生きてゆくのは、みっともないさ [住まい・家族・生活]

この病を経て思う。
つくづく思う。

どんなにみっともなくても、つまり、みっともない親父の姿を子どもたちの前でさらしたとしても、それもまた真実。

真に実りのある人生を過ごすのであれば、みっともなくてもともかく生きる。
そのみっともない姿を見ることで、子どもたちは、「あ〜ゆ〜人間にはなりたくないな」と思ってくれたら、それはそれで親の役割は果たしたことになる。

ただ、そんな表面的なことではなくて、私の悲しさ、苦しさ、嘆かわしさ、つまりは人生はままならないことの方が多いことまでも、子どもたちが感じてくれたら。

だからこそ、幸せに感じる珠玉の時間を、喜びの瞬間を感じ取ることができることを。
幸い、のぞみも清志郎も感受性は豊か。
だから、きっと分かってくれるだろう。

別に、今でなくたっていい。
数年後、10年後にでも、感じ取ってくれたら最高だと思う。

いま私が亡き父を思うように。

吉田拓郎
「おきざりにした悲しみは 」
http://www.youtube.com/watch?v=dfsAx5gJdVQ
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