読んだ『医者という仕事』(南木佳士 著、朝日新聞社) [本・雑誌]

<あとがき>にある「平凡な生活ほど実現するに難しいものはない」という言葉が印象に残る。

いまさらではあるが。

<丈夫な体と優しい心>
タイトルは丸谷才一のエッセイに出てくるという医者に向く人の3条件の2つ。
あと1つは、「まずまずの頭」
南木さんは、医者に限らず「優しい心と丈夫な体の両立はとても難しいことなのだ」という。さらに「あのまま東京でサラリーマンになっていたら、自分の発病はもっとずっと早かったであろう」と続く。

そして、「病気になってかえって素直になった心の底から、ストレスにさらされ続けている都会の優しきサラリーマンたちに幸あれと祈っている。」で締める。

都会であれ、地方であれ、現代であれ太古の昔であれ、「ストレス」は常にそこにある(はず)。太古の昔は、生命の危機そのもの。
現代は、心の中に生命の危機を包摂してしまう。

ふと思うのは、南木さんと同様の末期癌患者を数多く看取る医師は、それこそ日本中にたくさんいるはず。
ストレスにさらされる都会のサラリーマンも、星の数ほどいる。
どうして南木さんにせよ、私にせよ、うつ病というものに罹患したのか。
その理由が知りたい。
いまさら、どうでもよい話ではあるのだが。

<厄年を過ぎて>
「病んだ者の視線は例外なく低くなる。人間として持つべき最も大事なものは(中略)ただひたすらやさしくあることなのだというようなあたりまえのことが、低くなった視野に見えてくる。」

果たして私の視野は低くなれたのか。
すくなくとも、「ありがたい」という言葉を心に感じることは増加した。
今、生きてあることのありがたさ。
ともかく生きている。

<医者という仕事>
30代半ばから40歳代の働き盛りの医者仲間との雑談。
医学部入試に「最も問われるべき資質は、学力ではなく優しさであった」。それならば入試方法を改善して真の優しさを備えた若者が合格できるように面接を重視すればよい、と話は進むが、「大学に残って出世競争に勝ち抜いて偉くなっていった連中に、「優しさ」なんていうものが判定できるわけがない」

なるほどw

おそらくそれは「専門家」と言われる人たち全部に言えることだろう。
医師、裁判官、検察官、弁護士などの専門職。
さらに広げれば、教師たち。
おそらく柳田邦男さんの「2.5人称」につながっていくはず。

むしろ子どもを相手にする教師にこそ、「優しさ」の資質が求められるに違いない。
なぜなら、仕方のないことだが、末期がんの患者たちは、必ず死にゆく存在であるのに対し、教師たるもの、子どもたちにその「優しさ」を教えなければならない存在なのだから。
患者を取り巻く家族には、意外な場合もあり、若くして命を落とす患者にとっては死ぬに死ねない気持ちのままに亡くなっていくことは想像に難くない。

そこに、その臨床の場で医師ができること、ただただ患者の心に寄り添ってあげること。
それができる医師は、どれだけいるのだろう。

終末期医療。緩和ケア。
見るにしのびない状況も生まれてくるだろうし、誰のための医療なのかという問題も出てくる。

そんなとき「死」を支配させられてしまうのが担当医なのだろう。
家族の悲しみや患者本人の苦しみを狭い病室のなかで、主宰させられてしまう医師という存在。

これを「業」と言わずして何を業と呼ぶべきか。
ただ、そこまで受け止めてくれる医師がどれだけいるのかは、私にはわからない。

「単なる身体の故障ならふつうの「医者」にまかせておけばよいが、心を病んだ「病気」の人にはやはり「慰者」が必要なのだ」

私が通うクリニックで、3人の医者に出会った。
その1人は、患者の目を見ない医師だった。
「診察」をしたつもりだったのだろうか。
幸い、彼とはたまたま曜日を代えたことでおさらばできた。
なにより。

ああいうタイプの医者が精神科医という看板を掲げていることに、驚かされる。
治るべき患者は治らないばかりか、さらに悪化していくだろう。
私には関係のないことではあるが。

<新入社員に贈る言葉>
「会社というのは多分におとぎ話的要素を含んだ組織なのだが、その中で人間であり続けることが真に生きているということなのだと思う。」

深い考察。
「真に生きている」ためにはどのような「人間であり続け」なければならないか。
これについては、別のエントリーにて。

<偏差値と私>
「努力すれば必ず報われると考える医者たちは患者の死を敗北とみなす。これこそ偏差値人間の思い上がった発想であり、こんな医者が日本にはまだまだ多いのである。」

医者に限らず、この国全体が明治期以降、常に坂の上の雲を目指してやってきた。
「努力すれば必ず報われる」。「なせばなる」。
私も両親からそう言われて育ってきた。

うつ病を発症しない人にとっては、それでいい。
しかし、私の場合は発症してしまった。

おそらく「努力が必ず報われる」のは、学生時代までだろう。

そして、ビジネス本が大好きだった私は、読む気がまったくなくなっている。

<年始の死生観>
「人間の力には限りがある。人間は目に見えないなにか大いなる力によって生かされている。」

この言葉には、強く魅かれる。

300人を超えるひとたちの死亡診断書を書き続けてきた南木さんの言葉だけに、重みがある。
そんな経験はまったくない私ではあるが、この病気を経て同じように「大いなる力」の存在を信じるようになった。

南木さんの場合は、うつ病以前の幼少期から祖母との生活の中で、「死者の例は裏山の深い森に還り、そこで先祖たちの霊と交歓し合えるのだ」という死生観を持っていた。

「少なくとも祖母の世代の日本人たちは、いかに努力しても死ぬ者は死ぬのだと潔く割り切れるだけの強い心を持っていた。」という。

「強い心」に憧れる。

<山中静夫氏の尊厳死>
「来年のことを言うと鬼が笑う」という言葉の真の意味を初めて知った。
「人間の運命なんていつどうなるか分かったものではない」と感じる謙虚さ。
「自分は(あるいは自分だけは)死なない」などと考える不遜な心を鬼は笑うのだろう。

私もこの病気を経て、「死なない」とは思わなくなったが、「生きたい」とは思う。

<小心男にとっての妊娠>
ここに出てくる「小説家のホラ話」というのが、実に面白い。
そんな出来事が南木さんにあったのかと思うと、ニヤリとさせられる。
そりゃそうだろう。
若い前途有望な医者だったのだから。

そして、私小説家として身辺のディテールをこと細かに描写する作家としての顔とは別の、医者でもない小説家でもない彼自身の「茶目っ気」と「人を楽しませる才能」と「人が楽しむのを楽しむ」人であることを強く感じる。

<患者と等身大の医者>
「患者と等身大の医者であろうとすること。これは言うは易く、行うは難い課題である。(中略)病む人の心を理解しようと務め、最後には自分も病んでしまうかも知れない危険と隣り合わせで診療に臨む覚悟が必要なのだ。」

こんな覚悟を持った医者は、この時代、どれだけいるのだろうか。

第5章「長いエッセイのような掌篇・短篇小説集」の『上田医師の青き時代』がいい。
オチがいい。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
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