読んだ『冬の水練』(南木佳士 著、岩波書店) [本・雑誌]

まず、大扉がいい。
岩波にしてはw とてもいい。

<トラのいる十二年>
「精神を病んだ患者にとって自己開示の相手を間違えることほど取り返しのつかない悲劇はない」

なるほど、そういうものか。
私は、ほんとうに幸運な患者だったのだろう。
いまは病床にある担当医との出会い。
その代診のドクターの率直さ。あたりまえさが、ことのほかありがたい。

2回ほど「遭遇」した曜日の違う代診の医師ほど、手に負えない精神科医はいまい。
ともかく患者と目を合わせない。
「変わりないですか?」と聞いてお仕舞いw

「この1カ月、どうでしたか?」と問い掛けるのが医師というものだろうに。
最初にこのレベルの医者に出会っていたら、いまの私は居ないに違いない。

患者が納得して診察を受けるのだから、自由診療で好き放題の料金を取る精神科医もあっていいだろう。
しかし、保険医療を標榜する以上、あたりまえの医師であってほしい。

とはいうものの、歯科医の自由診療というのは分からないでもない。
彼らは、おそらく技術屋さんではあっても医師ではないのだろうから。
しかし、精神疾患という、場合によっては自殺の危険すらある病に対して、自由診療というカネの切れ目が縁の切れ目というのは、どうにも理解しかねる。

もっとも、自由診療をする精神科医は、費用負担を含めた患者のスクリーニングを厳格に行い、カネを持って来れないような「危険な患者」はハナから相手にしないのだろう。
下手をすると、カード決済をするのかもしれない。
ローンでも組ませて。

「美しく繊細なものの薄命と、図太く鈍感なものの長命」
いや、自由診療をする精神科医のことではなく、本書に出てくるトラとシロに関する南木さんの記述。

「すべての気力の元にあるのは怒りの感情なのかもしれない」
子猫時代のトラとシロが家中を暴れ回ったころの南木さんの感想。

私の場合、回復のプロセスの最後に怒りの感情が出て来た。
何を食べても味がなく、そもそも食欲すら失せる。
仮面を被せられたように、表情筋というものが存在しなくなったような無感覚さ。
思考の停滞と過去への無意味な回帰。
認知のゆがみどころか、恐ろしいまでの想像に押しつぶされそうになり、何事をするにも億劫、鏡に映る自分すら直視できないという現実に直面し、ようやく病識を得て受診。

まず回復を直感したのは、笑いであり、冗談を言い始める自分であり、食事のおいしさ、読書をして感動をする自分に気づき、のぞみや清志郎の子どもじみたふるまいに立腹し、夫婦喧嘩で怒りを爆発させ、結局、精神的には病前の自分に戻れた。

結局、南木さんの指摘「怒りが気力の元」というのは、正鵠を射ているのだろう。

<麻雀>
「生きていればいいときもあるし悪いときもありますよ。運を天にまかせるっていうのはとりあえず死なないでいればなんとかなるってことなんだと思いますよ。」

病前の私。
文字だけだと軽いし、バカかこいつは的なヤツにしか感じられない言葉。
しかし、病を経た南木さんであれば、言葉には重みがあるというもの。

<医局の孤独>
「大脳皮質をあまり使わなくても、できあいの反射回路にゆだねておけばとりあえず一日をなんとかやりすごせる「仕事」の時間」

脳外科医の橘滋国医師の談話。『複雑系としての身体』(河出書房新社)からの引用。
「肥大化した人間の大脳を興奮させるためには大量のエネルギーがいり、これは生命維持のための省エネの基本原則に反するので、最もエネルギーを必要としない反応形態として必要とされたのが脊髄反射だった」という説明。

