ウイーク・タイズ(『希望のつくり方』(玄田有史著、岩波新書)より)【追記】あり [世の中]

weak ties

アメリカの社会学者グラノヴェターが70年代に示した考え方。

久しぶりに読み返した(というか、ほとんど読んでいなかった)『希望のつくり方』(玄田有史著、岩波新書)に記載のある述語。

転職に際し、重要な切り口となる。
身近な人たち(仕事場、家族)の情報は、むしろ自分自身の情報の鏡のようなものであって、それよりもむしろ、遠くにいてたまに合うくらいの関係にある人の情報ほど、転職には重要な意味を持つ、というふうに使われるとのこと。

玄田先生は、「転職や独立に限らず、今や働くことそのものに、ウイーク・タイズの重要性は増しているようです。」指摘する。
なるほどなあ。

じゃあ、こんど、大学の校友会にでも出てみようか。
玄田先生は、同窓会の効用を本書で説いていた。
校友会は、同窓生のみならず、後輩や先輩が出て来る(ほとんどは、先輩なんだろうけどもねw)のだろうから、一気にウイーク・タイズは広がるというもの。

そもそも私という存在じたい、交友関係は「拡散型」。
どうやってしごとに結びつけるのかはともかくw、さまざまな業種、さまざまな人間関係、地域、住まい等々に拡散してしまう。

別段、しごとに関係しない交友関係がほとんどなのだが。

それにしても、非常にインタレストを感じる。
本書。
じつに読みやすい。
統計処理の部分をこれだけ分かりやすく読ませてくれる著者の力量は、すばらしいの言葉しか出て来ない自分がうらめしい。
本書には東大社研の佐藤岩夫教授、専修大学の広渡清吾先生などなど、1度だけだがお会いさせていただいた先生方のお名前が出て来る。

できるならば、またお会いしたいものだ。
もちろん、玄田先生には!是非!

おわりに、から。
「一番いいたかったのは、希望は与えられるものではなく、自分で(もしくは自分たちで)つくり出すものだということでした。この本の冒頭に「かつて、希望は前提だった」と書きました。現代の希望は、もはや前提ではなく、それ自体、私たちの手でつくりあげていくものなのです。」

すばらしいことばではないか!

【追記】
あと玄田先生に教えてもらったのだが、「希望」という言葉に関する浄土真宗の教えと新約聖書の違い。

浄土真宗では、「希望」は煩悩のひとつらしい(意訳。私の)。
しかし、新約聖書では、希望とは人が生きるうえで最も必要なもののひとつとしてカウントされているらしい(意訳。私の)。

なるほどね。
仏教の教えは、「捨てなさい」ということだと理解している。
執着するなと教えていると理解している。

けどね。
これからの時代(まして、東日本大震災を経た私たち)、「希望」なくしてどうやって生きていくわけさ?

たしかに、応仁の乱直前の、とんでもない時代に生きたたくさんのひとたち。
既成の仏教では救われなかったひとたち(学問のない、貴族以外のひとたち。庶民。農民。狩人。商人。女性)を救うという意味はあったのだし、それはそれで素晴らしいこと。

なんだけどもさあ。

中部経典とおんなじなんだよな。
明日のことを思うなかれ、とか、昨日のことなんか忘れちゃいなさい的なフレーズ。

たしかに、私たちが生きている「今」は、次々に過去になっていくのだし、次々に未来を過去にしていく。
そうなんだけど。。。。。。。

明日への希望とか、今度こうやってみようとか、失敗を恐れずに突き進まなければ新しい解決策だって出て来ないじゃん?
おそらく「拙速」でよいのだと思う。

まずはやってみないと、ね。
間違ったら修正すりゃあいいんだしさ。

その意味で、玄田有史先生は、すばらしい学問を切り開いてくれたな、と思うのだ。
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