読んだ『急な青空』(南木佳士 著、文芸春秋) [本・雑誌]
南木さんのエッセイは、『生きのびる からだ』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2009-12-21以来だけれど、いったい何冊読んだのだろう。
別に何冊でもいい。
読みたいときに読む。
他に関心があれば、そちらを読む。
読書なんて、そんなもの。
今回の第一印象は、「明るさ」だった。
もとより寸鉄人を刺す箴言(私は、いつも箴言だと思って読んでいる)は、変わらなくある。
きらびやかではないが、心に沁み入る言葉たち。
平板な表現だが、「滋味溢れる」というのだろう。
そこに、明るさが加わった(ような気がする)。
南木さん、うつ病の症状から解放されているのだろう。
きっと。
「自然を相手に仕事をしていると、知らぬ間に己の身体のまぎれもない自然性に気づかされる。自然のことは自然にまかせるより仕方がない。頭で謀ったことなんぞたかが知れている。」
ふと思うのは、南木さんは「生老病死」と言わず、「老病死」としか使わない。
なぜなのだろう。
いまでは「生」だって病院のなかに押し込められているというのに。
4つの苦しみという意味で、「生」をとらえることはしない、という宣言なのか。
ただの深読みだろう。
「おばあさん、しっかりしてください。おばあさーん」とおおいかぶさって声をかけるヨメに「うるせー」と悪態をついて死んでいった90歳のおばあちゃんの話には、その豪快さに笑った。
まさに南木さんの指摘するように「死への意味づけなんてしょせんは生き残る者の身勝手な感傷でしかない」。
とはいえ、その身勝手な感傷があればこそ、悲しみも哀しみも生まれてくるのだし。
4冊の本(『「聴く」ことの力』、『性技実践講座改訂増補』、『貧乏だけど幸せ』、『重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話』)を同時に読む姿に、落ち着きのない読み方をするのは自分だけではないのだということを知り、どうにもうれしくなった。
<未来のない写真>は、ショート・ショートのネタになりそうなテーマ。
<春の祭りの日>で、南木さんがミニSLに乗るシーンが出てくる。そんなことするんだ。これまで偏屈王だと思っていたが。
してやられた!と思った。
もちろんエッセイも技巧の中にある。
歓び、喜び、悔しさ、楽しさ、阿鼻叫喚。
それをそのまま綴るのではなしに、推敲に推敲を重ねて、濾過されたものを我々に提示するもの。
いわば商品。
病院の飲み会に出ないことが多いのも南木さんであり、SLに乗るのも南木さん。
佐久総合病院の若月院長のつかみどころのない深さと広さが事実であるのと同様に、南木さんというイメージをエッセイから想像してしまうのは、勝手な思い込みというもの。
なぜなら、発症前は自然発生的に飲み会を開催していた模様。
発症後はオフィシャルな席に参加しなくなっただけなのだろう。
(でも、だからといって偏屈なひとではない、とは絶対に言えないと確信している)
<ステッパー幸吉号>
「肉親とは心身の距離が近すぎる。だから、互いの関係が密になり過ぎて、ゆとりの笑顔が造れなくなる。」
南木さんの母親代わりになった祖母の死に際してのことば。
直前には、「あの午後のなにげない沈黙すらもう共有できないのだと知り、激しく後悔した。」とある。
私には、むしろこちらのほうに心を感じる。
「なにげない沈黙」。
さりげない笑顔と、さりげない会話。
なんということのない日常にこそ、真理は宿っているということなのだろう。
真理なんて大げさなものじゃなくてもいい。
かけがえのない時間というのは、失ってから気づくもの。
(だからこそ、私は残り少ない母との時間を大切に過ごしたいと切に思う。)
(あなたは20年前からそんなことを言っているわ、と和子は言うがw)
<禁令の釣り>の最後。
「あのなあ、むかし、節度をわきまえねえバカ医者がいてなあ、と古老が応え、しばしその医者の愚かさを二人で笑い合う」
読みながら、微笑む。
南木さんは、もはや快癒したのではあるまいか。
<寒い朝の誤解>に出てくる夫婦喧嘩のネタ明かしには、笑えた。
