていたのだろう。

もっとも、親鸞は90歳を超えて亡くなっているのだから、歴史に名を残すレベルの人間の生命力というのは、計り知れない。

五木が着目するのは、蓮如の出自と母との別れ。
6歳で母と別れ、その母への思慕というもの、女性への憧憬というものが蓮如の精神性、宗教活動に影響を与えていたとみる。

当時の宗教界では不浄とされていた女性を取り込む活動は、宗教圏の拡大に画期的な効果を生んだことだろう。

第6章の中扉にある蓮如の書のおおらかさ。
南と元の文字の大きさと、それ以下の阿弥陀仏のバランスが、悪い。
「とりあえず、やってみる。そこから結果を導く」というような、いかにもおおらかな性格を表した書に見える。

親鸞の師匠であった法然は、一生を女性と接せずに過ごしたという。
親鸞は肉食妻帯を実行し、それを煩悩として悩みつつ一生を過ごした。
その点で蓮如のおおらかさ、清濁併せ飲む人間性というのに、私も大きな魅力を感じる。

「人は一瞬きらめくときがある。そこが人間の魅力というものです。聖と俗が切り離しがたくからみあった一人の人間として、彼と平座でむかいあうことこそ蓮如を理解する唯一の道だと私は思うのです。」という言葉で、五木は本文を終える。

この「聖と俗が切り離しがたくからみあった一人の人間」というところをとらえて、真宗の信者は「蓮如さん」と呼ぶのだろう。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読んだ『醜い日本の私』(中島義道 著、新潮文庫) [本・雑誌]

南木さんのエッセイに中島義道のことが書いてあったことから、読んでみようと思った。

なんとも正論ではあるのだが、唖然とさせられるエッセイだった。

(子どもたちに)「自分が快適なとき、あるいは不快でないときでも、すぐ隣の人が不快に思い、苦しんでいるかもしれないことを教育すべきである。」

「あとがき」の冒頭では、「私はずいぶん変な人である。」と書かれている。
たしかに、店からはみ出す商品が道路を占有するのに何度も抗議をする。防災無線のスピーカーの「騒音」に市役所に抗議をする。巷にあふれる公共のスピーカー音(寝たばこに注意しましょう、その他、警察、商店街、消防署等々からの「祝詞」)に対し、ためらわず抗議を繰り返す。

果ては、酒屋のスピーカー騒音に抗議してもやめないことから、これを勝手に外して民家の垣根のむこうに捨てる(その後3万円を弁償したという)行動に出てしまう。

他にも、「ふつうの感覚」からすると、「異常」とも思える感受性を持つ著者は、行動に出る。

一見すると(いや、すでに)「異常性格」「人格障害」と見られかねない行動だが、著者なりの論理は筋が通っている。

むしろ、「ふつうの感覚」でいることが、著者のような感受性を持つ人に対して、「異常な」攻撃を仕掛けていることを容認していることが、論証されている。
日本人論として、そういう見方ができるのかと、陳腐な言葉で言えば、目からうろこが落ちる。

コンビニやチェーン居酒屋の店員が客に投げかける言葉の背後にある精神性の指摘は、興味深い。

少なくとも、私の街のコンビニの店員の言葉から、著者ほどの感じ方はできない。
おそらく私の「感受性」が鈍いからなのかもしれない。

そして冒頭に書いた「共生」ということについて。
おそらく日本人というのはその寛容さにおいては、世界に冠たるものを持っている。但し、それは自分たちと同様の思考、行動をする者に対しては。

おそらく公務員たちの祝詞的行動は思考停止の最たるものだろうし、前例踏襲、無責任の極みという点では、著者が最も嫌悪するところだろう。
その思考停止が骨まで沁みた日本人たち。

若者たちの間にも思考停止は続く。
ネット人種、祭り。
ただただ「流される」ことに違和感を覚えない人たちの群れ。
ネットという手段を持とうと持つまいと、「日本人」であることは変わらない。

その思考停止に異を唱える著者の考え方など、おそらく理解できまい。
これからもずっと著者の受難は続くのだろう。

「異なったものを排除するのではなく、同一化するのでもなく、異なっていることを認めたうえで、そのものとしては理解できないことを認めたうえで、彼らも自分と同じように生きる権利をもつことを承認することはできるはずだ。
それこそが、真の意味での「共生」であると思う。」
で、本書の本文は締められる。

