過去、現在、未来 [その他]
南木さんの『臆病な医者』http://amoki-san.blog.so-net.ne.jp/2010-03-31に、「時間」に関する記述があったことを思い出した。
過去は現在の自分が想起するもの。
想起しなければ存在しないも同じ。
未来も、現在の自分が想起するもの。
つまりは、現在というものがすべてであって、過去も未来も所有することすらできず、未来をつかむことなど絶対にできないという単純極まりない事実。
私のうつ病の急性期。
過ぎ去った過去に拘泥し、あるべき未来を想像し呻吟した。
回復とともに五木のエッセイに触れ、生老病死という言葉に触れた。
どうにもならないこと。
ままならないこと。
そして「いま生きてあること」
その奇跡であることは多田富雄先生から教わった。
「どれだけ明日を信じるか」
それが自分にもあったことを星野さんから教えられた。
さまざまな「生」を描く書籍を紹介してくれた柳田さんから、もともと自分に備わっている「生きるちから」を思い出させてくれた。
現在をいかに生きるかが重要なことは分かった。
しかし、その「いま」に孤独と閉塞を感じたらどうなるのだろうか。
もはや出口がなくなるのではないか。
それこそが、南木氏曰くの「存在の孤独」?
ただ、精神疾患であるかぎりは、必ず治ると思うのだ。
私が治ったように。南木氏が治ったように。
このあたりについては後日また考えたい。
とりあえず、今日は疲れたw
過去は現在の自分が想起するもの。
想起しなければ存在しないも同じ。
未来も、現在の自分が想起するもの。
つまりは、現在というものがすべてであって、過去も未来も所有することすらできず、未来をつかむことなど絶対にできないという単純極まりない事実。
私のうつ病の急性期。
過ぎ去った過去に拘泥し、あるべき未来を想像し呻吟した。
回復とともに五木のエッセイに触れ、生老病死という言葉に触れた。
どうにもならないこと。
ままならないこと。
そして「いま生きてあること」
その奇跡であることは多田富雄先生から教わった。
「どれだけ明日を信じるか」
それが自分にもあったことを星野さんから教えられた。
さまざまな「生」を描く書籍を紹介してくれた柳田さんから、もともと自分に備わっている「生きるちから」を思い出させてくれた。
現在をいかに生きるかが重要なことは分かった。
しかし、その「いま」に孤独と閉塞を感じたらどうなるのだろうか。
もはや出口がなくなるのではないか。
それこそが、南木氏曰くの「存在の孤独」?
ただ、精神疾患であるかぎりは、必ず治ると思うのだ。
私が治ったように。南木氏が治ったように。
このあたりについては後日また考えたい。
とりあえず、今日は疲れたw
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