<リアルな料理>
「互いの分からなさの度合いを測り合い、その段差を埋めようと努力して語り合う機会を多く共有することでしか、死という大事には対処できない。」

濃厚な時間を共有した者同士であればこそ、相手の死を強く感じることができる。

<最後の仕事>
「子育てを終え、孫たちの成長も見とどけたおばあさんたちに残された最後の仕事は、元気でおじいさんを看取ることなのである。」

農家の元気そうなおばあちゃんの姿が眼に浮かぶ。
褐色の肌に手ぬぐいの姉さん被り。
にっこり笑う顔には深い皺。

がっさがさの掌。
土の匂いのする掌。
そういうひとに看取られるおじいさんというのは、やはり幸せなんだろう。

<猫に小判>
「自分の健康のことを第一に考えてたら、こんなとこで徹夜の観測なんてできないですよね」

選ばれし者?
観測所の研究員の言葉。

でも、そんな研究第一で自分の健康のことを考えていないと。。。。。
いや、そのひとの人生。
好きにやるがいい。

<臨床講義>
「乱暴に言い切ってしまえば、受験偏差値が高いだけの頭と、本当に学問に向く頭がきっちりと淘汰を受ける場所が大学なのだ。」

たしかに研究者を選別する場所という意味はあるし、南木さん曰くの「高等職業訓練校」である医学部においては、臨床医と研究者の選別ということは役割論としてはあるといえる。

ただ、南木さんの当時の大学受験というものは、結局そういうものだったのではないのか。
「そういうもの」→ただの受験偏差値優等生→医学部

<医者の言葉>
「遺伝情報や幼いころから刷り込まれた世界観のまったく異なる矛盾だらけの二人が暮らしているのだから、平穏に見える日常生活の場が突然修羅場と化すことがあるのは当然なのだ。」

開高健は60歳前に死んだ。

再登場↓ この医師のことをほんとうに南木さんはムカついている。

「なんでもうつ病でかたづけば苦労はないですけどね」
種明かしが書かれていた。
「私がいまでもこの男を許さないのは、病む以前におなじような言葉を私も用いていた可能性が高いからである。彼は鏡に映った元気なころの私にほかならなかったのだ。」

「想像による殺人」の事例は、ほんとうに怖い。
「精神科医や内科医の言葉は、その身の毛もよだつ鋭利さが目に見えない分だけ外科医のメス以上の危険物と化す場合がある。それなのにこの凶器の取り扱いを教えてくれる、あるいは教えられる資格を有する人は極めて少ない。」

臨床の実際を教える時間というのは、学部レベルではないのではないか。
どんな職業だってそうだろう。
聞いてないよ〜、そんなの。
というのにぶつかりながら、成長していくものなんじゃないのか。

もっとも、ふつうの職業と決定的に違うのは、医師というものに付随してしまう言葉の怖さ。
無関心な医師がふつうだろう。

<やめる>
「私の場合、若さとはとんでもない鈍感さの別称でしかなかったのだ。」

南木さんに限らずw
若さとはそういうもの。

「タバコをほしがっているのは脳だけなのであって、脳を支える下部身体、つまり心臓や肺にとって喫煙は百害あるのみ。」

なるほど。
「ニコチンを吸うことでしかまぎらせない類のストレスがあるのを私はよく知っている。」

はたして、私の仕事が百害を押してまでまぎらせることができない類のものなのか。

<医者への謝礼をめぐる鼎談>
じつに愉快な一文だった。

<けつの穴>
小学生のころだったか、中学生のころだったか、父親に「ケツメドのちっちゃなヤツ」という言い方を教わった。
小心者、剛胆ではない人間の言い方。
関東ではしばしば使う言い方なのだろうか。

南木さんらしい一文。
「このけつの穴が大きく開くのは、死後の処置で誰かに綿を詰められるときだけなのかなあ、とのグロテスクな予感を抱きつつ。」
バーミングというのは、そういうことまでするのか。

<好きなもの>
「結局、私が好きなものとは、ずばり私にないもののことであり、それはいろんな言い方ができるけれども、要約すれば、明日を楽観して生きる力なのだ。
そういうことばかりいろんなところに書き散らかしていながらけっこうしぶといじゃないの、との周囲の声も、あるにはある。」

明るさを感じる一文。

<太宰治の顔>
「うつ病の極期に、生きてあることのたまらない心細さを体験したゆえ、いまはからだがリラックスできる状態をなによりもありがたく感じる。」

たしかに、極限期にはどれだけ肩や体に力が入っていたのかは、なってみないとわからないこと。
私はレキソタンとアモキサンで救われた。
あたりまえであることのありがたさ。

「書かれたものに当時の自分の状況があらわれすぎていていたたまれなくなる。」
読んだときに、非常にいやな気分になったとき以上に感じることなのだろう。
ほかならぬ自分自身のことなのだから。

私も、この前南木さんのエッセイを読んでいるときに、自殺を考えるシーンで気持ちが悪くなった。
体調管理、心の管理のバロメーターになることにそのとき気付いた。

心とからだは連動している。
つくづく思う。

【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
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