はたして、著者と「社会」との共生は可能なのだろうか。
寛容さのなくなったいまの社会。
自分自身の免疫のメカニズムにも寛容というしくみは存在すると多田先生の本にあった。

自分自身を否定してしまう精神疾患。
他人のみならずわが子ですら手にかけてしまう病んだ精神。
自分と違う感じ方を否定してしまう社会。
なにも日本だけにはとどまらない。
宗教を背景にした経済的対立は、世界中に遍在する。

共生が寛容さを前提とするのならば、おそらく著者の思いは果たされまい。

さて、私にはあまりに過激すぎる中島義道。
この1冊だけで勘弁させてもらおう。
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読んだ『阿弥陀堂だより』(南木佳士 著、文芸春秋) [本・雑誌]

とうとうというか、やっとというか。
南木佳士の代表作のひとつに辿りつくことができた。

この前読んだ『天地有情』にあった <「阿弥陀堂だより」を書いたころ> という一文に「書くことは、「死なずにいるための唯一の手段だった」という一節があり、パニック障害とうつ病の中で書く小説とはどういうものなのか、そもそもうつ状態で小説なんか書けるのか? というのが根本的な疑問だった。

もうひとつは、庭の焼却炉で焼いたという新聞の書評に書かれていたということがらが、「実際、どうなのよ」という興味もあった。

なによりも、南木さんのエッセイだけをずっと読み続けてきて、敢えて小説を避けてきた自分にとって、南木さんの小説を私自身がどう感じるかに興味があった。

本書には、さまざまなエッセイに出てくるシチュエーションが満載。

描かれる山村の風景や山の遠景、四季折々の描写、「トラ」になる子猫のエピソード、なによりも阿弥陀堂を守るおばあさん、村の老人たち、とりわけお年寄りの女性たちの言葉など、私にとってはいわば自分の村でのできごとのように感じられてならなかった。

小説らしい小説を読んだのは、いったい何年ぶりだろう。
たしかに、細部にまで心が行き届いた表現が、そこかしこにある。

初めて阿弥陀堂のおうめ婆さんを訪ねて、お茶をごちそうになるシーン。

「茶だんすから急須を出し、ポットの湯を注いでお茶をいれてくれた。」という一文が、「おうめ婆さんは割れたガラスを黄色っぽく変色した絆創膏で貼りとめてある茶だんすからアルマイトの急須を出し、錆の出たステンレスのポットの湯を注いで茶をいれてくれた。」となる。

まさに細部を作り上げる技巧。

そこに住むことなしには描けない言葉たち。
「風に芯が出てきたらすぐ冬だぞ」

「広く吹く風の中に、特に冷たい空気の固まりが含まれていて、それを芯と呼ぶ。」とのこと。
南木さんが育った群馬というところは、あるいは信州というところは、秋から冬への変わり目をこんなふうに表現する地方だということに気付かされる。

あるいは、「落葉を終えかけた木々の間を小雪が舞うのを見た。」という表現。
「落葉を終えかけた木々」。
おそらくこういう部分が、「細部にこだわる」ということなのだろう。

「人工の光の混じらない天然の闇そのものが人の意識を吸い取ってしまう濃さを持っているのである。」

「人の意識を吸い取ってしまう濃さ」
そんな濃さをもった闇というものを体験してみたい。

南木さんらしい警句。
「ここでは人が生きているのではなく、山によって生かされていると言った方が正しいのです。なにか目に見えない大いなる力によって自然とともに生かされている人間。山の暮らしは人間の小ささばかりを教えてくれます。」

ただ、この文章は高校時代の主人公が書いていることになっている。
当時の国立高校生というのは、そういうレベルの感覚を持ち得たということなのだろう、か。

おそらくそうなのではなく、主人公も3歳から祖母に育てられたという設定でもあることだし、祖母から教えられ、日々の生活の中から感じてきたこととして十分説得力はあるのだろう。

