憂うつな気分 [その他]

久しぶりにやってきた。
なんだか、なつかしいような。

憂うつな気分がなつかしいなどと思うのは、かなり変だとは思うが、そう思えたのだから仕方がない。

去年の発症→回復のなか、ピンポイントで、ぼんやりした「うつ」めいた気分になりそうな契機は、もちろんあったわけだし。

そして今回も原因は分かっている。

ふと思う。
うつ病というのは、元々ある悲観的な思考プロセスを病的に拡大してしまうものなのか、それとも、誰にでも人として備わる悲観的な思考パターンというものが極限まで拡大する病なのか。

つまりは、固有の素因が拡大するものなのか、そうでないのか。
このあたりがドクターが言っていた「内因性:外因性」のパターン分析に関係するのだろうか。

なんだか、「人は生きるために変容するのか、変容するから生きのびるのか」という南木さんの問い掛けに似ているような気もする。

誰がみても心に傷をつけてしまうような外部的要因があったからといって、そのすべての人が発症するわけでもなし。
たとえば、戦争、天変地異。

ベトナム戦争での帰還兵士の精神疾患について星野さんは、かなりの数をあげていた。
湾岸戦争でも、アフガン戦争でも、イラク戦争でも、心を病む兵士は、相当数存在したことだろう。

ちょっとまえの阪神・淡路大震災だって、心に傷を受けないはずはないような眼前に展開される事実を前に、心を病む方々はたくさん居たことだろう。

しかし、同じ事態を前にして、発症しないひともかなり居るという事実。
敏感・鈍感という平板な括りではどうも理解できかねる。
同じものを見て、どうして一方は精神疾患に陥り、他方は陥らずに生活していけるのか。

さて私の憂うつ。
iPodを鳴らすと、最初にかかった曲は、猫の『人生なんてそんなもんさ』だったw
彼らの時代、そういう空気が支配していたんだろう。

そのうちかかったのが、ジャックスの『からっぽの世界』w
面白かったのが、何度も何度も聴いたはずの『我が良き友よ』。
この中の歌詞の「女房子どもに手を焼きながらも生きている」というくだりに、いたく共感している自分がいた。

そういう年齢になったということなのか。
それにしても、拓郎はこれを作ったときいったいいくつだったんだ?w

日本のオールディーズ。
曲は、いつまでも変わらないのに、聞く側が変わっていく。
聞こえ方が変わっていく。

結局、今回の憂うつのトリガーは、この低気圧とともにやってきた虫歯の痛みw
明日の朝、低気圧が去れば痛みは遠のくのだろうか。

物理的な痛みというのは、心の憂うつ感を誘うのか。
おそらく何の関係もないだろう。

憂うつだったり、元気いっぱいだったり、ふつうだったり、落ち込んだり。
それこそが、ごくふつうの精神状態というもの。

ある種の期待をもって読んでくださった方、失礼しましたw

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