「もう二十年以上おなじ屋根の下で暮らしている彼女との間でも、私の口にする言葉というものがこれほどまでに誤解されやすいはかなさを秘めた「壊れ物」であることに慄然とした」という部分には、激しく同意したw
誤解曲解など、わが家では日常茶飯事であることなど、南木さんは知るまいw
<健者の奢り>
もしかしたら、今回のエッセイで、この一文がいちばん好きかもしれない。
互いの手のぬくもりが感じられる文章だった。
<落葉と中華街>に出てくるご子息とのぎこちない笑顔は、あと数年後のわが家かと思うと、どんなになっているのだろうと想像するとおもしろい。
<大漁日>は、「健者の奢り」と同じか次くらいに好きなエッセイ。
(それにしても、タイトル付けが抜群な気がする)
「下を向いて、足元の一歩一歩を見てりゃあ自然に山につくだ。先ばっかり見てるから遠く思えるだ」
<山林はどこだ>に出てくる南木さんのおばあさんの言葉。
ともかくこのおばあさんの言葉は、よく登場する。
なるほどね、としか言いようのない言葉たち。
曰く、「米を買うようになっちゃあ人間、おしまいだ」というのには、ショックを受けたがw
たしかに、自分の食べる分だけでも自分で作るというのが、もともとの人間のありかただっただろう。
いまだって、そういう家族はたくさんいるに違いない。
それはさておき、「足元を見て歩く」というのは、ほんとうに含蓄のあることば。
今回の『急な青空』を読んで思うのは、会話体が多いこと、自省的な部分は南木さんの真骨頂だし、これを除いてしまったら、なんのこっちゃのエッセイになるわけだが、奥さんが頻繁に登場すること、外界の描写に「色」がついていることなどの変化が感じられる。
「人は生きのびるために変容するのか、変容するから生きのびるのか」という『生きのびる からだ』での問い掛けは、やはりエッセイにも出てきていると感じる。
エッセイそれじたいに明るさを感じるし、病気との折り合いもつけているのだろう。
やたらと「老い」というフレーズを多用するように感じられるのが、ちょっと気になるところだが、子どものころから老成している南木さんだけに、仕方の無いことかと、にわか南木ファンとしては納得するほかあるまい。
【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
別に何冊でもいい。
読みたいときに読む。
他に関心があれば、そちらを読む。
読書なんて、そんなもの。
今回の第一印象は、「明るさ」だった。
もとより寸鉄人を刺す箴言(私は、いつも箴言だと思って読んでいる)は、変わらなくある。
きらびやかではないが、心に沁み入る言葉たち。
平板な表現だが、「滋味溢れる」というのだろう。
そこに、明るさが加わった(ような気がする)。
南木さん、うつ病の症状から解放されているのだろう。
きっと。
「自然を相手に仕事をしていると、知らぬ間に己の身体のまぎれもない自然性に気づかされる。自然のことは自然にまかせるより仕方がない。頭で謀ったことなんぞたかが知れている。」
ふと思うのは、南木さんは「生老病死」と言わず、「老病死」としか使わない。
なぜなのだろう。
いまでは「生」だって病院のなかに押し込められているというのに。
4つの苦しみという意味で、「生」をとらえることはしない、という宣言なのか。
ただの深読みだろう。
「おばあさん、しっかりしてください。おばあさーん」とおおいかぶさって声をかけるヨメに「うるせー」と悪態をついて死んでいった90歳のおばあちゃんの話には、その豪快さに笑った。
まさに南木さんの指摘するように「死への意味づけなんてしょせんは生き残る者の身勝手な感傷でしかない」。
とはいえ、その身勝手な感傷があればこそ、悲しみも哀しみも生まれてくるのだし。
4冊の本(『「聴く」ことの力』、『性技実践講座改訂増補』、『貧乏だけど幸せ』、『重い飛行機雲 太平洋戦争日本空軍秘話』)を同時に読む姿に、落ち着きのない読み方をするのは自分だけではないのだということを知り、どうにもうれしくなった。
<未来のない写真>は、ショート・ショートのネタになりそうなテーマ。
<春の祭りの日>で、南木さんがミニSLに乗るシーンが出てくる。そんなことするんだ。これまで偏屈王だと思っていたが。
してやられた!と思った。
もちろんエッセイも技巧の中にある。
