ちょっと古いが朝日11月8日の筒井康隆のコラム「漂流 本から本へ」 [その他]

今回のテーマは、『性格学』。

クレッチマーの性格類型学、体格と性格なんてのが出てくる。
なつかしい。
挿絵もすぐに思い出した。
ついでに、ロンブローゾの生来的犯罪人学説を思い出した。
あの時代、こんなバカげたことを真面目に研究していたのかと思うと、笑える。
何千という犯罪者の頭蓋骨を研究して、「学説」として紹介され、一世を風靡したのだから。

中世の魔女裁判と、たいして変わらん気がするがなあ。

さらに、筒井康隆のコラムは、シュタイナーという、人の体液による四大気質を分類したひとの話が続く。
「現在の血液型性格学を認めるか認めないかは、このシュタイナーを認めるかどうかという議論になるのではないだろうか」とする。

筒井康隆は、この「血液型性格学」なるものを評価しているのかどうか。
「ぼく自身は、血液型による分類を否定する人の意見も納得できるので、「話題に困った時の血液型」として重宝させてもらっている」とある。

この記述を文字通りに読むかぎり、「信じて」いるのだろうか? 筒井氏は。
アホくさ。

たしか、日本の血液型「信仰」集団には、このコラムにも出てくる能見一派と鈴木一派がある。
一時期(いや、今でも?)「A型だからうんぬん」という会話は、出るときがあるわけで。

日本特有の信仰だろう。
第一、40%がA型なんだし、そんなもん、性格に反映されるっていうことじたい、バカくさい。
というより、そもそもが、ユングにしても(筒井康隆は、大のユング好きとして有名)、フロイトにしても、「学説」ないし「学問」として成り立っているのか?

単なる「思想」であり、「思索の産物」「物語」でしかなかろう。
ストーリーテラーとしては最高の部類に属するひとたちだろう。
しかし、検証できなければ科学とはいえまい。
キリスト教を名乗る宗教が、何万とあるのと同じように、心理学も「学派」なるものによってさまざまに流派が分かれると聞く。

産業心理学や経営心理学あたりは、非常にビジネスで参考にはなろう。
これらは非常に興味深いし、実用的。
「心理戦」で絶対負けない本」および、「同実践編」は、極めて面白い。
さらに、似たような本では、『ワルの知恵本』「またまたワルの知恵本』も。

けれど、心理学者がうつ病の治療には、入ってきてはならないと思う。
しょせん、彼らは思想家ではあっても、科学者ではない(と思う)。

(いや、たしかに心理学者も、さまざまな「実験」をする。行動心理学なる学問分野があることも知っている。しかし、それはすでに存在する「事実」を事実として確認するだけの作業ではないのか。人の心の新たな側面を切り出して分析して、新たな何ものかを付け加える、というわけではあるまい)

(また、ロールシャッハテストなど、「解釈」の作業が必ず入る。パターン化されたものであったとしても、「夢解釈」と同じこと(だと思う)。結局、実験者の思想を語っているにすぎないと思うのだが。思想を語るのは、単なる著述業。科学者ではあるまい)

(意識に対して「無意識」などという検証のしようのない「フィクション」を構想してしまうことだって、もはや「思想」そのものなんじゃないのか?)

人の心に唯一踏み込むことが現在許されるのは、医師であり、それも極めて限定された、治癒への思いを強くもった患者のサポーターとして、専門家として、手助けする立場で、しかないのだと思う。
少なくとも、このうつ病(とりわけ大うつ病)については、そう思う。

日本人の「血液型人間学」への「信仰」は、いつまで続くのだろう?
とはいえ、「おれの血は他人の血」は、最高に面白かった記憶が残る。
それでも筒井康隆は、やはり奇才であることを否定しようはない。
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