主人公の妻美智子(主人公でもあるのだがw)がパニック発作に見舞われたときの美智子の母親の言葉。
「みっちゃんはこれまで自分の思いどおりに生きてきたけど、世の中、予測のとおりにはならないことも多いのよ。その事実を知るのが大人になるってことなのよ、たぶん。みっちゃんはこれまでよりずっと患者さんの心の痛みが分かる本物のお医者さんになれるわよ」

ままならいもの。
生まれいずること、老いること、病を得ること、死ぬこと。
私も、この病気を経て、生老病死以外にも「ままならないこと」がたくさんあることを知った。

うつ病に関する指摘。
「心の病気にとってはプライドの高さも悪化要因の一つでしかないのだと孝夫はつくづく思い知らされた。」

幸いにして私が悪化しなかったのは、プライドが低いからなのかもしれぬw

「治ったのではなく、時が彼女の心身を病の状態に慣らしてくれただけなのかもしれない。」

南木さんのエッセイにもあった。
時が経過すれば自分自身も変わっていく。
元どおりの自分は、そこにはいない、と。

初めて読んだ南木さんのエッセイ『生きのびる からだ』のあとがきにあった一節をいつも思い出す。
「変容するから生きのびるのか、生きのびるために変容するのか」。

疑問がひとつ。
「阿弥陀堂だより」を書いている小百合ちゃんは、どうして声を出せない設定にしたのか。
たしかに肉腫という癌に侵され、先進医療をもってしても声を犠牲にせざるをえなかったということと、それだけ恐ろしい病の再発というエピソードがこの物語の山となるわけで。

やはり声が出ないというのは、その再発の暗喩として必要だったのだろうか。

最後の写真のシーンがなんとも感動的。
「三人の女たちは実にいい顔で笑っていた。
九十六歳、四十三歳、二十四歳。老齢、中年、娘盛り。それぞれの年代の女たちはしぶとさすら感じさせるあけっぴろげな笑顔でカメラを見つめている。」

これからの主人公夫婦のしあわせとさらなるおうめ婆さんと小百合ちゃんのつかのまの幸せを感じさせる。

たしかに「センチメンタル」のひとことで語ることができなくもない。
しかし、同じような心の病を得た私としては、よくぞうつ病のなかでこれだけの物語を紡いだと思う(嘘つけよ>南木佳士。そんなことできるわけ、ないだろ?)

さらに言えば、南木さんというひとは底知れないエネルギーを保有するひとという気がする。
自然と人と生活を精細に描いたこの本は、だから愛されるのだろう。
単に、新聞の書評者は人の心を感じるだけの、また感じざるを得ない経験を積んでいないだけに違いない。

いい悪いの問題ではなく、めぐりあわせなのだろうし、仕方のないこと。

次は、受賞作の『ダイヤモンドダスト』か。
いや、それはもう少しあとにしようか。
連作集からいくか。

また「読む」楽しみがふえたのが、ことのほかうれしい。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

読んだ『天地有情』(南木佳士 著、岩波書店) [本・雑誌]

奥付は2004年。エッセイ集。

<あとがき>にある「もはやだれからも、生き急いでいる、と指摘されない歳になった。だから、気がねなく、あせっている。」という締めの言葉が印象的。

早くそんな境地に達してみたい。

今回のエッセイと同様のタイトル<天地有情>が、いい。
南木さんのエッセイにはよく登場するような気がする大森荘蔵のエッセイとのこと。南木さんにとっては、「命の恩人ともいえる文章」とのこと。

「自分の心の中の感情だと思い込んでいるものは、実はこの世界全体の感情のほんの一つの小さな前景に過ぎない。此のことは、お天気と気分について考えてみればわかるだろう。雲の低く垂れ込めた暗鬱な梅雨の世界は、それ自体として陰鬱なのであり、その一点景としての私もまた陰鬱な気分になる。天高く晴れ渡った秋の世界はそれ自身晴れがましいのであり、その一前景としての私も又晴れがましくなる。簡単に云えば、世界は感情的なのであり、天地有情なのである。その天地に地続きの我々人間も又、其の微小な前景として、其の有情に参加する。それが我々が「心の中」にしまい込まれていると思いこんでいる感情に他ならない。」