歓び、喜び、悔しさ、楽しさ、阿鼻叫喚。
それをそのまま綴るのではなしに、推敲に推敲を重ねて、濾過されたものを我々に提示するもの。
いわば商品。
病院の飲み会に出ないことが多いのも南木さんであり、SLに乗るのも南木さん。
佐久総合病院の若月院長のつかみどころのない深さと広さが事実であるのと同様に、南木さんというイメージをエッセイから想像してしまうのは、勝手な思い込みというもの。
なぜなら、発症前は自然発生的に飲み会を開催していた模様。
発症後はオフィシャルな席に参加しなくなっただけなのだろう。
(でも、だからといって偏屈なひとではない、とは絶対に言えないと確信している)
<ステッパー幸吉号>
「肉親とは心身の距離が近すぎる。だから、互いの関係が密になり過ぎて、ゆとりの笑顔が造れなくなる。」
南木さんの母親代わりになった祖母の死に際してのことば。
直前には、「あの午後のなにげない沈黙すらもう共有できないのだと知り、激しく後悔した。」とある。
私には、むしろこちらのほうに心を感じる。
「なにげない沈黙」。
さりげない笑顔と、さりげない会話。
なんということのない日常にこそ、真理は宿っているということなのだろう。
真理なんて大げさなものじゃなくてもいい。
かけがえのない時間というのは、失ってから気づくもの。
(だからこそ、私は残り少ない母との時間を大切に過ごしたいと切に思う。)
(あなたは20年前からそんなことを言っているわ、と和子は言うがw)
<禁令の釣り>の最後。
「あのなあ、むかし、節度をわきまえねえバカ医者がいてなあ、と古老が応え、しばしその医者の愚かさを二人で笑い合う」
読みながら、微笑む。
南木さんは、もはや快癒したのではあるまいか。
<寒い朝の誤解>に出てくる夫婦喧嘩のネタ明かしには、笑えた。
「もう二十年以上おなじ屋根の下で暮らしている彼女との間でも、私の口にする言葉というものがこれほどまでに誤解されやすいはかなさを秘めた「壊れ物」であることに慄然とした」という部分には、激しく同意したw
誤解曲解など、わが家では日常茶飯事であることなど、南木さんは知るまいw
<健者の奢り>
もしかしたら、今回のエッセイで、この一文がいちばん好きかもしれない。
互いの手のぬくもりが感じられる文章だった。
<落葉と中華街>に出てくるご子息とのぎこちない笑顔は、あと数年後のわが家かと思うと、どんなになっているのだろうと想像するとおもしろい。
<大漁日>は、「健者の奢り」と同じか次くらいに好きなエッセイ。
(それにしても、タイトル付けが抜群な気がする)
「下を向いて、足元の一歩一歩を見てりゃあ自然に山につくだ。先ばっかり見てるから遠く思えるだ」
<山林はどこだ>に出てくる南木さんのおばあさんの言葉。
ともかくこのおばあさんの言葉は、よく登場する。
なるほどね、としか言いようのない言葉たち。
曰く、「米を買うようになっちゃあ人間、おしまいだ」というのには、ショックを受けたがw
たしかに、自分の食べる分だけでも自分で作るというのが、もともとの人間のありかただっただろう。
いまだって、そういう家族はたくさんいるに違いない。
それはさておき、「足元を見て歩く」というのは、ほんとうに含蓄のあることば。
今回の『急な青空』を読んで思うのは、会話体が多いこと、自省的な部分は南木さんの真骨頂だし、これを除いてしまったら、なんのこっちゃのエッセイになるわけだが、奥さんが頻繁に登場すること、外界の描写に「色」がついていることなどの変化が感じられる。
「人は生きのびるために変容するのか、変容するから生きのびるのか」という『生きのびる からだ』での問い掛けは、やはりエッセイにも出てきていると感じる。
エッセイそれじたいに明るさを感じるし、病気との折り合いもつけているのだろう。
やたらと「老い」というフレーズを多用するように感じられるのが、ちょっと気になるところだが、子どものころから老成している南木さんだけに、仕方の無いことかと、にわか南木ファンとしては納得するほかあるまい。
【ちなみに】
もし南木佳士がパニック障害にもうつ病にも罹患していなかったとしたら
http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2011-05-30
コメント 0