「世界は感情的なのであり、天地有情なのである」

私たちも自然の一部分。大いなる力に支えられ生きている。
大きな自然の前景として生きている。

7歳年下の死にゆく内科医を見舞ったときの南木さんの言葉。
「未来は現在の想いに過ぎないんだから、互いの未来の不確かさは平等ではないか」
内科医の答。「それは単純に確率の問題ですよ」。

内科医の答は正しい。
南木さんの言葉も正しい。

しかし、いかに「すべての人は死のキャリア」だとか、「人生は死に向かって進む船」だとか表現したとしても、また、仮に明日死ぬかもしれないとしても、癌によって「約束された死」を待つひとにとっての「死」は、やはり異質だろう。

どんなに南木さんが死と隣り合わせのうつ病の時代を過ごしたにせよ、やはり癌患者に「互いの未来の不確かさは平等」とは言うべきではなかったのではないか。
ひとりごとは、自分自身に言うべきではないか。

「生きたい」と思えば思うほどに、「未来の不確かさ」は重いものに感じる。

<パニック障害とつきあって十年>
南木さんがその十年の間死ななかった理由、3つ。
「一、医者としてのプライドを捨て去り、患者になりきり、主治医の指示どおりに薬を飲んだこと。
二、病んでいる間にも時は過ぎゆくのだから、元の状態に戻ることが治癒だと考えるなら、それはあり得ないと諦めたこと。
三、未来は己の意志で切り開けるものなのではなく、降って湧く出来事におろおろしながら対処していく、そのみっともない生きざまこそが自分の人生なのだと恥じ入りつつ開き直ったこと。」

私も、薬は欠かさず(とはいえないものの、ほぼ)指示どおりにきちんと飲み続けている。
二にある「病んでいる間にも時は過ぎゆく」ということは、時の変化とともに自己それじたいも変容していくこと。変わっていくこと。

元の状態に戻ろうにも、同一物それじたいが存在しない。
まして、急性期のあの恐ろしい精神状態をくぐり抜け、その記憶は鮮明に残っている以上、その精神状態を招来した生活態度に戻ろうなどという気持ちは、まったくない。

うつ病の「治癒」構造は、骨折や臓器の疾患とはまったく違うもの。
360度回転をして元の地点に戻ることは、そもそもありえず、おそらく螺旋状に推移する思考と生き方だろう。

急性期、それ以前を客観視できる見方ができること。
そして、そこに陥らない生き方を実践すること。
おそらくそれがうつ病の「治癒」なのだろう。

<本を読む元気>
アランの『幸福論』の一節。著者名とタイトルくらいしか覚えちゃいない。読んだことすらない。

その一節。
「パスカルがこう言った。病気とは、元気な人にとっては我慢のならないものだ。それというもの、彼がまさに元気だからだ。」

「なんでもうつ病で片付けばよいのですがね」という世間一般の「常識」は、そのような「元気な人」に支えられているのだろう。

この病気は、ならないと分からないし、想像することそれじたいできない。
しかも、患者それぞれの生育環境、生活環境、家族、生き方、発症のひきがね、個体差(これは抗うつ剤の効果に関係する)等々、人の数だけ症状もあるに違いない。

単純に脳内のノルアドレナリンだかセロトニンを活性化させればよいというものでもあるまい。

「元気な人にとっては我慢のならないもの」。
なるほどな。
うつ病にかかる前の私、それ自身が、うつ病に罹患した自分を眺め、焦っていたのだろう。
その後、さまざまな本に接し、落ち着いて考えられるようになってから、「治癒」というものを考えたにすぎない。

アランの『幸福論』の引用の続き。
「事実というものには、それがどんなに悪いことであろうとも、益となる一点がある。事実はわれわれに、新しいパースペクティブでとらえた新しい将来を示してくれる。」

たしかに、うつ病は私に「ありがたい」という気持ちと、「生かされている」感覚と「大いなる力」の存在を感じさせてくれた。
さらに、新しい視座を提供してくれたことは間違いない。

「病んでいる人というのは、きのうだったら不幸だとおそらく言っていたような取るに足らぬ状態でさえも、まるですばらしい幸福のように期待している。人間というのは、われわれが思っている以上に賢いものである。」

なるほど。
古典というのは、ほんとうに宝箱のようなもの。
一日一日、回復を実感していた去年の夏。
心を病むという事実は、まさに益なる一面を私にもたらした。

<からだにまかせて>
「幸福という言葉は口にした先から呼気とともに逃げ出してしまうやわなものと確信しているゆえ、できるかぎり用いないようにしている。」
でも「自然の一部として在るつもりになれることの有り難さに感謝する際、どうしてもこの言葉が脳裏に浮かぶ。」

大いなる力に生かされた南木さん。
私など自然の恥部ではあっても、一部には違いないだろうという思いはある。
おそらく「有り難い」と思えることそれじたいが、きっと「幸福」なのだろう。

<「阿弥陀堂だより」を書いたころ>
これを書いた94年から95年は、南木さんにとって最悪の体調のときだったという。パニック障害からうつ病を発症。
書くことは、「死なずにいるための唯一の手段だった」

「いまは肩の力を抜いてゆっくり景色を見ながら下ってゆく心地よさを何よりも大切にしたい。」

新聞の文芸時評では「その内容の甘さをこっぴどく批判された」のだという。
「そんなにひどいことを書くなら、なんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、と涙ぐみつつ、送られて来た新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。」

不思議なのは、そんな批判的な時評をご丁寧にも送ってくるものだということ。
内容が甘かろうが辛かろうが、南木佳士が書いたもの。
自分のために書いたとはいえ、商品として出すだけの細工と技巧を凝らしてリリースしたもの。

おそらく評者は病者の視点に立つことのできない人だったに違いない。
そして、それがごくごく一般的なふつうのできごとに違いない。

<神社の怖さ>
「生きるということは必ず誰かを傷つけたり踏み台にすることだから」

<定年を待ちながら>
『エピクロス』の一節。
「身体の健康と心境の平成こそが祝福ある生の目的だからである。なぜなら、この目的を達するために、つまり苦しんだり恐怖をいだいたりすることのないために、われわれは全力を尽すのだからである。」

その後、有名な「快楽」に関する記述が出てくるとのこと。
曰く、「われわれは、快を、第一の生まれながらの善と認めるのであり、快を出発点として、われわれは、すべての選択と忌避を始め、また、この感情(快)を規準としてすべての善を判断することによって、快へと立ち帰るからである。」

<樹林の上の空>
南木さんは、「からだの代謝がよくなったのか、風邪をひかなくなったし、痔も治った。」

たしかに私も昨年以来、風邪などひいていない。
たしかに不思議でならない。

<急な青空>
「人は自分の見たいものしか見ない。」
歴史の概説書に書かれていたことば。
南木さんは、これには批判的。

むしろ「人間は見ざるを得なかったものしか見られない」と考えている。
たしかに、見たくもないものを見させられるのが人生の一断面なのかもしれない。
もちろん、見なくてもよいものを見ないで過ごせるひとたちもたくさんいるに違いない。
それはそれで幸せなこと。

ただ、見ざるを得ない人生が不幸かといえば、またそれは別の問題だろう。
私の結論は、まだまだ先にある。
この病気、まだまだ先があるやもしれず。
たまたま現在、ふつうにいられるだけかもしれず。

<泣きながら>
とうとう南木さんは、映画「阿弥陀堂だより」を見た。
そのときの一文。
「この小説を書いたころはうつ病のどん底でうずくまっており、一日を生きのびるのに精一杯だった。つらかったよなあ、と胸のうちで何度もつぶやき、泣きながらようやく観終えた。」

<ランプ>
パニック障害発作を起こしていたころ、奥さんが散歩に常に同行してくれていたとのこと。
「まあ、仲がよろしくて」という声掛けに対して「決してそうではない。仕方なく、なのだ。」とあり、さらに「でも、よく考えてみれば、長く夫婦をやっていることそのものが、「仕方なく」なのかもしれない。」

笑。

「病者の思考は明日への楽観を欠くぶん、きょう一日の生活の積み重ねでしかない人生の本質に迫りやすくなる気がする。」

たしかに、うつ病の急性期のころは、明日などない、現在でしかなかったし、まさに「きょう一日の生活の積み重ね」だった。
人生の本質は、「きょう一日の生活の積み重ね」。
単純だが、重い。

「天地有情」。
今度は大森荘蔵を読んでみたくなった。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の10件 | - 本・雑誌 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。